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戦時体制期に中西寅雄が創説した個別資本運動説はマルクス主義ではなかったという事実(前編)

 ※-0「社会科学としての経営経済学」が戦前治安維持法のもと東京大学経済学部の経営学者中西寅雄によって創造されていたが,敗戦後になるとこの中西学説をマルキストたちは同類と勘違いしてきた


 本稿は経営学の議論となるが,学問につきもの,それもとくに社会科学部門に属する理論の構築となれば,思想や信条,イデオロギーの随伴が不可避の話題になる。
 付記)冒頭の画像は中西寅雄,後段に註記ありから借りた。

 同じマルクスの関連でいうが,「マルクス経済学」は,ソ連邦崩壊(1988-1991年)後であっても,この学問範疇・形態の有用性が体制批判を鋭角的に放ち,それなりに体制内の困難な問題の是正や解決に貢献できる役割を果たしていた。

 日本という国じたいがソ連邦の溶融以後,経済学分野に位置する社会科学者たちはもちろん意思消沈したが,経営学分野になると「マルクス経済学」に相当する「マルクス経営学」は,いまではすっかり影を潜めた。

 しかも,その最先端の立場から担い手であったはずであり,革新派のつもりであったはずのお歴々たち(名だたる経営学者たち)が,どういうわけかその後,いつの間にか雲散霧消したかのごとき経過をたどっていた。

 本日のこの記述でとりあげる,戦前・戦中に東京帝国大学経済学部で経営経済学を講じていた中西寅雄は,1931〔昭和6〕年に『経営経済学』を,日本評論社から公刊していた。同書は,日本評論社が企画した「現代経済学全集」の第24巻となって発売されていた。

中西寅雄・画像


 ※-1 問題意識-学問の党派性-

 日本における経営学の歴史上,いわゆる批判(的)経営学の嚆矢となった中西寅雄は,「個別資本運動説」を創造した。中西は,マルクス主義者ではない立場からマルクス主義経営経済学の理論体系を構築しようとした。

 ところが,当時から日本の経営学者は,それも自身がマルクス主義的経済科学の立場に立つ場合,党派観念的な見地でもってイデオロギー的に引きつけて判断し,中西「理論」は〈仲間うち〉とみなせる志向を有していたと勝手にみなしていた。

 その認定の仕方は,学者とその学説を〈どちらか〉に人別していなければ済まない認識性向を堅持していたらしい,マルクス主義学派の人々の性癖がよく表わされていた。

 だが,中西寅雄は戦後になってからは,自説の学問理念的な立脚点を明確に説明していた。戦前にあっても,上記のマルクス主義者たちとは一線を画していた事実をしめす著作,『経営費用論』1936〔昭和11〕年を刊行していた。

 ところが,中西の『経営費用論』1936年が『経営経済学』1931年から前進してみせていた理論内容の展開模様は,マルクス的な理論を追究してきた経営学者たちをいたく嘆かせ〔「裏ぎった!」〕,これに対して,いわゆる近経的な立場を採る経営学者たちは歓迎の意をしめした〔「転進してきた!」と〕。

 筆者は,中西寅雄「経営経済学説」に関して勉強していくうちに,以下のごとき一定の特徴に接しうることになった。

 中西理論に向かっては,マルクス(主義)経営学の立場からする誤断を犯したうえで,中西寅雄の経営学説を批判する事例が多かった。筆者がいままで接しえた経営学者は,日本の経営学史に関する粗雑な学習をもとに,中西学説の裁断を大胆にもおこなっていた。

 しかも,その裁断がくわえられた「中西理論における〈転回〉」の論点は,経営学の基本認識にかかわる「転向」問題であると捕捉され,しかもこれをやみくもに断罪するやりかたは,マルクス主義思想を信奉する批判的経営学者の陣営においては,一時的ならずたいそうはやっていた流儀である。

 『経営費用論』〔1936年〕以後の中西教授が完全な技術論的経営学者に移行転落せられたことは周知であるが,そのようなプロセスを教授をして辿らしめた理論的因子は,教授が完全な個別資本論者としての姿勢をとっておられたときにすでに,価値形態論の論理の把握において不十分であったという点において,はやくも胚胎されていたのである。

 註記)三戸 公『個別資本論序説(増補版)』森山書店,昭和43年,125頁。

三戸 公による中西寅雄批判

 前段の指摘は三戸 公という経営学者が,中西寅雄の「個別資本運動説」理解に対して向けた批判であったが,「価値形態論の論理の把握」が「不十分であった」という指摘は,中西自身にとってみれば,それほど重要な議論にはなっていなかった。

 なお,価値形態論 とは「マルクス経済学の最も基本的な理論の一つ」である。商品は価値と使用価値という両要因からなるのであり,商品の価値は他の商品の使用価値との関係でしか表現できないという,相互のあり方から出発して貨幣形態の生成を解明する理論のことである。 

価値形態論

 しかしながら,「正義と真理は我のみにあり」と妄信でき,マルクス主義の思想に与しない理論は評価するにあたらず,とするような姿勢は「学問」的とはいえないはずであったが,ソ連邦瓦解以前の斯学界においては,残念なことにこの手の発言は,常套句的に頻繁に飛びかっていた。

 ある種,相手の学問的な立場を全面的に否定するための殺し文句として,そのせりふが非常に便利な修辞として常用されていた。

 中西寅雄「経営経済学説」の意図したものはなにかということを,どのような「特定の視座」から分析するにしても,もっと虚心坦懐に理解したうえで,その特質なり問題点を論議しなければなるまい。

 そうではなく,いきなり,当該学説理論がマルクス主義の思想に立たないものだから,あるいはそれからはなれていったものだから「ケシカラヌ」というような口吻は,もとより冷静な学問の論議ではなかった。

 要するに,中西寅雄「経営経済学説」は,「けっして根底からマルクス経済学の展開を意図したものではなく,むしろ広くドイツ経営経済学の問題意識をマルクス経済学でもって基礎づけんと意図したものであった」という的確な指摘を,いかにうけとめ,深化させて議論していくかにある。

 註記)この指摘は,吉田和夫『ドイツ経営経済学』森山書店,1982年,208頁。

 本稿の基本的な問題意識は,中西学説の理論特質をその生成過程に未着しつつ再考しようとするものである。とくに,中西の理論営為をかこんでいた時代背景は,社会思想・経済史・産業史・経営史などの流れに即してもう一度みなおされ,その発想の底辺にさぐりを入れるべき学的作業が要求されていたのである。

  

 ※-2 中西寅雄『経営経済学説』1931年の特性

  第1項 『経営経済学』第1章「経営経済学の本質」

 中西寅雄『経営経済学』1931年は,従来のあらゆる経営経済学の批判によって,新たに私経済学を樹立することを任務としていた。しかもそれは,一定の国民経済学の理論を基礎としてのみはたされる,と述べていた。

 中西が「この企図への準備的な覚書に過ぎない」と断わっていた「問題提起の契機」は,その後における日本個別資本運動説を展開させる画期となったのである(中西『経営経済学』序言1頁参照)。

 中西の立場は「マルクス主義経済学に従って」いた。経済学の対象である生産諸関係,またその総体としての社会の「経済的構造」は,まず第1に人間と人間とのあいだにむすばれる社会的関係であり,人間と自然との直接的な関係ではない。その意味において,使用価値の生産過程は,それじたいとしては自然的過程としての物質的生産であるから,それは工芸学の対象であっても,社会科学としての経済学の対象ではないと断言する(同書,3頁,4頁)。


 まず「理論経済学」の任務は,資本の法則を,詳言すれば,資本の直接的生産過程・流通過程・再生産過程ならびに一般に資本家的生産の総過程の法則を闡明することである。資本とはなんぞや?

 それは「剰余価値を生む価値」である。それは,価値たるかぎりにおいて,商品生産一般の社会関係の表現であり,剰余価値を生む価値たるかぎりにおいて,階級関係の表現である。

 資本家的生産諸関係は,このふたつの統一であり,それを具現するものは資本である。資本家的商品の生産過程は,商品の使用価値と価値の対立物の統一たる二重性にもとづいて,労働過程と価値増殖過程との統一である。

 それでは剰余価値はどこから生じるか。それは人間の労働力である。労働力の価値とは,労働力を生産し発達せしめ,維持し永続せしめたるために必要な生活資料の価値である(同書,15-16頁,13頁,14頁,13頁,14頁)。

 つぎに「理論的経営経済学(又は私経済学)」は,個別的資本の運動を抽離して考察する学である。だがその考察は,社会総資本の運動法則を闡明する不可避的な過程にすぎず,したがって社会総資本の運動法則の探求を究極の任務とする社会経済学の1分科たるにとどまる。

 社会総資本は不可避的に個別的資本の研究を必要とする。けだし個別的資本の研究を媒介とすることなしには,社会総資本の研究は不可能であるからである。このように中西は,理論的経営経済学(私経済学)は理論的社会経済学の1分科であり,「全体と部分の関係に就いての唯一の科学的な見解である」と述べる(同書,24頁,23頁)。

 さて,この理論的経営経済学は個別的資本の運動を対象とする。個別的資本の運動は,その「意識的担ひ手」としての個々の機能資本家(または企業家)の諸営利活動として現われ,これらの諸活動はその総体において企業または営利経済を構成する。したがって経営経済学の対象としての経営経済は,企業または営利経済を意味する。

 経営経済学が経済学である以上,技術的生産単位としての経営が,それじたいとしては最初より問題とならない。使用価値生産過程はそれじたいとしては工芸学の対象であり,それが経営経済学の問題となるのは,単に価値増殖過程の一般的条件たるかぎりにおいてである。すなわち,経営経済学の対象であるいわゆる経営経済は,技術的生産単位としてのいわゆる「経営」ではなく,企業または営利経済である(同書,25-26頁,26頁)。

 以上,中西の理論的経営経済学に関する立場は,こうまとめられる(同書,29頁)

  1)  理論的経営経済学は経済学である。経営経済現象は人と人との関係であって,人と物との関係ではない。この意味において,工芸学としての「経営学」は最初から問題とならない。

  2)  理論的経営経済学は経験科学である。それは実在する事実の認識に関する学である。この意味において,経営経済の実践的目的達成の手段に関する学,すなわち経営経済技術論または政策論は理論的経営経済学ではない。 
  3) 理論科学の意味を厳密に解する。それは因果法則発見的の科学である。

 中西の唱えたところの「技術論としての経営経済学は,結局,『利潤追求の学』Profitlehre か,工芸学 Technologie のいずれかに属するものと考える」のは,経営経済の実践的目的を追求している「その階級的な地位の故に日常的な経験に跼蹐せざるを得ない資本家は,……自己を規律する社会的な経済諸法則を認識し得ない」ものであり,また「この意味に於て資本家の資本家としての活動は,不自由な,従って又この意味に於て無意識的な 活動に過ぎない」,さらに「それは活動ではなくして現象である」からである(同書,55頁,47頁)。

 それに対して,経営経済学は,個別的資本の価値増殖過程を研究する私経済学または企業経済学である。この企業を対象とする理論的経営経済学(より厳密には私経済学)は社会経済学の1分科であり,相対的独自性をもつと同時に,社会経済学に包摂されるかぎりにおいて,絶対的独立性を拒否される(同書,57-58頁)。

 したがって,中西『経営経済学』第1章「経営経済学の本質」は,その冒頭の部分において,こう定義することになった(同書,2頁,2-3頁)。

 私は理論的社会経済学に並列した意味に於ける理論的経営経済学の存在を否定し,所謂理論的経営経済学(又は私経済学)は理論的社会経済学の1分科として之に包摂せらるべきものであると解する,此場合,私は理論科学を厳密に解し,之を「因果法則発見的」の科学に限定する。同時に私は経営経済学は経済学であって其他の学であってはならぬと云ふ前提に立ってゐる。

 私見に依れば,所謂理論的経営経済学(又は私経済学)は斯かる個別的資本の運動をそれ自体として研究する学である。が,同時に,個別資本の運動は社会総資本の運動の構成要素であり,而して構成要素たるが故に又全体的としての社会総資本の運動に総括せられ統一せられる。

 この限りに於て個別的資本の運動の抽離的考察は独自の意義を有せず,社会総資本の運動法則をその統一性に於て闡明するを究極の任務とする社会経済学(又は理論経済学)に包摂せられ,その1分科たるに過ぎない,と云ふのが私の見解である。

経営経済学の本質


 中西「経営経済学説」の立場は,企業を対象とする「理論的経営経済学」〔これは相対的独自性を認めるもの〕と,経営を対象とする「技術論としての経営経済学:利潤追求の学:工芸学」〔これは経済学では最初から独立性も独自性も問題とならないもの〕との組み合わせをもって,示されていた。

 この見解は,マルクスのいう,経済学上の物神崇拝(Fetischismus)に依拠したものである。それは,人間関係が物の関係をとって現われるということは,商品生産の独自な社会現象であるにもかかわらず,その超歴史的な・自然的な社会的性格と考えるところに商品の物神崇拝が発生することになる,というものである。

 だから中西は,「商品生産の独自な社会現象」に関して「理論的経営経済学」の「相対的独自性」を認めるが,「超歴史的な・自然的な社会的性格」に関する「技術論としての経営経済学:利潤追求の学:工芸学」のそれは,最初から認めないと主張していた。いわば「理論的経営経済学」と「技術論としての経営経済学:利潤追求の学:工芸学」との組み合わせでは,「学問的な『対の関係』」は認められない,と借定したのである。

 「マルクス主義経済学に従って」いた,中西〔『経営経済学』1931年〕の立場は,正統派マルクス経済学の思考方式に依拠するものである。それゆえ,同様な立場に立つ論者は即座に,その中西の経営学観に賛同の意を表わすこととなった。

 たとえば安部隆一は,こういっていた。

 「もし『経済学』と区別される『経営学』があるとし,そしてそれが科学の名に値いするとすれば,『経営学』はここにいう『技術学』を核心とするとする他はない。凡百の『経営学』体系はしばらくおく。それらへの批判は極めて容易である。個別的資本の運動を以て『経営学』の対象なりとする学説については,一言せざるを得ぬ。それは個別的資本と総資本とを機械的に切り離す結果に陥ることにおいて支持し得ない。このことの論証もまた容易である。ここに詳説せずまたその必要も認めない」。

 註記)阿部隆一『「価値論」研究』千倉書房,平成5年,257頁。引用箇所の原文初出は,1948年8月29日稿で,『経営評論』昭和23年11月号。

 またたとえば高木隆造は,こういっていた。

 学知の要件は,まず分析対象の存立根拠・本質関係の認識にいたる認識の体系性と,それに照応する認識の表現たる叙述の理論的体系性である。その体系的認識のなかには,その対象の存在を合理的なものたらしめている,不可避性たる法則認識がふくまれる。存立根拠の追求として分析の道をたどり,法則的な本質関係の認識にいたり,そこから逆に現象世界へむけて叙述の道をたどる経路は,諸概念の論理連鎖でしかない。

 経営学は,その規定性からこの学知の要件を満たすことはできない。資本の存在を自明と前提し,その存立根拠を問わないものである以上,本来,学知的論理体系性は不必要であった。経営といい経済といい,それらは社会的関係内のものであって,社会=間主観の本質認識は論理でしかない。

 だから,個別・分断として映現する物象の表現である数字などで,蓋然性を実証するのは法則認識とはいえない。かくして,経営学は近代的学知のものでも学知領域のものでもない。いな,あってはならない。逆に,これらの領域外のものであるがゆえに,巨大なインパクトをもつこととなったのである。

 経営学は,経営のための学,資本の経営行動の観念的表現である。経営現象を対象とするものすべてが経営学ではなく,経営の観念的表現のみが経営学と呼称される。

 G-W-G’ の最大生産力にもとづく実現という資本の全構成の統一的認識と統一的自己統制の統一原理が,経営を統べる原理となり,その観念的表現である経営学を統べる原理となる。その意味で,経営学は,学知的伝統と蓄積をもたない,資本の自己認識の限界を一気にやぶる生産力展開をなしえたところに発生するほかない。

 経営学を,経営の経済学,企業経済学とすることで学知的認知をえようとする論に最終的な回答を与えておこう。この論者が依存する学知としての経済学そのものが拒否されなくてはならず,そのため,経営経済学たるその分科そのものの成立が否定されなくてはならない。

 註記)高木隆造「『経営管理論』研究の一視角」,明治大学『経営論集』第36巻第3・4号合併号,1989年3月,147-148頁,146頁,148頁。

 中村福治がさらに,こういっていた。

 中西は,科学的な経営学の建設が可能であるとはけっして考えてはいなかった。あくまで物神性論を基礎にすえた経営学批判こそが本意であった。中西『経営経済学』に対する,もっともするどいかつ重要な批判が,中村常次郎の個別資本説であった。しかし,物神性論と個別資本説とは両立するかどうかといえば,両立不可能であると考える。

 なぜなら「企業家的認識が顚倒的矛盾に満ちてゐ」ることを「指摘」せず,個別的資本の具体化にのみ「満足」することこそ,資本主義の原理的批判,ファッショ的学知の斯瞞的性格の暴露から逃避することであり,したがって,それはマルクス主義的な扮装を凝らした一種の戦時下の学問の転向形態と考えなければならない。馬場克三の個別資本説もしかりである。

 北川宗蔵の経営学批判こそ,中西の物神性把握を正統にうけつぎ,それを発展させ,ファッショ的イデオロギーに対する批判となったのである。北川の,戦後の唯一の論文である「経営学の本質および類型に関する基本的考察」(*1)が,

 個別資本説に傾斜するとうけとられかねない表現=経営学の対象規定として個別資本を設定したこと,ならびにひとつの類型としての批判的経営学の提唱をおこなったことが,いっそう,経営学界における個別資本説という不毛な流れをおおきくし,物神性論からの経営学研究という方向を閉ざすこととなった(*2)。

 註記 *1) 北川宗蔵「経営学の本質および類型に関する基本的考察」,大阪市立大学『経営研究』第12号,昭和28年10月。

 註記 *2)  中村福治『北川宗蔵』創風社,1992年,96-97頁,98頁。中村は本文中の北川論稿題名を誤記している。


 以上3者の経営学「批判」論は,共通した理論を有している。それは,経済学上の物神崇拝(Fetischismus):物神性論であった。この論理にもとづき彼らは,経営学の社会科学性を絶対に認知できないと判定していた。正統派とみられるマルクス主義経済学者としては,当然の論断である。しかしながら,彼らの議論には問題がある。

 最初に触れた安部隆一の議論は,該当する論文の脱稿時期からみて,明らかに中西寅雄の「個別資本運動説」のみを念頭においていた。そこでは,馬場克三や中村常次郎,そして三戸 公などは除外されているだけでなく,その後の関連する論者たちの業績も圏外にある。したがって,安部の議論は,歴史的なひとつの見解として把握するほかないものである。

 2番目にとりあげた高木隆造の場合,「中西寅雄氏以降の個別資本説」,「上部構造説をふくむすべてのマルクス経済学の立場に立つ経営学研究のこと」に関説しつつも(高木,前掲稿,156頁,注16),馬場克三や中村常次郎,三戸 公以外の,その後の個別資本運動説に関する論者たちの研究には,具体的に言及するところがない。

 筆者からみると,これは不可思議な現象であった。高木の論稿公表の時期でいえば,関連する業績をあえて無視したか,そうでなければ,それに当たらなかったかである。そのいずれにしても,学究としては問題ありといわざるをえない議論のしかたである。

 3番目に登場させた中村福治は,かなり辛辣な表現をもって,馬場克三および中村常次郎の「学問的取り組みは大学,高商等の高等教育機関の経営学担当教授である限り,経営学の存在理由を示さねばならないという身分意識・縄張り意識に発したものである」と断罪していた(中村,前掲書,97-98頁)。 

 筆者は,馬場克三や中村常次郎が,戦前の官立高等教育機関の経営学担当教員として,いかなる「身分意識・縄張り意識」をもっていたかをしるよすがをもたないし,学史研究のうえでも,中村福治の示したような解釈を裏づける論拠を,いまのところまだみいだせないでいる。

 上述の,3名の批判者にあらためて問いたいのは,中西はともかく,馬場と中村がつぎのように発言していた事実を,どのようにうけとめたらよいのかという点である。

 ◎馬場 克三 ……資本主義における生産は,いうまでもなく資本家的商品の生産として現われる。ところが,この商品は一面使用価値であると同時に,他面交換価値である。価値であると同時に物でなければならない。ところが企業家はその生産する商品が交換価値であることは知っていても,それが何びとによって,どのような使用価値として役立つかということを知らない。

 商品は具体的に使用価値となってこそ意義があるが,企業家にとっては,それは二義的であって,ただ交換価値のみが追求される。これが商品に具体的に表現されている資本家的生産の矛盾である。個々の経済活動が商品を取扱い,そしてまた商品から発展して生れた貨幣を媒介として行なわれているかぎり,個々の経済活動は,すべてその体内に資本家的生産に含まれている一切の矛盾を宿している。

 この矛盾は,やがて発顕して経済現象となる。しかも,この経済現象は,個々の経済活動に対して外部からこれを支配するところの強制力として個々の経済主体の上にのぞみ来るのである。

 他方,物価の現象や景気現象は個々の経済主体や経済活動からは全く隔絶した独立の外的現象であるかのようにみえるのであるが,しかしその経済現象のもとをたずねると,それは意識的,計画的と考えられた経済活動の中に,意識されないで可能性として潜んでいたところのものである。どちらからみても経済現象と経済活動とは根源を同じくするものなのである。

 経済活動が意識的,計画的であるといっても実は,このように経済現象としてやがて発顕するであろうところの自らのうちに含まれている矛盾の意義については企業家は意識する能力をもつものではないし,また計画的,意思的にこれを統制することのできるものでもない。

 しかしその反面,その内包する矛盾を意識しえないがゆえにこそ,企業家は自己の経済活動を自由な,計画的な,統制可能な行動と考えるのである。たとえそれが上記の意味において一つの錯覚であろうとも,それは一つの現実である。経営学はこの地点において問題を与えられるのである。

 註記) 馬場克三『経営経済学』税務経理協会,昭和41年,11-12頁。

 馬場のこの見解は,「資本家のこの活動は無意識的な活動に過ぎない」「それは活動ではなくして現象である」という中西の見解を乗りこえ,経営学の研究対象が本質と現象の領域にわたって存在するという提唱になっている。しかもそれは,物神崇拝;物神性論をふまえている。

 ◎中村常次郎 ……われわれの科学は,単に人と人との関係を対象とするものではなく,物を媒介とする人と人との関係を対象とするものであり,従って其の質的規定性のみならず,その量的規定性をも問題とするものである。夫れは,其の対象が質的存在である許りでなく,同時に量的存在であることから必然的に由来するものである。

 随って,此の関係の研究は,われわれの理論の本来の課題である必然的因果関係,質より量へ,また量より質への必然的転化関係の追求に対し,その量的条件乃至構成の点に関して認識をより精密なものとするといふ,手段的又は補足的役割を担ふものであり,夫れ以上の意義を有するものであり得ないのである。

 註記)中村常次郎『経営経済学序説1』〔福島〕文化堂,昭和21年,18頁。

 マルクス主義経済学者に,この2文章のもつ含意を,わざわざ教える必要はあるまい〔釈迦に説法!〕。上述の3批判者は,のっけから経営学という学問の存在は認められないという前提に立ち,また予断的にそのことを結論しているかのようでもある。

 中村福治は,馬場克三と中村常次郎の経営経済学構想を評するに,「マルクス主義的な扮装を凝らした一種の戦時下の学問の転向形態」と断定していた。

 しからば,馬場と中村の両名はいかなる理論展開をもって,「マルクス主義的な扮装を凝らした一種の戦時下の学問の転向形態」の軌跡:その歴史的過程をのこしてきたのか。その実際的な論拠を具体的に提示してほしいものである。 

 筆者の研究の範囲内でいえば,「一種の転向」問題という論点が,馬場と中村のばあい適切に設定できるとは考えていない。

 また中村福治は「物神性論と個別資本説とは両立不可能である」という。しかし,そうかといって,その根拠を,物神性論と個別資本説〔とくに後者の検討が欠けている〕とを十分に関連させて,しめしているわけではない。これもただそうだと断定しているだけのことである。

 くわえて,中村福治と学問思想の面ではまったく同じ立場に立つであろう,上林貞治郎の「経営経済学説」などはいったいどのように解釈されるのか,これもぜひ聞きたい点である。

 参考まで,物神崇拝:物神性論にかかわって,三戸 公の個別資本運動説を,ここに紹介しておく。

 資本を価値的側面と使用価値的側面の矛盾と統一において把握するということ……。この二重性把握によって,はじめて,使用価値的なものによってふりまわされた理論,人と人との関係が物と物との関係としてあらわれる幻想にひたっている理論を批判することができるのである。まさに,二重性把握こそ,批判経営学の方法であらねばならない。

 個別資本の運動は,価値的側面の主導性のもとに使用価値的側面が統一合体されているのであり,価値的なものが使用価値的なものに担われ,それを媒介として自己の本質を転倒させたかたちで自己を現象せしめているものである……。本質と現象との転倒関係を個別的・具体的にその内部連関を把握・暴露するところに,批判的経営学の真骨頂があるのである。

 註記)三戸『個別資本論序説(増補版)』294頁,242頁。 

三戸 公の考え方

 筆者がここで注意したいのは,高木隆造が「学知的伝統と蓄積をもたない,資本の自己認識の限界を一気にやぶる生産力展開をなしえたところに経営学は発生する」といっていた点である。

 その主張は,社会主義体制の至上的優位性を確信する学者が,社会主義経営学の到来を高らかに謳った,つまり,マルクス主義者だけが本来構想しうる「経営学」以外,この学問の将来はありえないと確信した〈絶対的な観念論〉である。

 ここでは,久慈 力『チェルノブイリ黙示録-原子力国家の崩壊-』(1987年)から,つぎの引用をしておく。

 ソ連経済の原理は,より高度に生産力をあげること,より高度に科学技術を発展させることと,これを基盤にして共産主義社会をつくりあげることである。このため〈革命〉後,工業による農業の収奪が開始され,重化学工業とそれを指導する専門技術者が優遇され,欧米資本主義国から先進技術が輸入され,生産力の向上がはかられた。

 そしてその過程で,特権的官僚,専門家層が形成され,国家機構が肥大化し,大自然が破壊され,諸民族が抑圧され,民衆の自由が剥奪された。「社会主義」「共産主義」の名のもとに,収容所国家といわれるほどグロテスクな社会体制がつくりあげられた。

 理論上は生産力至上主義,科学技術至上主義といっていいほど「生産力の向上」「科学技術の発展」が声高に叫ばれてきたが,中央集権的,官僚主義的経済運営によって,それさえもはかばかしいほどの成果があがっていない。労働意欲の欠如,農業生産の不振,軍事費の重圧,技術革新の停滞,対外競争力の低下,貿易収支の慢性的赤字,生産管理の硬直化,生産財の浪費,消費財の不足等,ソ連経済の欠陥は構造的なものである。

 ソ連の原子力開発がストップする時があるとすれば,国際収支の悪化,国家維持費・軍事支出の増大による国家財政の破綻,原子炉事故・核兵器事故・大規模核戦争の発生,被抑圧民族・被支配人民の決起によって,現在の国家官僚支配・共産党独裁体制・社会主義制度(実際は国家資本主義制度)が崩壊したときであろう。

 註記)久慈 力『チェルノブイリ黙示録-原子力国家の崩壊-』新泉社,1987年,85頁,90頁。

 いうまでもないが,この指摘から3年後(前後)にソビエト連邦は崩壊する。

久慈 力


 

 ※-3 第2項 『経営経済学』第2章以下

 中西寅雄『経営経済学』から,第1章「経営経済学の本質」と第6章「株式会社」を省略して,その章節構成と個別資本の運動の対応関係を表わしたのが,つぎの表〔3-1〕である。この表を念頭におき,『経営経済学』第2章以下の叙述をのぞいてみたい。

中西寅雄『経営経済学』概要

 中西『経営経済学』の第2章「個別資本の生産過程」は,第1節で労働過程と価値形成(増殖)過程,第2節で経営と企業,第3節で資本制経営の諸形態〔経営組織〕をとりあげる。

 個別資本とは,資本の自己増殖運動において,独立化された単位資本である。

 企業の本質は,経営の使用価値生産の技術的単位体に対立して,価値生産の経済的単位体であることにある。このかぎりにおいては,企業は経済と本質的に異なるなにものも有せず,したがって経営と企業との対立は,経営と経済との対立にほかならない。

 経営は物の組織体である。それは,人と人との関係である企業(経済)に対立するものである。経営そのものは,ある意味において,諸個人の人間関係をそのなかに含むこととなる。

 企業は,それじたいのなかに,価値生産の組織体としての経済的性質と,剰余価値生産の組織体としての資本家的性質とを具有するがゆえに,それは単に商品生産としての歴史的形態をもつのみならず,さらに特定的に資本家的商品生産としての歴史的形態をもつ。

 営利性の本質から企業を特質づけるならば,それは,価値形成の過程と増殖の過程との対立とすべきである。したがって,この観点よりすれば,生産単位も財務単位もともに,より厳密にいえば両者の綜合観念である経営経済じたいが,非企業と企業とに分かたれるべきである。

 要するに,経営は一般に経済の基礎であり,経済を条件づける。が,反対に経済によってまた反作用をうけ,その特殊な歴史的な性質をも具有するにいたる。資本制生産においては,したがって,経営は企業の基礎であり,企業を条件づけるが,反対にまた企業によって反作用をうける(中西『経営経済学』59頁,69-70頁,71頁,74頁,88頁,89頁)。

 こう述べたあと,第2章は,マニュファクチュアと工場,労働の強度化と賃銀制度,テイラーシステム,フォードシステムを批判的に分析していく。

 つぎに,第3章「個別資本の流通過程」は,流通過程における資本の〔単純なる〕諸機能および異種的付属的諸機能を述べる。

 個別資本循環の流通過程の考察は,従来の売買論や配給組織論と異なる。それは一方において,従来の売買論と異なって,技術的研究でなくして理論的研究であり,他方において,従来の配給組織論と異なって,市場機構そのものの研究ではなくして個別資本循環の流通過程の研究である。

 商人は,産業資本家より商品を買いいれるにあたって,生産価格以下の価格で買いいれ,それを消費者に売りわたすにさいして,生産価格をもって売りわたす。すなわち商人は,産業資本家の全部的剰余価値実現を妨げることによって,自己の利潤を実現する。これが産業利潤から区別された意味での商業利潤である(同書,159頁,190頁)。

 中西『経営経済学』のこの第3章に関しては,こういう論評がある。

 中西は,同書第3章「個別資本の流通過程」において,マルクス主義的立場から,あくまで個別資本の運動の一環として,商業資本家による商品および労働力の購入および商品資本の販売をとりあつかい,方法論的一貫性の観点からは問題を包蔵しているものの,当時のマーケティング論,配給論および日本の商品流通機構の実態調査の成果をたくみに利用した独自の見解を表明している。

 そこにみられるのは,「商業資本論」と当時の「配給論」の成果との「巧妙な」結合である。その結合はあまりに無媒介的にすぎ,また本来社会的に,一定条件の充足(流通費用・流通時間の社会的節約)を条件として,自立せしめられる商業資本の運動を,それだけ切りはなしてとらえようとする傾きをもっている〔先述の方法論的一貫性の問題〕。

 しかし,中西の論述には,戦後の商業経済論の基本的な枠組と範囲がほとんど包摂されている。戦後のそれが,これにいかなる新しい命題や領域を付加しえたかを探索することじたい,かなり興味あるテーマになるといえる。東京大学では,研究者の内部再生産体制を確立しえてないため,そこに人的系譜関係をたどることはむずかしい。

 註記)荒川祐吉『流通研究の潮流』千倉書房,昭和63年,137頁,139頁。

荒川祐吉

 さらに,第4章「個別資本の循環とその回転」は,個別資本の循環および回転の過程が,個々の資本家の目には,彼に要費した価値費消分すなわち費用と,これによって獲得した剰余価値すなわち利潤との関係として現象し,企業は,もっぱら価値の費消による,より大なる価値の獲得過程として現われる,個別資本の循環・回転および費用・収益に関する諸問題をあつかっている。

 本章のテーマは,経営経済学のいう「価値の流れ」の問題である。主に,G.H.ブリスとK.シュマルツの経営分析論に依拠して書かれている。
 
 そして個別資本の循環は,そのより現象的な,したがって資本家の通常の意識に反映する姿においては,

個別資本の循環図式

 つまり第4章は,個別資本の循環と回転,およびこの運動が資本家の目に反映するところの姿である費用と収益との関係について考察している。個別資本の現実の運動は,これをその機能形態的側面と単なる価値量的側面より考察することができる。前者は財産であり,後者は資本である(中西『経営経済学』229頁,311頁,347頁)。

 中西は,この第4章「個別資本の循環と回転」を発展させ,「費用,収益,利益の問題は,経営経済学の中心的基本問題である」として,『経営費用論』(千倉書房,1936年)を公刊する。

 同書は,個別資本の循環と回転(機能形態的側面),およびこの運動が資本家の目に反映するところの姿である,費用と収益との関係(価値量的側面)を考察するゆえ,必然的に現象論としての「価値の流れ」問題にもっぱらかかわる中身になっていた。

 その後の,研究者としての中西の遍歴は,この「価値の流れ」問題の領域をひたすら歩みつづけることとなる。マルクス主義経営学者が,中西を称して「転向した」と非難するのは,そうした中西理論の進展をとらえてのことであった。

 『経営経済学』に戻る。第5章「財産及資本の本質と其構成」にすすんでは,その主要な論述内容に関連して,こう述べている。

 本章において考察された諸問題は,いずれも個別資本の起動動機であり,終局目的である剰余価値を,資本家の直接的な意識に反映せしめたところの姿である利潤を枢軸として旋回する。この利潤に対する充用総資本の比率は,利潤率または企業の収益率である。

 この収益率の増大こそは,個別資本の直接的なアルファであり,オメガである。収益率の問題を,個別資本の最後の問題として考察するゆえんが,ここにある(中西『経営経済学』436頁)。

 そして,第6章「株式会社」は,個別資本の特殊な形態,およびそれによってもたらされ,展開されるところの個別資本相互の結合の諸問題を考察する。株式会社なる形態は,資本の集中と集積を媒介するモメントとなり,この資本の集中と集積の運動は,カルテル・トラスト・コンツェルンの形成においてその絶頂に達する(同書,445頁)。
 
 注意したいのは,この第6章は,中西『経営経済学』全体の分量〔本文462頁〕からみると,わずかなページ数〔18頁〕しか当てられていない点である。

 馬場克三が,中西『経営経済学』の最終章にすえられていた「株式会社」を,むしろ,冒頭にもってくるという「経営経済学の構想」をいだいたのは1937〔昭和12〕年ころであった,と述べている。

 註記)馬場克三『経営経済学』税務経理協会,昭和41〔1966〕年,序2頁。

【未 完】 「本稿(中編)」はできしだい,ここ( ↓ )に住所(リンク先)を指示する。
   ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/n17ced902933c

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