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菅 義偉首相(2020年当時)が学術会議新会員6名を拒否した問題(1)

 ※-1 首相不適格者であったが,その頑迷・固陋さならばいつも満開状態であった自民党議員が,一国の科学技術体制をまともに差配できるわけなど寸毫もありえなかったという話題


【前言】 この記述は昨日,2024年7月14日に用意していたが,同日中にはには公開せず,本日(翌15日)に「本稿(1)」として公表するつもりでいたら,同日中につぎの『毎日新聞』7月15日朝刊1面に報道された,アメリカでのテロ事件が発生していた。

 その事件はただちに,安倍晋三が2022年7月8日,選挙応援演説のために出向いた奈良市の近鉄大和西大寺駅北口前において「山上徹也の狙撃を受け死亡した事件」を,思いおこさせた。

 そのころの首相はすでに岸田文雄になっていたが,安倍晋三が首相であった時期,岸田文雄が外務大臣職に就いていた両者の関係は,完全に上下関係が構築されていた。そして,安倍晋三を長期間支えた官房長官が,あの悪名高き「日本民主主義の破壊者」菅 義偉であった。 

大谷のメジャー通算200号と並ぶトランプが狙撃されたテロ事件
日本の新聞紙だとこういった第1面の構成


 その菅 義偉が「仮病を使い首相の座を離れた安倍晋三」のあとを継ぎ,首相に地位の昇ったのは,2020年9月16日であった。だがその後,約1年間が経った2021年10月4日,菅もまた首相の座を離れた。

 安倍晋三風の「世襲3代目の政治屋」のように,という意味では低劣・悪質ではなかったけれども,「この菅」もそれなりにまた別様に,非常に劣悪でかつ低質になる(つまりやはり悪評判の)国家指導力しか発揮できなかった。

 すなわち,菅 義偉は,安倍晋三の稚拙かつ傲慢な為政によってすっかり痛めつけられてきた「日本の政治と経済と社会・文化など」の各方面における落ちこみぶり全般を,少しでも回復させるための方策を講じようとする意欲のカケラさえも,われわれに対して用意できなかった。その程度の人物でしかなかった。

どちらもどちらだった悪政の実行者
この人の目つきは半分死んでいた
「?」
この人たち日本の恥じゃなかったか?
問題ばかりだったこの人の官房長官時代

民主主義の理解などそもそも念頭になかった人

 菅 義偉は結局,「安倍晋三・後」の国家運営を漫然と継続するしか能がなかった。ただし,菅 義偉の冴えない,しかも強引だけがとりえだった采配のなかで唯一,「特筆大書」されるべき〈事件〉があった。それは「学術会議新会員6名拒否」の件であった。

 さきに安倍晋三がその模範を示してきたところだが,科学の任務や学問の必要性,理論と実践を相即的に発展させるといった研究上の課題など,なにひとつ判らぬ「政治屋(=分からん人)たち」として,しかもおのれのその自覚症状すらもないまま,意欲満々に「学術研究の世界をぶち壊してきた」となれば,すでに落ち目になっていたこの国の研究・開発体制が,それでなくとも遅滞気味を余儀なくされていた現状に,さらに手かせ・足かせをかけられるがごとき事態となってしまった。

 いまや「後進国日本」は,あえて強制的に学術研究面の不活発を強いられるほかなくなっている現状がより深刻化した状況にあるなかで,この残念なこの国の学問の世界に立ちこめていた暗雲は,ますます色濃くなって重く垂れこむばかりの様相である。

 内政と外交とを問わず,いまや「衰退途上国」へとそれも坂道を転がり落ちるかのように進行ちつつあるかのごときこの国家は,学術研究の真義や意味さえろくに理解できない凡庸未満・以下の「世襲3代目の政治屋」や「分からず屋の4流政治家」に引きずりまわれることによって,

 今後もますます「自国文明の没落過程」を加速させるごとき為政しかなしえない彼らのごとき存在物は,大学や研究機関に籍を置きそれなりに使命感を抱いて努力している識者にとってみれば,最悪・最凶の研究環境を強いる以外のなにものでもなかった。

 

 ※-2 2024年7月段階における日本の科学研究費などの現状

 アメリカの下僕も同然でありつづけてきたこの日本国の実態であるから,その指示に忠実にしたがうかたちで,2023年度から防衛省は5年間に必要な防衛費を総額48兆円程度だと見積もり,防衛力を5年以内に強化する政府方針をすでに,2022年11月の時点で決めていた。

 ただしその48兆円の大部分は,アメリカ政府(軍需会社からではなく)から非常に割高の価格(2~3倍はざらである)でもって,アメリカ製の兵器・武器を調達することになったというのだから,完全にベラボウなる「予算の確保とその執行ぶり」であった。

 まさに,アメリカ政府に国民から徴収した血税を上納するがごとき基本姿勢が,そこにはみえみえであっても,こちら側の為政者たちはただ唯々諾々の従順さでもって,宗主国のいいなりにこれからも,自国の財布の中身を吐き出していくつもりである。

 ところがある,この7月になって報道された防衛費予算関係のその後における執行状況は,「2023年度は1300億円を余していた」というのであるから,ドンブリ勘定というか,なによりも国民生活を完全に軽視した,つまり防衛予算(軍事費)だけを特別あつかいした国家財政の執行ぶりは,まるで戦時体制下の「臨時軍事費特別会計」を想起させる。

国民生活向けの予算のケチケチぶりとは対照的に
大盤振るまいした軍事費はもてあまし残した

 2022年2月24日であったが,「ロシアのプーチン」がはじめたウクライナ侵略戦争(特別軍事作戦と呼んでもいるが)によって,この「プーチンのロシア」が現在,どれほどに戦争経済体制の困窮状態にはまりつつあるかは,新聞・テレビの報道はともかく,ユーチューブの各動画サイトが,より迅速に関連する情報を与えてくれる。

 ロシアの「あの旧KGB出身だった狂気のウラジミール君」の話はさておき,だいたい1300億円も使い切れなかった(アメリアから兵器・武器を爆買いするために準備しておいた)というその予算を,まず初年から残す(もてあます)ようでは,ずいぶん,タワケテ・フザケタ,かつズサンな「国家予算の立案とその執行」であったことになる。

 国民生活はごく一部の富裕層はさておき,大部分の庶民層の日常はたいそう苦労させられている現状にある。2024年7月14日,『日本経済新聞』はつぎの記事を報じてきた。

岸田文雄君は賃金は上がっているみたいな発言をしていた
この人はその実感があるのかもしれないが

庶民の生活感覚でいえば
現実遊離もはなはだしい妄言インフレ率に

「賃金の伸びが届かぬ状況が続く」事実が厳然

 さてまた,ところがである,先週は防衛省関係でこういうニュースがドカンと出てきた。文字(活字)で紹介(引用)すると長くなるので,こちらも新聞記事など画像を活用して理解することにしたい。これでも,防衛大臣は辞職せず,首相の岸田文雄も人ごとのコメントだとなれば,この国の基本的秩序はすでに崩壊・溶融したも同然であった。

これは問題となった諸事件のひとつで
「不正飲食」などの関連
くわしくはつぎの『毎日新聞』の報道に説明がある
従前とは異なり自衛隊そのものが内部的に
差し迫った組織紊乱の様相

仮想敵国は日本海の向こう「岸」にではなく
まず獅子身中の虫として国内に潜伏している
防衛大臣も首相も厳重処分が必要だが
上にいくほど軽くなるかなにも処分なしとなれば

いまの自衛隊組織は火山爆発にたとえると山体崩壊も同然
防衛費(軍事費)はてんこ盛りだが
軍隊としての無規律はこのとおりユル褌同然だから

「長年にわたって放置されてきた事実」も感知不可能だった?
これで国家防衛の任務ができる?

 というようなわけで防衛省は,自省内にこそ潜伏していた「仮想敵に相当する諸集団」による「相当の不祥事」と,まずさきに戦いぬき,それらを殲滅しておく必要があったことになる。

【参考記事】-『日刊ゲンダイ』から(引用は『阿修羅 掲示版』転載を指示)だが,「オシマイである現政権がまだのさばっている」,このトンデモ国日本,チャチャチャ?-

 『時事通信』からこの記事を紹介したい。


 さて,ここからの話題が本日から論述する本題に近づくことになる。

 つぎの『毎日新聞』7月9日朝刊に掲載されていたこの記事は,以上のごとき防衛省予算の「ご主人様であるU.S.A. 様向けの大盤振るまい的な予算準備」とは異なり,ずいぶんみみっちい内容であった。実に対照的な現実問題を報じていたのである。

 ともかく,2024年度の科研費予算は2377億円だと書かれていた。2020年以降のコロナ禍や,2021年に遅延して開催された東京オリンピックなどで実際に記録してきた『大いなる無駄づかいの事実』(1兆円単位になるその金額じたい)も,しっかり追憶しながらこのニュースを読みたい。

これは教員の次元における研究費の話題だが
つぎの『日本経済新聞』「経済教室」の話題は大学学部に関した話題
もっともな要求だが冷たくあしらわれてきた

つぎの記事は就活問題にからめての意見
最後の段落にはこう書かれていた

本来は国がもっと研究開発に投資をおこない
大学院に進学して研究者となる魅力を醸成すべきなのだ

なにが当たるがわからないフロンティアを担当するのが研究だとすれば
投資対効果を求められる企業や法人となった学校では対処できない

それができるのは国だけではないだろうか

 以上,諸記事を紹介したが,最後の記事でその最後に書かれていた上記のごとき主張は,いまの国立大学が独立行政法人になっていた現状のなかで指摘されていた点に注意したい。

 断わっておくが,軍事費(防衛予算)はもともとが戦争のために浪費される予算で組まれるが,科学研究費は「生産のために費消される予算」を中身とする。だが,前段に紹介した記事のなかには,2024年度は「物価高と円安を考慮すると,実質的な平均配分額はこの10年で半額になった」という。

 軍事費は人を殺し,モノを壊し,地球すら傷つける戦争のために浪費される予算であるから,平和な時期における予算・経費であっても,そのもつ意味は完全に「真逆も真逆」であって,できればなるべく少ないほうがよい。

 もちろん,ロシアでいえばプーチンやスターリンのごときに,自分自身が疑心暗鬼にしか政治に関与できない独裁者は,歴史の展開のなかで何人も登場してきた。さらにヒトラーはその典型的な凶人であった。

 また「日本のヒロヒト」は,海外ではなんといわれてきたか。日本人が聞きたくはないその悪評だからといって耳を塞ぐようでは,正直かつ誠実な国際感覚は永久にえられない。ともかくも,そうした意見をありのままに拝聴しておく価値はある。

 補注)ところで,まだまだ微温的な感想文を書くに留まっていたのが,つぎの記事であるが,この『毎日新聞』の記事内容そのものは,ひとまず参考になる。皇室ヨイショのおばさまの記述だという印象〔この操作の混入あり〕が避けえない関連の記事であったけれども,これを承知のうえならば読んでみる価値はある。

 
 戦争経済は一体全体からして,国家体制を一挙に大金食い虫にさせる。この虫はしかも自分の身体中を共食い的に喰い散らかすのが,いつの時代にも共通する特技であった。戦争当事国というものは,戦時体制が深まるに連れてどのみち,いわゆる「縮小再生産」体制に入りこむほかなくなる。

 以上ここまでの記述は,2024年7月14日から15日に以下の※-3を更新して公表するにあたり,新しく書き下ろした部分である。すでにだいぶ長くなているので,つぎの※-3以下も含めて全体での記述は,1万字(画像資料は除外し,文字だけの計算)程度に収めるつもりで記述したい(と思っていたが最終的に1万3千字近くにまで増えてしまった)。

 ※-3 菅 義偉以前に安倍晋三は学術会議に対してどのような態度をとっていたか

【断わり】 ここからの記述が,2020年10月8日に増補,2024年7月14日に更新し,さらに本日改訂した形式で記述する内容となる。

 2016年に首相が安倍晋三であったとき,学術会議「第23期の補充人事」任命の件にさいし,当時の「学術会議が候補として挙げていた複数人」が官邸側から拒否されていた

 2020年にその「第25期の新会員6人」が任命されなかったとき,首相は菅 義偉に代わったばかりであった。

 この2人の政治屋は,第2次安倍政権のとき「悪代官と悪庄屋」的な悪者同士になぞえるのが,まさにぴったりの,反民主主義的なゾンビ・コンビであった。

 菅 義偉が首相になった(就任期間は2020年9月16日-2021年10月4日)その直後は,いよいよ「両悪の散華」がはじまりつつあった。

 補注)その間,安倍晋三は2022年7月8日にテロ事件に遭遇し,統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の被害であった山上徹也(いわゆる旧統一教会2世)が撃った手製散弾銃に被弾し,死亡していた〔とされるが,真犯人に別にいたという説が完全には排除できていない〕。

 さて,学術(科学研究)の大切さなどろくに理解できていなかった,この2代の自民党首相のために,日本の学問展開はさらに落ちこんでいる。今年も〔ここで2020年時点での話になっていたが〕も,ノーベル各賞が発表されている時期になっていたが,日本から受賞者は出たか?

 ウィキペディアの記述から,関係するつぎの解説部分を切りとり参考にしてみたい。

社会科学部門からノーベル賞受賞者が出ない点については
別途議論が必要かもしれない

ノーベル賞受賞者を輩出できるようになるまでは
科学研究を大事に大切しての長い年月がかかるが

日本における今後のその見通しを悲観する「既存の受賞者」がいた事実を
付記しておく

 以上のようにまず言及したところで,本記述全体に関する要点を以下のようにあらかじめ示しておくことにした。

  要点・1 本当の事実(真実)を研究してほしくない一国の最高指導者こそが,その国にとってみれば最大の有害人物。この範疇に属するとみなされるべき人物が,21世紀になった日本国においては何人も登場してきた。

  要点・2 戦時中(敗戦前)の旧大日本帝国時代,とくに社会・人文科学の分野に対する弾圧の記録は,なにを意味していたのか。敗戦後になっても1人として,経済学賞のノーベル賞受賞者が日本から出ていない〈実績〉は,その付近の背景・事情を物語っているのかもしれない。

  要点・3 というよりは「いまだけ・自分だけ・カネだけ」だった安倍晋三の前政権から菅 義偉の現政権になったところで,日本政治の一大特性である「ウソの,ウソによる,ウソのための政治」に,なんら変化なし。つまり,彼らには国民たちの安寧を願う気持など,頭の片隅にさえない。

 岸田文雄政権になってからも「パー券裏金問題」症候群にどっぷり漬かった連中が,しかもいまだに反省の色すらまともにみせない政界のありようは,亡国をわざわざ呼びこみたいかのような自民党政権の中枢部が,まさしく日本の恥部そのものになりはてている。そうした惨状がどこまでも馬鹿正直に具現されている。

  要点・4 故・安倍晋三が愚かにも作ってしまった専制的・独裁主義志向の為政は,民主主義の根本理念を充てて合理的に説明できる理屈など,なにひとつありえなかった。独裁志向になる強権政治となれば,これが正義だとか真理だとかいった理念や理想は介在する余地など,いっさいなくなる。

 分かりやすい実例国としてならばすぐに,ロシアのプーチン,中国の習 近平,北朝鮮の金 正恩などが挙げられるが,これらの国に民主主義の基本精神など,もとよりあるわけすらなかった。

 ロシアでの政治として,先日,国民が投票所にいって投票するその風景がニュースになっていたが,投票箱全体は底以外は透明に丸見えの造り,投票用紙も丸見え(記入している文字が読めるようなかっこう)になる状態でそこに入れていた。

 大昔になるが,北朝鮮で選挙がおこなわれたとき,なんの投票かはともかく,賛成の投票は白の投票箱,反対の投票は黒の投票箱に入れなさいという由。ごくまれに黒の投票箱に(自分の氏名でも記入してあるのか?)に投票した人がいると,その人は翌日か行方不明……。

 だから,北朝鮮の本名はやはり,朝鮮非民主主義反人民偽共和国。

 

 ※-4「ひとまずの前論」的な議論から開始する

 本日の(ここから始まる)記述は,今月〔2020年10月〕になって急に世間を騒がすある問題を提供した菅 義偉政権の「これだけはやってはいけない愚かな為政」をめぐってとなる。

 まず,その話題に深く関連していた「本ブログ」(旧ブログサイトにおいていったん公表してあった以前の記述)が,事後,未公表の状態になっていたままだったので,最初に,これを復活させることにした(※)

 そしてそのつぎに,今月〔2020年10月〕になって降って湧いてきたその問題「学術会議新会員6人を拒否した」,菅 義偉政権の「21世紀的に愚昧なアナクロぶり」に対しては,この首相自身の「教養のレベルが露見」(福岡県知事川勝平太)とまで裁断された点もとりあげ,批判的に検討をくわえてみたい。

 まずは,前段(※)に指摘したごとき「以前の記述」を復活させるところから,以下の記述をはじめる。

 付記)読者にはどうでもよい点になるかもしれないが,いちおう,原文が書かれた当初からの経緯を,ここであらためてメモとして残しておきたい。

 まず初めは,2009年6月2日(旧・々・々ブログ)に公表されていた。さらにそれを,2016年3月6日(旧・々ブログ)に更新していたが,ブログ・サイトを移動したさいに未公表に状態になっていた。

 そこで,本日〔といっても,以前の2020年10月8日〕において,「旧ブログ」に再度復活させ,公表させていたが,これもまたブログサイトの移動にともない,未公表の状態になっていた。

 ということで,本当の本当に以上のようになんども「公開⇒未公表」の状態を繰り返してきたうえで,本日(2024年7月15日)に4回目となるわけだが,再・加筆する相当量が大幅に増えることになった。というしだいなゆえ,これを複数回にかけて記述しなおくことになる。

 

 ※-5 論争したがらない日本の大学研究者,まともに論争もしないうちに安倍晋三流,そして菅 義偉流のファシズムが到来していたのか?

 さて,この記述が2016年3月6日(旧ブログの段階)で公表したさい「副題の文句」としてかかげていたのは,つぎの3項目であった。筆者の主専攻分野にかかわる話として,以下の記述は進行する。

 ▲-1 経営学方法論争はドイツやアメリカだけのものか

 ▲-2 日本経営学の論争回避の基本性格「和をもって尊しとなす」が謙譲の美徳?
 
 ▲-3 再び,安倍晋三によって国家全体主義の時代がやってきて,社会科学者がまともにモノをいえなくなる状況が生まれるかもしれない 

 安倍晋三(が首相であった時期)による日本の学問研究体制に対する不当な攻撃は,菅 義偉が首相になってもそのまま継承されていた。2020年にはつぎのごとき経過が発現していた。

 --2020年10月になったところで,急に社会の話題に登ってきたのが,菅 義偉の新政権が「官邸,安倍政権時の16年にも学術会議人事介入 差し替え求め,事実上拒否」『毎日新聞』2020年10月22日 22時34分,最終更新 10月3日 12時01分,https://mainichi.jp/articles/20201002/k00/00m/010/335000c と報道されたごとき問題を,なおも強引に継続させてきた事実であった。

 菅 義偉の政権も政治行動の基本としては,森羅万象的において粗暴であり,それゆえ野卑にでしかありえない為政に突進しつづけていた。上の記事を引用する。 

 科学者の代表機関「日本学術会議」が推薦した新会員6人を菅 義偉首相が任命しなかった問題に関連し,2016年の第23期の補充人事のさいにも「学術会議が候補として挙げ,複数人が首相官邸側から事実上拒否された」と,同会議の複数の元幹部が毎日新聞の取材に明らかにした。官邸側の「人事介入」が第2次安倍晋三政権のさいにもあったことになる。

 取材に応じた複数の幹部のうち,同会議元会長,広渡清吾・東京大名誉教授が実名で証言。自身が会長退任後の第23期後半,複数の会員が定年70歳を迎えたため補充が必要になり,学術会議が官邸側に新会員候補を伝えた。しかし,官邸側がこのうち複数人を認めず,候補者を差し替えるよう求めてきたという。学術会議側はこれに応じず,一部が欠員のままになった。

 広渡氏は当時,この「人事介入」をしり,強い危機感を覚えたと振り返る。広渡氏は,25期の新会員6人が任命されなかった点について「あってはならないことが起きた。23期にも前兆はあり,当時,いつかもっと劇的なかたちでことが起きるのではないかと思っていた」と語った。

 別の元幹部も「官邸側に候補者を伝えたさい,複数の人物について否定的な反応があった」と証言した。

 学術会議が推薦した105人中6人が任命されなかったことを受け,政府は〔2020年10月〕1日,「推薦者を首相が任命しなかったのは,現行制度になった2004年度以降では初めて」などと説明していた。

 官邸幹部は「学術会議の会員は特別公務員。追認ではいけないとの問題意識があり,数年前からやり取りを重ねていた。推薦は(105人より)多めに出すよう求めていたが,人数通りだったので,そのなかでやった。突然やったわけではない」としている。(引用終わり)

『毎日新聞』2020年10月22日

 本ブログ筆者は,以前の記述のなかである有名な文句を紹介した。これは,ナチス・ヒトラーの時代において「ドイツの知識人たちが記録してきた態度」を,敗戦後になってからだが,深甚の思いをこめて反省した表現であった。

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき,私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき,私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。

 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき,私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。

 そして,彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は,誰1人残っていなかった。
 
 補注)「学術会議,ナチス時代の牧師の言葉が現実に 森 達也さん」『朝日新聞』2020年10月6日 20時38分,https://www.asahi.com/articles/ASNB66QRRNB6ULZU011.html も, 日本学術会議をめぐる菅 義偉の問題に関連させて,前段の文言を引照していた。

『朝日新聞』2020年10月6日


 当時,前々の首相であった安倍晋三と前首相であった菅 義偉は,連続してともに犯してきていながら,彼ら自身はなんとも感じていなかったごとき「この国:日本における学問の世界に関した出来事」(事件)は,以上のごときドイツにおける過去の事例と突きあわせながら,この「学問の世界」において「各国に共通する問題」だとみなし,受けとめておく必要があった。

 だから,昨日〔ここでは2020年10月7日〕夜になって『朝日新聞』が報じた記事のなかには,

  ★-1「任命除外は『重大な事態』日本教育学会が緊急声明」『朝日新聞』2020年10月7日 18時19分,https://www.asahi.com/articles/ASNB75VTVNB7UTFK01H.html と警告するものや,とくに静岡県知事で学者出身の政治家である川勝平太は

  ★-2「『教養のレベルが露見』任命問題,学者知事が強く反発」『朝日新聞』2020年10月7日 18時24分,https://www.asahi.com/articles/ASNB761QMNB7UTPB00D.html などと,菅 義偉という首相の無教養ぶりを,完膚なきまで強烈に批判していた。

上段の左から
宇野重規・東京大学教授(政治思想史)
   加藤陽子・東京大学教授(日本近現代史),
岡田正則・早稲田大学教授(行政法学)

下段のは左から
芦名定道・京都大学教授(宗教学)
  松宮孝明・立命館大学教授(刑事法学)
     小沢隆一・東京慈恵会医科大学教授(憲法学)

【参考記事】-『読売新聞』から-

文中(追加した説明中)で「いまから1年前に」との表現は
現時点(2014年)からだと
「いまから2年前」に修正する必要があるので念のため


 要は,まともに日本の近現代史を勉強してきた者であれば,「この道がいつか来た道」である事実は,明々白々であった。それにしても,安倍晋三も菅 義偉も,政治家の立場としてなりに身に着けていたと思いたかったが,基本的な素養・知識をまったく欠落させた言動しか記録していなかった。

 ともかく,安倍晋三や菅 義偉を代表格として,「こんな人たち」ばかりが国家最高指導者になっていたのかとなれば,大学教員たちのみならず,国民たち・庶民たちの立場にとっても,これ以上の不運・不幸はない。

 補注)日本の学校における教育,とくに日本史の勉強のさせ方が,あたかも近現代史から逃避したかのような実情になっていた点は,いったい,なにを意味していたのか。あらためて考えなおすいい機会である。

 

 ※-6 学術活動の歴史的・社会的責任の問題

 本日〔は2024年7月15日となっているが〕は(もとは2009年6月2日からすでに語りはじめていた話題だったが),ここでは最初に,日本の経営学界内にみられた「学問的な組織体質」の一端をしるうえで,参考になる問題点を指摘してみたい。

 過去,日本の経営学史〔=経営学の歴史的な展開〕は,この学問全体および理論部門を発展・成長させるうえで,大いに資するはずと思いたい「論争としての学的な相互交流」を,満足に実現しえていたかと問うてみたいのである。

 たとえば,ドイツの経営学史を回顧すると戦前および戦後にかけて,第1次方法論争⇒第2次方法論争⇒第3次方法論争⇒第4次方法論争というふうに,学界全体を挙げるかたちで,

 経営学〔ドイツでは,Betriebswirtschaftslehre : 経営経済学〕という学問の基本的観点=本質・方法・対象などの諸点をめぐっては,それこそ侃々諤々の議論がゆきかっていた。それによって,ドイツの経営理論の新展開が打開されていく契機も提供されてもいた。

 なかでも,その間の1933年から1945年は,ナチスがドイツを支配する時代であった。当時,いかにもというか,完全にえげつないファシズム的経営理論が構築・展開されていた。

 だが,ドイツ経営学界はその足かけ13年の歴史に関して敗戦後,真正面から回顧し,反省し,批判して克服するための努力を避けてきた。戦争責任問題に論及したドイツ経営学の文献は,ごくかぎられている。たとえば,つぎの2冊がある程度である。

 ♠-1 Peter Gmähle, Betriebswirtschaftslehre und Nationalsozialismus, 1968. 書名の日本語訳⇒『経営経済学と国家社会主義』          
 ♠-2 Sönke Hundt, Zur Theoriegeschichte der Betriebswirtschaftslehre, 1977. 同上⇒『経営経済学の理論史』

 ドイツ経営学界の戦責問題に対する姿勢は,ドイツという国〔西ドイツから統一ドイツへ〕がナチス「によって」残虐な行為をした歴史的事実を認め,ユダヤ民族などをはじめ,周辺諸国にも謝罪をしてきた事実そのものに比較してみるといい。この論点に関してはむろん,まだいろいろ議論の余地もあるが,ここでは詳しくは触れない。

 だが,ドイツ経営学に関連する戦責問題の謝罪行為に関していえば,ナチ経営理論の残してきた負の業績は,ほとんどといっていいくらい放置されてきた。いうなれば〈沈黙の対象〉であった。

 ドイツ経営学においては〈謝罪=反省・克己〉という学問的営為は,まったくなされていない。だが,その点は日本の経営学もだいたい同じであって実のところ,その〈闇の部分〉はもっと深い。

 次段からは経営学界から離れて,より広い立場から戦責問題にかかわる特定だが,非常な有名人たちのその論点の実在を指摘しておきたい。

 1) クルト・ヨーゼフ・ワァルトハイム(Kurt Josef Waldheim,1918-2007年)

 ワァルトハイムは, 1972-1981年に第4代国連事務総長を務め,1986-1992年にオーストリア大統領を務めた人物である。第2次世界大戦前,国家社会主義学生同盟を経てナチス突撃隊の将校となっていた事実や,大戦中の1943年にユーゴスラビアで残虐行為を働いた部隊において通訳を務めていた事実が,戦後もだいぶ経過してから判明した。

 2) ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908-1989年)

 カラヤンもオーストリア出身の有名な楽団の指揮者である。ナチス・ドイツの時代,1939年にベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位をえている。アドルフ・ヒトラー総統主催の第9演奏会の指揮を務めたさい,ヒトラーから「君は神の道具だ」と絶賛されたという。

 3) マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger, 1889-1976年)

 ハイデッガーは,存在論的哲学を樹立した哲学者であり,日本でも多大な学問的関心を向けられてきた人物である。1927年,伝統的な形而上学の解体を試図した主著『存在と時間』をもって「存在論的解釈学」を構築した。

 彼は,1933年にドイツに第三帝国が成立したのち,『国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei,ナチス)』に入党する。フライブルク大学総長に就任したとき,『ドイツ大学の自己主張』(Die Selbstbehauptung der deutschen Universität)という演説をおこなった。

 ただし,ハイデッガーはナチス左派:突撃隊に共感を抱いていたため,ヒトラーによって突撃隊を束ねていたエルンスト・レームなどが粛清されてからは,ナチスに幻滅したといわれている。戦後,ナチスへの協力をきびしく問われ教職を離れざるをえなかったが,その後,カール・ヤスパースなどの助力によって大学に復帰できた。

 4)ヴィルヘルム・フルトヴェングラー( Wilhelm Furtwängler, 1886-1954年)

 ヒトラーがドイツ首相となった1933年,世界でもっとも有名なオーケストラのひとつであったベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は,経営的に厳しい状況に当面していた。当時,この楽団の指揮者フルトヴェングラーは,宣伝大臣ゲッベルスに援助を求めた。

 これを機にベルリン・フィルは「帝国オーケストラ」となり,ナチス・ドイツのプロパガンダの道具と化していった。ナチ党への協力と対立,ユダヤ人団員問題,「帝国オーケストラ」としての演奏旅行。そして,音楽の理想と戦争の影の葛藤のなかでドイツは敗戦を迎える。

 ところで,ドイツ経営学史にくわしい経営学者田中照純(立命館大学名誉教授)は,ナチス期における理論史は「とくにドイツ本国においては,ドイツ経営学の全体的な発展史(ドイツ経営学史)から排除されている」と指摘している(『経営学史学会第2回大会発表資料』1994年5月,於;滋賀大学)。 

【未 完】 明日以降に続編を公表する予定。

  「本稿(2)」はこちら( ↓ )がリンク先・住所。
      https://note.com/brainy_turntable/n/n668b50ac6b95

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【断わり】 「本稿(1)」は5回から6回までは記述が連続する予定である。「本稿(2)」は出来しだい,ここにリンク先住所を指示する。

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