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安倍晋三「戦後70年談話」と「天皇家の戦い」-昭和天皇は反省せず,その代わりに平成天皇が反省する姿勢-

 ※-0 2024年の5月になってだが,つぎのような安倍晋三関連の報道がなされていた

       ◆ 官房機密費「選挙で使わず」                        自民・鈴木氏が発言,根拠示さず ◆
  =『時事通信』2024年5月12日14時48分,                  https://www.jiji.com/jc/article?k=2024051200212&g=pol

 自民党の鈴木馨祐衆院議員は〔5月〕12日のNHKの討論番組で,官房機密費(内閣官房報償費)について「選挙目的で使うことはない。断言する」と述べた。発言の具体的根拠は示さなかった。鈴木氏は政治資金規正法改正に向けた党の作業部会座長。

 機密費をめぐっては,自民党政権で国政選挙の陣中見舞いに充てられたとする匿名の元官房長官証言を中国新聞が報じた。機密費は使途が公表されないため問題視されることも多く,昨〔2023〕年11月には石川県の馳 浩知事が東京五輪の招致活動に機密費を使ったとの趣旨の発言を行い,のちに撤回した。

『時事通信』2024年5月12日 官房機密費の報道

 さて,この記事を読んで思い出したのが,2016年秋から世間を大いに騒がせるに至った森友学園問題の展開のなかで,安倍晋三の女房昭恵が学園理事長の籠池泰典(この夫妻が経営する同学園側)に対して,100万円の寄付をしていた事実が話題になっていた。

 というのは,事後,その「金子の意味づけ」に関して,両者のあいだで一悶着が発生していたからである。もっとも,籠池泰典「夫妻」は現在,なかば国策捜査的な意味あいが濃厚であった国家権力側(検察がその手先)からそれこそ粗雑にあつかわれ,いま現在は夫妻そろって虜囚の身である。

 つぎに画像資料として紹介する『中国新聞』の2024年5月10日のコラム「〈天風録〉官房機密費の実態」の指摘は,籠池泰典夫妻との関連を直接に示唆する中身になっている。この記事のなかに出ている金額「100万円」という単位に留意したい。

安倍晋三は首相であったころ
花咲かじいさんのように
100万円という単位(称して「こんにゃく」というらしい)で
よく金をばらまいていたらしい

 
 森友学園問題から発生していった系列というか因果の問題としては,近畿財務局の職員赤木俊夫が巻きこまれたあげく,その状況関係を苦にしてとうとう自死に追いこまれる事件が発生していた。

 赤木俊夫(あかぎ・としお,1963年3月28日 -2018年3月7日)は,日本の国家公務員(財務省近畿財務局職員)であった。

 赤木は,森友学園への国有地売却をめぐり,決裁文書改竄の経緯を記した全518ページの文書(通称「赤木ファイル」)を省内に残したことでしられる。

 彼は,その改竄の作業を強要されたために事後うつ病を発症し,2018年3月7日に自殺した。その「赤木ファイル」はそれから3年後の2021年に開示されている。

自死した赤木俊夫

 2024年の時点での議論となっていきなり,つぎのごとき飛躍的な推理に走るほかないのだが,実はそのときの「(籠池泰典夫妻に昭恵が寄付した)100万円」も,本当は当時首相であった安倍晋三が官房機密費から「本来(?)の用途ではない支出」として費消されたおカネのひとつだったという推測:疑義が,最近,急速に浮上した。

 というのは,『中国新聞』が報じたように,安倍晋三はどうやら「自民党政権で国政選挙の陣中見舞い」にまで,その機密官房費をばらまいていのではないかという疑いが出てきたのである。

 その種の,つまり「国家を思う存分,好き勝手に私物化した」安倍晋三の,いわば,とても「為政などとはいえなかった振るまい」は,第2次政権時(2012年12月26日-2020年9月16日)において,さんざっぱら記録されてきた「事実経過」であった。

 

 ※-2 安倍晋三の第2次政権は日本を完全に退化させた

 安倍晋三の第2次政権時は,この日本という国が完全にまでダメ化させられた。アホノミクス(アホノミクス)とアベノポリティックス(死物化為政)とがの最悪の政治経済体制は,「初老の小学生・ペテン総理」(ブログ『くろねこの短語』命名)による日本破壊を意味していた事実は,2024年時点となってみれば説明する余地もないほど明快になった。

 たとえば,『朝日新聞』2019年7月6日は,「日本,独裁政権のよう」だと『ニューヨーク・タイムズ』が批判したと紹介していた。朝日新聞社は米紙のその指摘を借りるかたちで報道していたわけだが,自紙の見解として同じ批判をいえないところがなさけなかった。次段で直接,引用するが,この元記事のリンク先・住所はつぎのものであった。

 ⇒ https://www.asahi.com/articles/ASM7644NNM76UHBI00V.html

 ⇒ http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/349.html ( こちらは朝日新聞のその記事を転載していたウェブ・サイト )

 もっとも「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」の子ども総理大臣であった安倍晋三君には,自分が日本の最高指導者としてそのように観察される「目線」を集中砲火的に浴びていても,これをなんとも感じていなかったこと〔⇒感じるために必要な感性そのものが欠落していたこと〕も,また事実であった。

 前段に紹介した『ニューヨーク・タイムズ』の記事を,つぎに紹介しておきたい。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は〔2019年7月〕5日,菅 義偉官房長官が記者会見で東京新聞記者の質問に対する回答を拒むなど,そのメディア対応を指摘したうえで,「日本は憲法で報道の自由が記された現代的民主国家だ。それでも日本政府はときに独裁政権を髣髴とさせる振るまいをしている」と批判した。

 同紙は、菅氏が会見で東京新聞記者の質問に「あなたに答える必要はありません」と述べたエピソードなどを紹介。菅氏ら日本政府に対するマスコミ関係者らの抗議集会が3月に開かれ,参加した600人が「Fight for Truth(真実のためにたたかえ)」と訴えたことも伝えた。

   ♠ 嘲笑する政治が生んだ差別,同調圧力 安倍政権の6年半 ♠

 一方で,同紙は日本政府の記者会見をめぐる振る舞いの背景には「記者クラブ」の存在があると指摘。「記者らはクラブから締め出されたり,情報にアクセスする特権を失ったりすることを恐れ,当局者と対立することを避けがちになる」との見方を示した。

 日本政府のメディア対応をめぐり,海外の視線は厳しくなっている。言論と表現の自由に関する国連の特別報告者デービッド・ケイ氏は6月,日本メディアは政府当局者の圧力にさらされ,独立性に懸念が残るとの報告書をまとめている。(ワシントン=園田耕司)(引用終わり)

 このように,他人のフンドシを借りてしかまともに安倍晋三の第2次政権を批判できなかった日本のメディア・マスコミの弱腰ゆえ,いわゆる忖度報道以外なにもできなくなっていた報道機関の「腰抜けぶり」は,いまの2024年段階になっても,置かれている政治的な環境が全然変わっているにもかかわらず,まったく変わっていない。

 最近,大きな話題になっている「小池百合子都知事のカイロ大学卒業」に関した「学歴詐称疑惑問題」などはその典型的な実例であって,この問題をまともに報道した(たとえば大手の新聞紙)はない。この報道姿勢,その実態は,信じられないくらいの「日本のメディア・マスコミの弱体化」を示唆する。

 安倍晋三の第2次政権はその後もさらに維持され,その期間がなんと7年と8カ月が経った2020年9月16日になるが,検察庁側の動きを察知し,これを恐れた安倍晋三がようやく,みずから首相の座を放擲するまで,この国の政治・経済・社会・伝統・文化は,ひたすら破壊(腐敗・堕落)させられるだけの日々を余儀なくされつづけていた。

 森嶋道夫が『なぜ日本は没落するか』という本を岩波書店から公刊したのは 1999年であった。以前, “ Why has Japan succeeded: western technology and the Japanese ethos,Cambridge University Press,1982,日本語版は『なぜ日本は「成功」したか?-先進技術と日本的心情-』TBSブリタニカ,1984年という本も書いていた森嶋が,21世紀に入る寸前に警告したその「日本没落」論は,すでに「政治4流,経済3流」にまで転落したこの国の実情を,早くから的中させていた。

 本日のこの記述が,以上のごとき「2024年時点における日本の現状」をおおまかにでも把握したうえで,以下の本論としてとりあげる話題は,いまから約9年前の敗戦記念日に,天皇家と首相安倍晋三とが〈歴史解釈抗争〉としてたがい,それも冷戦的に応酬していた「その具体的な様相の記録」である。

 

 ※-3 安倍晋三「戦後70年談話」と「天皇家の戦い」-昭和天皇は反省せず,その代わりに平成天皇が反省する姿勢-

 以下の記述(議論)は長くなりそうなので,冒頭で要点を3つに絞って断わっておくことにしたい。

 要点:1 憲法第9条が形骸化すれば,天皇の地位も空洞化するという因果は,敗戦を契機に規定されていた

 要点:2 第9条を護ることは,第1条~第8条を護ることであるから,天皇家は必死になって安倍晋三に対する隠微な攻勢をかけている

 要点:3 天皇一族の繁栄が無条件に「即」日本国・日本住民の繁栄になるのか? 天皇の名のもとにおこなわれた大戦争に敗北したけれども,その責任は軍部とともに,いまもなお「天皇制における天皇」自身の責任問題である

※-3以降における要点3つ

 ▲-1「天皇陛下『深い反省』初言及 終戦70年 追悼式でお言葉」『東京新聞』2015年8月15日夕刊,http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015081502000234.html

 1)記事より

 終戦から70年を迎えた〔2015年〕8月15日,政府主催の「全国戦没者追悼式」が東京都千代田区の日本武道館で開かれ,全国から集まった遺族約5千5百人らが,約310万人の戦没者を悼んだ。

 天皇陛下はお言葉で「さきの大戦に対する深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬこと」を切に願うとして,これまでになかった「反省」という言葉を使い,不戦への思いを述べられた。

 補注)第2次大戦による帝国臣民の犠牲者は310万人だと計算されているものの,当時,2等・3等の帝国臣民に位置づけられていた,それも軍隊の特攻隊員にまで駆り出されていた朝鮮人や,中国人(台湾人)たちの戦争による犠牲者は,員数外に放り出されてきた。日本国は「彼らの戦後」は「もうしらない」(関係など持ちたくない)という「記憶の位置づけ」をしてきた。

補注

 また「戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました」と言及。

 昨〔2014〕年のお言葉は「国民のたゆみない努力により,今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられました」としていたが,戦後70年の平和の歩みが国民の願いに支えられてきたことをより強調した。

 安全保障法案が国会で審議され,「戦争ができる国」への懸念が高まるなかで迎えた戦後70年〔2015年〕の節目の記念日。式典には天皇,皇后両陛下や各界の代表も参列。正午の時報に合わせ参列者が,戦死した軍人や軍属約230万人と,空襲などで亡くなった民間人約80万人の計310万人に黙祷をささげた。

 安倍晋三首相は式辞で,「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と述べた。ただ,一昨〔2013〕年,昨〔2014〕年と同様に歴代首相が盛りこんできたアジアへの加害と反省には触れなかった。

 補注)安倍晋三は,大東亜戦争の史観(東洋平和のための戦争であったという大義,あるいは,世界史的意義・使命を帯びていたという名分)に,いまだにひどく拘泥している。

 安倍晋三は逆にいえば,「東京裁判史観」の反対者である立場に固執してきた政治家である。あの戦争の時代,大日本帝国はけっしてアジア諸国に対して〈悪い行為〉はしなかったという〈虚偽の意識〉を,もとから堅くもっているのである。

 それゆえ安倍晋三は,過去の談話のなかに「歴代首相が盛りこんできたアジアへの加害と反省には触れ」ることなど,滅相もない言及であると確信してきた。だからたとえば,従軍慰安婦問題などは「大東亜戦争史においてありえなかった」史実であると,自分1人でそう思いこみ,かつ一筋に「信じられる」,極右・狂信のイデオロギーの持ち主である。

 平成天皇は,従軍慰安婦の問題があまりにも,かつての蝗軍(大日本帝国軍)の悪徳を赤裸々に記録してきた現実の様子であったがために,かえってこれにはわずかでも具体的に触れることは,とうていできないでいる。けれども,その「歴史の事実」が「アジアへの加害と反省」の材料として「触れ」られるべき対象である経緯は,心中においてはよく承知していたと推察できる。

 平成天皇の伯父であった三笠宮は太平洋戦争(大東亜戦争)の最中,陸軍将校として中国戦線に派遣されていた。その地で三笠宮は日本軍が南京大逆説事件を起こした事実を理解していて,これには批判的な言辞を吐いていたこともあった。だが,そうはいってもあくまで,天皇の実弟ゆえ許容される言動になっていたゆえ,周囲にいた同僚の高級将校たちは迷惑顔であった。(補注終わり)

 2)平成天皇の『お言葉全文』

 戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人びととその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民とともに,戦陣に散り戦禍に倒れた人びとに対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります。 

2015年8月15日式典での平成天皇のあいさつ

【参考紙面】-これは『日本経済新聞』を引用-

敗戦後70年に平成天皇が語ったこと
 

 ▲-3 解説:「平和の継承 強い願い」

 戦後70年の全国戦没者追悼式で天皇陛下が読みあげられたお言葉は,「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」「さきの大戦に対する深い反省とともに」など,過去の追悼式より踏みこんだ表現が随所に盛りこまれた点が強い印象を与えた。

 補注)安倍晋三の場合,「戦後70年談話」を出すに当たり,こうした「反省〔する・しない〕の問題」にかかわらしめては,過去における戦争の「侵略」を事実として認めたがらず,ましてや「反省(お詫び)」などは絶対的に忌避・無視したがっていた「彼自身の正直な考え」を反映させるつもりであった。

 ところが,天皇が毎年の「全国戦没者追悼式で天皇が読み上げるお言葉」というものは,つぎの記事が報道しているとおりであったのだから,とりわけ今年(2015年)における「お言葉の異例性=めだった変化」に注視する必要があった。

   ☆「『深い反省』,異例のお言葉=天皇陛下,
             昨年までは定型-全国戦没者追悼式」☆

      =『時事通信』2015年8月15日 12時10分配信=

 天皇陛下は〔8月〕15日の全国戦没者追悼式の「お言葉」で,先の大戦に対する「深い反省」という表現を盛りこまれた。陛下が戦没者追悼式でこうした表現を使ったことはなく,戦後70年の節目の式で,異例といえる内容となった。

 戦没者追悼式のお言葉は,戦後50年の1995年に「歴史を顧み」との文言がくわわって以降,昨〔2014〕年までは毎年,ほぼ定型化していた。今〔2015〕年は「過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省とともに」という文言がくわわり,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと述べた。

 さらに,「戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた」国民の努力と,「平和の存続を切望する国民の意識」に支えられ,日本は平和と繁栄を築いてきたと語った。

『時事通信』2015年8月15日

 平成天皇は,2012年12月に首相の座に返り咲いて以来,安倍晋三の政治行動に対しては「深甚なる憂慮と多大な迷惑」を感得してきたはずである。なぜならば安倍によるそれは,憲法第9条に対する安倍政権の破壊行為であり,逆相的に照らして考えてみれば,「天皇家のための条項である〈第1条から第8条〉」の破壊行為を意味したからであった。

 それゆえ,天皇や皇族たちが正式に日本社会に対する発言の機会をえられる,今回であれば「敗戦記念日」(2015年の8月15日)において天皇明仁は,以上に紹介してきたような具合に〈新しいお言葉〉を,全国戦没者追悼式のなかに〈追加〉していた。

 文言のこまかい表現そのものに関してはともかく,こういった「天皇のお言葉に基本的な追加があった」事実が,安倍晋三側においては事前に,なんらかの経路を経て教えられていた,と推測されもよい。

 だから,安倍晋三は「侵略」という用語も「お詫び」という表現もまったく抜かすわけにいかなかった。かといって,その字義どおりに使用することには躊躇しており,できるかぎり曖昧化させた文脈のなかにそれらの言葉を埋めこもうとした。

〔記事本文に戻る→〕 追悼式のお言葉は陛下みずからが筆を執っている。「深い反省」という言葉が戦没者追悼式のお言葉で使われたのは,陛下の即位後は初めてのことだ。

 追悼式以外の場で「深い反省」と述べたのは,1992年に訪中した際の晩さん会や,1994年に韓国大統領を迎えた宮中晩さん会のあいさつがある。

 ただ,最近の追悼式では,前年の内容をほぼ踏襲していただけに,今回の表現の変更には,戦後70年が経って,陛下が戦没者追悼と平和の継承に危惧の念を抱いている証しといえるだろう。

 「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました」

 お言葉にこの一文を入れたことは,不戦を誓う憲法のもとで,戦争をしない国でありつづけた国民の意思に対する陛下の強い気持がにじんでいるように思う。

 今〔2015〕年4月には天皇,皇后両陛下のパラオ訪問が大きな注目を集めた。陛下が平和を希求するようになった原点は,戦後に疎開先の日光(栃木県)から帰京し,原宿駅から一面の焼け野原をみて衝撃を受けたことだったとされる。

 70年間の平和への歩みを積み重ね,将来もそういう国であり続けてほしいという陛下からのメッセージをどう受け止めるか。「世界の平和とわが国の一層の発展」を担うこれからの世代に問われている。

 --なお,この記事には「昨〔2014〕年のお言葉」が,併せて紹介されていたが,ここでは引用・紹介などせず割愛する。

 

 ※-4 安倍戦後70年談話の論評

 1) 茂木健一郎「安倍晋三首相の談話について」『BLOGOS』2015年08月15日 09:18,http://blogos.com/article/128428/

 安倍晋三首相の今回の談話は,おおむね誠実に書かれているが,一方で,日本人全体の歴史認識の限界を示すものであった。日本の歩みについて,弁明的な視点を入れることによって,多大な迷惑をかけた近隣諸国に対する謝罪の表現が,フルスイングではなく,中途半端なバントのようになってしまった。

 明治以来の日本の歩みについて,肯定的に捉えるべきところ,誇りに思うべきところは多々ある。全面的な肯定でも,全面的な否定でもなく,両者が混ざった複雑な事象に冷静に向きあい,そのなかで普遍的な価値の実現をはかっていくことが,本当の意味での「未来志向」の態度だといえるだろう。(『BLOGOS』引用終わり。なおネット新聞『BLOGOS』は現在は廃刊)

 だが,このように感想を述べた茂木健一郎は,向こう側(アジア諸国)から観る視点をもたなかった。安倍談話に対する評価も身内意識からしており,相手側からどのように観られているかが不在である。脳科学者だという立場からの評価としてはもの足りない。

 「近隣諸国に対する謝罪の表現」が「フルスイングではなく,中途半端なバント」だったとすれば,相手側がこれをどう受けとるかまで一言あってもよかったはずである。しかし,そこまでいかないで寸止めであるかのように発言である。それでは,「未来志向」にまでは至りえない「犠牲バント」でしかありえなかったのではないか?

 安倍晋三自身が無理をして犠牲にし,抑えこんでいる「彼の本心・ホンネ」がある。この核心に向かっては,安倍がフルスイングしえない「戦後70年談話」に終わっていた。茂木健一郎の感想だけに限らないが,安倍の「なにか」に関して,妙に遠慮したかのような口調が,多くの識者のものいいに感じとれる。

 要は,安倍晋三が嫌々バットを振り,ホームランを打ちたい気持をごまかしバントを狙ったのだとしたら,茂木の提示したこの感想の含意はそれなりにある。そうではあるまい。

 2)「小林よしのり氏が安倍談話を猛批判『村山談話が冗長になっただけ』」『 livedoor' NEWS』2015年8月15日 18時17分,http://news.livedoor.com/article/detail/10473024/

 ざっくりいうと,小林よしのり氏が8月14日の「朝まで生テレビ」で安倍首相の70年談話に言及したのは,とくにこういう点になっていた。

  ♥-1「(安倍談話は)村山談話が,ただ冗長になっただけ」と意義を否定。

  ♥-2「やめればいいんだ,こんな談話なんか!」と声を荒らげて批判した。

 8月14日の深夜に放送の「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)で小林よしのり氏が,安倍晋三首相が同日に発表した70年談話を猛批判した。番組では「激論! 戦後70年の総括と明日の日本」と題して,戦後70年目の終戦の日を迎えるなか,各界の識者が議論を戦わせた。ここではさきに『朝日新聞』2015年8月15日朝刊3面「総合」にかかげられていた関連の表を紹介しておく。

「外交のアベ」にしては」お粗末な談話内容」であった

 スタジオでは,司会の田原総一朗氏が小林氏に,安倍内閣が〔2015年8月〕14日に閣議決定した「戦後70年安倍談話」の感想を尋ねた。これに対して,小林氏が「安倍晋三はこんな人間じゃないんですよ」と切り出し,「だいたい,保守派(自民党右派)は全員,村山談話が大嫌いなんですよ!」と声を荒らげたのだ。

 補注)つまり,いまふうに極右的頭脳しかもたない自民党政権〔+公明党〕にとってみれば,今回の安倍戦後70年談話は,もとより安倍の本心・ホンネからはだいぶ離れてしまった不満だらけの中身になっっていた,というふうに理解ができる。

 安倍談話(2015年)は,村山談話(1995年)を全面的に否定し無化する当初の意図があったにもかかわらず,この本来の目的からはほぼ完全にといっていいほど外れたのである。

【安倍談話全文の紹介】はこちら
  ⇒ http://nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/abe_70nen_danwa150815.pdf

 自民党内には政務調査会の会長を務める稲田朋美が,前段のごとき「不平・不満」を安倍晋三に対してすでに提示していた。安倍の談話を発表するまですでに,国内外からその主の保守・右翼的な反動の極右性を懸念する「事前の批判」が,数多く彼のもとには届いていた。

 仮に,日本の天皇明仁が〔2015年〕8月15日の「全国戦没者追悼式」 で読みあげる〈お言葉〉との「最低限の整合性」さえとれない「安倍戦後70年談話」にでもなっていたら,安倍政権だけでなく日本の皇室にとっても,国内外に対して「日本政府・内閣と天皇家との国論不一致」をさらけ出すことになる。

 安倍晋三がそこまで事前に考えざるをえなかったとすれば,今回のごとき談話に「終始せざるをえなかった」経緯も,おおよそのところは見当がつくというものである。

〔記事本文に戻る→〕 また,小林氏は今回,安倍首相が談話を出した理由について,1995年に当時の村山富市首相が発表した「村山談話」を乗り越えたかったからだと持論を展開した。

 そして小林氏は不満げに「ところが,いざ出してみると,(安倍談話は)村山談話が,ただ冗長になっただけ」と談話の意義を否定し,今回の安倍談話は安保法制の整備に追いこまれた「安倍首相の妥協の産物」であるかのように語ってみせた。

 補注)ここで小林よしのりが指摘する「妥協の産物」とは,安倍晋三が自説を剥き出しにした談話を作成して公表した分には,すでに内閣支持率が不支持率を下回ってきた〔当時の〕世論の動向が「さらに悪化する」かもしれず,ここではいったん,妥協しておいたほうが得策と判断したうえで「発表するに至った談話」であった。 

 補注)本日〔2015年8月16日〕『日本経済新聞』朝刊の2面には,共同通信関係の記事として,こういうものがあった。画像記事で紹介しておく。

安倍晋三談話の評価
 

 それゆえ,いまさら急に引っこめるわけにもいかず,安倍晋三はその間,毎日のように文案の修正(推敲)を重ねていく過程で,だいぶ苦悩したはずである。ブレーンなり部下にいったんは書かせるにしても,きっとそうであったと推理してみる。

〔記事に戻る→〕 さらに,小林氏は過去の戦争に「反省とお詫び」を訴える安倍談話について「本当だったら,保守派も相当怒らなければいけないんだけれども」と分析し,「いま,保守派は『安倍真理教』にハマってしまっているから」と,安倍首相への支持をカルト宗教にたとえて笑いを誘ったのだった。

 補注)小林よしのりは要するに,安倍晋三が自分自身の本来路線で談話を公表するのであれば,「反省もお詫び」も不要だという解釈である。ところが,安倍は反省もお詫びにも言及する談話を作成した。

 それなのに,安倍のとりまき的な議員たちが,この安倍の〈ズルズルと変心していった〉結果をとりあげて「問題にしなかった」ところがおかしい,小林はそういいたかったのだと受けとめておけばいい。

〔記事に戻る→〕 同時に小林氏はまた,「左翼は喜ばなきゃいけないですよ? 村山談話そのままなんだから,左翼はみんなでバンザイしなきゃいけないんですよ。それを,まだ(野党が)難癖つけてるのがね!」「やめればいいんだ,こんな談話なんか!」と声を荒らげ皮肉を語り,スタジオを沸かせてみせた。(引用終わり)

 --「安倍戦後70年談話が左翼」(いまどきこのサヨクとはどのあたりの集団・人びとを指すのか定かではないが)が万歳までして喜ぶかどうか,本ブログ筆者はそこまで断定できる程度のものか,といった疑問をもっているが,よしりん的な話法は中途半端的に,つまり準専門家な断定「論」を語るところに特徴があった。

 今回の安倍談話はともかく中途半端であった。これだったら出す必要などなかった。左翼という思想集団に属する人たちが一番喜ぶのだから,安倍は黙っていればよかったと観察するのは,いまどきの時代における知識界の実情理解に関して疑問なしとしえない。

 要は,ド素人と五十歩百歩の発言をしがちであった「小林よしのりの基本姿勢」に関してはもともと,基本からの疑問がアレコレ伏在していた点が否めない。

 3)そのほかの安倍戦後70年談話に対する感想(ツイート〔⇒これは現在の『X』〕など)

  ★-1 kazukazu88@kazukazu881
 ファイナンシャル・タイムズは,安倍談話に厳しい。『安倍は過去の謝罪をナショナリズムで包んだ』と。「安倍は歴史の日本の解釈は固定されておらず,国が永遠に謝りつづけるつもりはないと彼の右翼の支持者にシグナルを送った」とも書いている。 →pic.twitter.com/FAEcl0v5dh

 註記)http://matome.naver.jp/odai/2141758252622789601

  ★-2 こたつぬこ@sangituyama
 「事変,侵略,戦争」と並列化して例示しただけで,日本の当事者性をスルーしました。

  ★-3 ptzd@dztp
 なんかすべてが他人事のように聞こえるんですけど,なぜなんだろうか。

  ★-4 きゃつお 鼎 CARP@ca_tsuwo
 安倍のセリフ,植民地支配を「世界的な問題だった」「日本は植民地支配の流れから解放した」といっているように聞こえるんだが。

 註記)上記3件は,http://matome.naver.jp/odai/2143954237126042801  なおこの NAVER は現在は閉鎖されていて閲覧不可。

 以上の諸意見を聞いただけでも,安倍戦後70年談話の基本的な特徴はほぼ把握できると思う。安倍本来の極右・反動の政治イデオロギーらしさは,今回,相当に脱色されていた。

 けれども,そこにはまた,彼自身が本当にいいたい事項をすべりこませようとした努力の跡はみてとれる。しかし,それでもまだやはり中途半端なのである。結局,読むほうの立場からすれば,なにもかも生煮えの下手な料理,闇汁的なごった煮を,無理やり食わされた感じがする。

  ★-5 おしまいに,安倍晋三自民党政権の現時的な独裁制性格を意識していえば,この先輩格に当たる北朝鮮という〈ファンタスティックな幼少強国〉が,安倍戦後70年談話に対して与えた,つぎの批判がおもしろい。

    ☆ 北朝鮮も安倍談話を批判「誠実な謝罪込められてない」☆
 =『朝日新聞』2015年8月15日 02時20分,
    http://digital.asahi.com/articles/ASH8H0BK4H8GUHBI032.html

 北朝鮮外務省の報道官は8月14日,戦後70年の「安倍談話」について,「日本の侵略の歴史についての誠実な認定と謝罪が込められていない」と批判する談話を発表した。朝鮮中央通信が伝えた。談話は「すべての過去の犯罪の清算を通じ,わが国をはじめとする周辺国の信頼をまずえなければならない」などとしている。(ソウル=貝瀬秋彦) 

北朝鮮の反応

 安倍晋三批判の一般論としていえば,これは通論的な見解でしかなかったゆえ,とくに真新しさはない。もっとも,日本が北朝鮮にいわれる筋合いなどないと反発が生まれても当然であった。

 最近におけるあちら風のボクちゃんは,内部粛正を盛んにおこないつつあり,自分が気に入らない幹部は,すぐに抹殺処分を講じる。このあたりはさすがの安倍晋三君にも参考にはならない〔してはいけなかった〕「暗黒の独裁政治」ぶりがうかがえる。

【参考画像】-北朝鮮の「世襲3代目の政治屋」的独裁者に関する『日刊ゲンダイ』の記事-

「世襲3代目の政治屋」である事実は
安倍君も金君のお仲間であった

  ★-6 北朝鮮にとって宗主国的な関係にある中国は,安倍戦後70年談話をこう批評したと報道されている。「談話に中韓『言葉入っても誠意感じぬ』『責任避けた』」(『朝日新聞』2015年8月15日01時16分)。

 中国外務省は8月14日深夜に談話へのコメントを発表し,「過去の歴史を正確に認識・対応し,正義を守ることは日本とアジアの隣国との関係改善の重要な基礎だ」と指摘。そのうえで「侵略の歴史に正面から向き合い,深く反省し,実際の行動でアジアの隣国と国際社会の信頼をえるよう求める」と,安倍首相の歴史認識を批判した。

 中国共産党関係者は「言葉は入っていても首相の誠意が感じられない」と,不信感を示した。

 ただ中国政府は,安倍首相が間接的でも「侵略」や「おわび」を明記したことで,日中関係改善を進めていくとの方針は今後も堅持していくとみられる。韓国でも,安倍談話は過去の歴史への反省や謝罪が間接的な表現にとどまっているとの批判が出ている。

 韓国政府関係者によると談話発表後,岸田文雄外相(当時)が尹 炳世(ユン・ビョンセ)外相に電話をして「歴代内閣の歴史認識は今後も揺るがない」と説明。尹外相は「日本政府の誠意ある行動がなによりも重要だ」と強調したという。

 与党・セヌリ党の報道官は「反省と謝罪に言及したという点では意味ある談話だ」と一定の評価をしたうえで,「慰安婦についても間接的にしか言及していないことは物足りない」と指摘した。

 最大野党・新政治民主連合の報道官は「キーワードはすべてあったが,巧妙なやり方で加害者としての責任を避けた」と指摘。村山談話から大きく後退したと論評した。

 朴 槿恵(パク・クネ)大統領は2013年2月の就任後,安倍首相との二国間の会談を一度もしていない。米国からも関係改善を求められるなか,首脳会談への環境を整えるには安倍談話の中身が重要で,尹外相も今後の日韓関係を左右する「試金石」と述べていた。ただ,外交筋は「批判をしすぎれば関係改善の機運をそぐことになる。韓国政府にとっては難しい判断になるのでは」と話す。

 オバマ米政権は安倍首相の歴史認識で日韓関係が悪化すれば,中国などを利することになり,米の外交戦略を狂わせかねないとの警戒から「安倍談話」に注目。歴代の首相談話の継承を求めてきただけに,米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は8月14日,「第2次世界大戦中に日本がもたらした苦しみに対する痛切な反省を安倍首相が表明したことを歓迎する」との声明を発表した。

 補注)アメリカ側のこの論評は事前に予想されていたとおりでもあった。安倍晋三に向けては以前より,周辺諸国と摩擦・軋轢をいまさら起こすような馬鹿げた「談話」だけは,最低限出すなよ,よく注意しろよ(!)といった警告が,アメリカ側からなんども送られていた。

 そこまで善導されても安倍が要領をえない子どもっぽい談話を出したとしたら,アメリカ側はいいかげんこの日本国首相を「排撃するための裏工作」にとりかかりはじめるかもしれない。いくらなんでも,まさかそこまで安倍晋三が極端にボンクラと思えない。だが,アメリカ側がいままでこの首相をかなり心配顔でみていたことは事実である。

 なお,安倍晋三は2022年7月8日,奈良市においてであったが当時,参議院選挙に立候補した人物への応援演説をしはじめたところで銃殺された。

〔記事に戻る→〕 米シンクタンク「アトランティック・カウンシル」のアジア専門家,ジェイミー・メッツル上級研究員は「おわびは非常に重要なことだがすべてを変える魔法の言葉ではない。日本はドイツのように深い歴史の説明責任を果たすことで前進する必要がある」と述べた。

 欧米メディアは「安倍首相があらためて謝罪するには至らなかった」(AP通信),「首相はみずから明確な謝罪をすることを拒否した」(フィナンシャル・タイムズ紙〔前出であった〕)と報じ,安倍首相の「おわび」が,過去の内閣の方針を引用する間接的な表現になったことに注目。AFP通信など複数のメディアが,次世代に「謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」と述べた点を相次いで報じた。

 

 ※-5 大山鳴動して安倍1人

 最後に,白井 聡(京都精華大学教員)の,安倍戦後70年談話に対する評言を紹介して,本日の記述を終わりにしたい。安倍のこの談話は,司馬遼太郎風の「坂の上の雲」史観を評価する「通俗的な立場」を採ってもいた。

 しかしながら,司馬遼太郎は「この作品」を映画化(NHKの大河ドラマ化)することを,生前においては絶対に許さしていなかった事実も想起するに,「満洲事変」以降の大日本帝国が侵略をはじめだしたのだという『特異な日本史「感」』は,近現代史の真相にうとい完全なる盲論であった。

 『朝日新聞』2015年8月15日朝刊3面「総合」には,『主語「私は」使わず 戦後70年の安倍談話,歴代談話と違いは』という見出しの記事が,この3面全体を充てるかたちで出ていた。そのなかで意見を求められた識者の1人白井 聰は,安倍の談話をつぎのように批判していた。

          ☆ いろいろな妥協の産物 ☆
        =白井 聡・京都精華大専任講師=  

 安倍談話は,いろいろな妥協の産物ではないかと感じた。安倍首相は村山談話を「上書き」するみずからの意思を通したかったが,3月に会談したメルケル独首相が歴史認識についてクギを刺したように,国内外から「羽交い締め」にされていたのが実態ではないか。

 談話の内容にも,その妥協が反映している。「侵略」「おわび」などキーワードを一応入れているが,村山談話や小泉談話で明記した日本による侵略や植民地支配については「誰がしたのか」という主語を不明確にしている。  

 「先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」としながら「謙虚な気持で過去を受け継ぎ,未来へ引き渡す責任がある」とも書いている。どっちつかずで,文意が不明瞭な所が目立つ。

 談話は,日本が「繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明してきた」と強調している。しかし,戦後の対アジア関係がここまでもつれたのは,村山談話が出るまで日本が過去の克服にうしろ向きな姿勢をとりつづけてきたからだ。

 作成過程でどんな文言を入れるのかがこれだけ注目されたことは,結局,安倍首相が政治家としていかに信用されていな いか,あらためて露呈したとみるべきだ。

白井 聡の見解

 白井 聡は以上の見解を出す1年4ヶ月前であったが,2014年4月13日の時点で,つぎのように安倍晋三「批判」も披露していた。  

 報道の自由という観点からみて〔特定秘密保護法が〕大変危険な法律であることはたしかだが,それ以上に大きな問題がある。それは,国家安全保障会議(日本版NSC)の新設や集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更などと並び,日本を「戦争ができる国」にするための政策パッケージの一環だということだ。

 安倍晋三首相の訴える「積極的平和主義」は,戦後の日本の平和主義を「消極的」だと否定している。戦争をしないことで安全を保つのか,することで保つのか。その点で発想の大転換がおこなわれた。 

 だが,こうした方針に漠然と賛成している人に,これから中国やアジア諸国との関係がさらに悪化し,実際に武力衝突が起きることへの本当の覚悟があるとは思えない。これこそが「平和ボケ」というものだ。

 僕のしるかぎりり,こうした事態に対して,とくに若い世代の関心があまりに低い。政治に深く絶望する気持も分かるが,多くは国家権力がどういうものか,深く考えたこともないのだろう。国家はつねに国民を優しく包みこんでくれるものだ,という現実離れした感覚なのではないか。

 庶民がどう思おうが,国家には国家の意思があり,ときに個人との決定的な対立が生じうることを分かっていない。たとえば,福島や沖縄には,実際に国家の犠牲になっている人がいる。

 では,本当に戦争となった場合,いったい,誰がいくのか。若い人だ。そんなことも分からずに,国を戦争へ近づける動きを支持するような間抜けなことをしていると,むしられます。お金だけじゃなくて,命までむしられる。それが嫌なら,しろうとする努力をしなけりゃいけない。

 註記)『東京新聞』2014年4月13日,http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014041302000148.html 

白井 聡の意見

 要は「大山鳴動してただ安倍1人」。安倍晋三は「談話」と称せるほどの文書を用意できていなかった。大騒ぎするほどのその中身でもなかった。案の定,どうみても「この首相の器量」にみあった程度の〈談話〉しか作成できなかった。というか,その水準での出来の〈談話〉に寸止めされていた。

 もっとも,2015年8月15日に安倍晋三が発表したこの談話作成を支援した北岡伸一(間違いなく御用学者である学究)の徒労感は,それ相応に「かぎりなく深かった」のではないか察する。本当に同情すべき余地があった。

 なお,本日にこの文章を更新的に公表したさい,北原伸一の研究者として立場については,つぎのごとき批評があったので,本日(2024年5月16日)なりに補足しておきたい。

 それは ,深草 徹「集団的自衛権を考える--北岡伸一批判」という文書である。なおこの文書については,リンク先の住所として,http://netizen.html.xdomain.jp/data35.pdf がメニューバーに表示されているが,本日,これをクリックしたところ,現物の文書は出てこなかった。

 その点はさておき,本ブログ筆者は北岡伸一の著作(もちろん政治学の専門書)を何冊が読んだことがあるが,人物観のほうはさておき,なにをいいたいのか把握しづらい論旨あるいは筆致が気になっていた。結局,全体的に「食い足りない展開だった」という印象を強く抱いた。

 

 ※-6 関連する話題

 水島朝穂早稲田大学教授は2024年3月末に定年を迎えたが,2015年当時にもどっての話となる。2015年8月17日,水島のメールマガジン『直言』が「天皇家と首相安倍晋三との葛藤・駆け引き」という文章を公表したさい,読者に対して「拡散」の依頼を出していた。

 2015年8月17日に発行されたその文章の題名は,「『8. 14閣議決定』による歴史の上書き-戦後70年安倍談話-」であった。2015年8月15日にもたれた「全国戦没者追悼式」における『天皇明仁の〈お言葉〉』が,今年においてとくに変化したり追加された点を中心に論じている。

 水島朝穂のそのメールマガジンは,以下のリンクである。参照を乞いたい。長めの文章である。

 ⇒ http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0817.html

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