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「毒食わば皿まで」となった原発推進路線は「第3の敗戦」に向かうかのように好きこのんで突きすすむエネルギー政策「8・15 第1の敗戦」時に原爆を2発食らい「3・11 第2の敗戦」時は東電原発3基を溶融させた(国家崩壊寸前の事態発生)が,この国のみごとなまでの核保有国への推進志向を裏書きする本日2024年12月18日日経・朝刊の報道(2)

 「本稿の前編(1)」のリンク先住所はこれ( ↓ )である。できればこちらからさきに読んでもらえると好都合である。


 ※-1 昨日,2024年12月18日の本稿(1)で参考記事に取り上げた,ブログ『くろねこの短語』のつぎの指摘・批判を,ここでまず紹介する

 その『くろねこの短語』の時評的な記事は,前日の記述中ではリンク先住所を付記,指示するだけであったので,本日はその全文を紹介しておきたい。

   ★「原発依存度低減」から「原発の最大限活用」へ
         ・・・地震大国でこの能天気,正気か!! ★

  =『くろねこの短語』2024年12月18日,http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-af777b.html

 「103万円の壁」がああだこうだとやっているうちに,「エネルギー基本計画」とやらが裏では進められていたようで,「可能な限り原発依存度を低減」から「原発の最大限活用」に舵を切ったってね。なんと「廃炉分の原発敷地内での新設」も認めるとか。

 いやあ,福島第1原発事故から13年。いまだに核燃料デブリの取り出しの目途が立っていないというのに,こういうのを「神の恐れをしらない所業」っていうんでしょうね。

 裏金もそうだけど,自民党ってのはとにかく反省しない政党ってことだ。

 そもそも,福島第1原発事故以来,喫緊の課題だった再生可能エネルギーについて,どれだけ真剣に取り組んできたのかさえ疑問なんだね。その間に,世界の潮流は明らかに再生可能エネルギーにシフトしてるってのに。なにやってんだか。

 もっとも,「核の潜在的抑止力のために原発の維持が必要」ってほざくような男が,いまや総理大臣なんですからね。そりゃあ,「原発の最大限活用」も自然の流れということか。

 地震大国にしてこの様だ。まるで「レミングの死の行進」〔⇒海に飛びこんで集団自殺をすることで知られている動物〕にも似て,いずれ東南海地震なんかが起きた時には取り返しのつかないことになりますよ。

 付記)〔 〕内補足は引用者。

狂気の日本:原発は原爆だ

 『くろねこの短語』氏が指摘する「核の潜在的抑止力のために原発の維持が必要」だという自民党政権のホンネについて,その肝心なところを次項から説明していきたい。

 

 ※-2「繰り返される核保有発言 福田康〔夫〕氏『三原則 変えようとなる』/ 麻生〔太郎〕氏『一つの考え』 過去の首脳らも言及」『中國新聞』2022年3月2日朝刊,https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=117015

 この『中國新聞』の本社は,広島県広島市中区土橋町7-1にある。創刊時期は1892年5月5日。AIが語るこの新聞社は「オーソドックスでバランス重視の路線を採っており,偏向報道ではない」という評価になるとの判断を示していた。参考になる指摘として聞いておこう。

 さて,この※-2の『中國新聞』記事は,こう書いていた。
 
 〔2022年2月24日〕ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核兵器使用をほのめかして国際社会の批判を浴びるなか,〔当時は存命〕安倍晋三元首相(山口4区)は,

 日本の領土内に米国の核兵器を置き,共同運用する「核共有」政策を議論すべきだとの考えを示した。被爆国の基本政策「非核三原則」に反する核保有・核武装論は,これまでも時の首相や野党幹部,政府高官から繰り返されてきた。

 補注)もっとも,彼らのいいぶん=ホンネは,核兵器をもちたいという願望にありつづけてきたが(いまもなんらその考えに変化はない),ただ,対米従属国であるこの国は「親分さんのいうこと:世界軍事戦略」,つまり,アメリカインド太平洋軍の基本戦略方針に逆らうことなど,初めからからっきしできない相談でありつづけてきたので,

 前段のようにブスクサとささやくようにしか,ボクたちの国も「核兵器がほしい」と,しかもその半分ほどは寝言のなかで,そのホンネを吐露することしかできないヤカラが,大勢控えていた。

 それでいて最近,アメリカ軍が日本に置く総督府的な統合司令部が,横田基地から都心の赤坂プレスセンター(在日米軍のヘリポートや系列の新聞社がある場所:地域)に移動する予定を立てている,などといった「属国日本」内での,アメリカ政府側による好き勝手な動向の事象に対して,面と向かってなにかを発言できる政治家(政治屋)はいない。

〔記事に戻る→〕 「核は保有しない,製造もしない,もちこまないという三原則」。

 「平和憲法のもとに日本の安全はどうしたらいいか,これが私に課せられた責任だ」。1967年12月の衆院予算委員会。当時首相の佐藤栄作氏は沖縄県の在日米軍基地への核もちこみに関し,こう述べた。1971年の衆院決議を経て日本の「国是」となる。

 補注)それでもって佐藤栄作は1974年,ノーベル平和賞を授賞されていたが,その後半世紀も時間が経過した現在では,トンデモない授賞であった事実であったという定評が,すでにいうまでもない評価として完全に定着している。

〔記事に戻る→〕 そんな佐藤氏も1965年の日米首脳会談では「(前年に初の核実験をした)中国が核兵器をもつならば日本ももつべきだ」と話してい
た。〔その時は〕米国による広島,長崎への原爆投下からまだ20年。被爆者たちを憤らせる発言は,さかのぼると1957年の国会答弁でもあった。

 補注)佐藤栄作が1974年にノーベル平和賞を授賞されていた。そのちょうど半世紀後に,日本被団協が再び,日本・日本人のノーベル平和賞というめぐりあわせとなった。この賞を授与する財団側の深慮だったのか,それとも浅慮だったかはよく理解しかねるが,なんとも皮肉。

 というのは,本ブログ筆者が「本稿の記述」でも指摘・批判しているように,被団協は原爆に対する反対運動,つまり核の問題を意識するその運動を長年実践してきた。

 けれども,現在となってみれば世界中に立地・建設されている原発や核燃料サイクル・高速増殖炉(まともに稼働できていない施設が多いが)などの存在が,同じ「核」の問題として非常に悪質な「人類・人間に対する災害」をもたらしてきた事実は,なぜか,被団協が問題にする対象にはなっていなかった。

 本ブログ筆者は,被団協がノーベル平和賞を授賞されたという報道を聞いたさい,すぐに気づいた点は,被団協という「原発」被害者意識を絶対的な基盤・背景とする「核廃絶のための運動体」の特徴そのもの,いいかえればその絶対的な限界・制約であった。

〔記事に戻る→〕 時の首相は岸 信介氏。「自衛の範囲内を超えないかぎり,核を保有しても違憲ではない」と訴えた。こうした身勝手な憲法解釈は自民党の「タカ派」議員に引きつがれている節がある。

 岸氏の〔外〕孫に当たる安倍〔晋三〕氏は官房副長官時代の2002年,「憲法上は原爆でも小型であれば問題はない」と主張〔早稲田大学でおこなった講演のなかでそう語った〕。北朝鮮が核実験をした2006年は自民党政調会長の中川昭一氏が核保有に肯定的な姿勢を示し,外相の麻生太郎氏も議論を求めた。

 危うい言葉は野党からも。2002年に自由党党首だった小沢一郎氏は「日本がその気になったら一朝にして何千発も保有できる」,2012年は日本維新の会代表の石原慎太郎氏が「核兵器に関するシミュレーションぐらいしたらいい」と語った。両氏は元自民党議員だった。

 あらためて物議を醸す安倍氏の発言。

 首相在任時の2015年8月,広島原爆の式典あいさつで歴代首相が言及していた非核三原則に触れなかった。翌2016年には安倍官邸との距離が近い内閣法制局長官の横畠裕介氏が「憲法上,核兵器使用が禁止されているとは考えていない」と国会で答弁した。

 「核なき世界」を掲げる岸田文雄首相(広島1区)は非核三原則の堅持を訴える。だが自民党内には温度差がある。福田達夫総務会長は〔2022年3月〕1日の記者会見で「国民や国家を守るのであれば,どんな議論も避けてはいけない」と,安倍氏の核共有政策に理解を示した。

 首相を務めた父〔福田〕康夫氏は官房長官時代の2002年,報道陣との懇談
で語った。「憲法も改正しようというぐらいになっているから,非核三原則も変えようとなるかもしれない」

 ★ 危険性の認識不足 ★
    -明治学院大の高原孝生教授(国際政治学)の話-

 核保有論を唱える人たちは,核兵器のもつ危険性に対する認識が
不足している。そのため,他国が核武装などをしたさい,安易に「同
等の兵器で対抗しなくてはいけない」との考えにとらわれてしま
う。

 そもそも,被爆の実態をしらないという問題もある。原爆投下
後の広島,長崎の惨状を学べば,核兵器の恐ろしさが分かり,厳粛
な気持ちになるはずだ。いま必要なのは核保有ではなく,核戦力,
核戦争の廃絶だ。

高原孝生教授(国際政治学)の話

 以上のように『中國新聞』に書かれていた記事は,自民党系の国会議員たちが長年執権党の立場にあった実際的な思考方式としてならば,基本からして核保有は実現させたいと「熱望している」と受けとめて,大きな間違いにならない。

 本ブログ筆者はだから,被団協の関係者たちが「ノーベル平和賞を受賞できてたいそううれしい気持ち」は理解できなくはないにせよ,以上のごときにかつて,アメリカ軍のB29に原爆と投下された広島市に本社がある『中國新聞』が論説した中身そのものに,実はまったく無知であったかのような立場にしか映らない「これまでの運動体としての時代認識・政治観念」をめぐっては,相当に重要な問題が残されていたと指摘せざるをえない。

 前段で出ていたが,2002年の時点に戻って日本政府側の核武装熱望問題を,つぎは『しんぶん赤旗』の記事を紹介して考えてみたい。


 ※-3 「“核兵器使用は違憲ではない”-安倍官房副長官」『しんぶん赤旗』2002年5月28日,https://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-05-28/08_0204.html

 安倍晋三官房副長官は〔2002年5月〕27日の参院予算委員会で,週刊誌が報じた “核兵器の使用は意見ではない” とする発言について,「政府の従来からの解釈を紹介したものだ」と述べて,認めました。

 この発言は,先週発売の『サンデー毎日』(〔2002年〕6月2日号)が報じたもので,同氏が13日に東京・早稲田大学での講演で,「戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが,日本人はちょっとそこを誤解しているんです」と述べたというものです。

 安倍氏はその日の答弁で,「自衛のための必要最小限度を超えないかぎり,核兵器であると通常兵器であるとを問わず,これを保有することは,憲法の禁ずるところではない」という,核兵器保有についての政府の統一見解(1978年3月)を示したうえで,「核兵器は用いることができる,できないという解釈は憲法の解釈としては適当ではない」と述べました。

 安倍氏は一方で「憲法論と政策論とは別だ」と主張し,憲法上,核兵器使用は認められるが,「非核三原則」という政策があるのでできないとの考えを示しました。現憲法下でも,政府の政策判断しだいで,被爆国である日本が核兵器の保有・使用に踏みこめると主張したものです。

 核兵器の使用と憲法9条との関係については,1998年6月に大森政輔内閣法制局長官(当時)が「核兵器の使用も,わが国を防衛するための必要最小限にとどまるならば,可能ということに論理的になろうかと考える」と答弁,被爆者をはじめとする国民の批判を浴びました。(引用終わり)

 以上,『しんぶん赤旗』から引用したこの記事のなかには,安倍晋三が敬愛して止まなかった外祖父の岸 信介が登場していた。この岸がまさに,この記事のなかで取り上げられていて,核兵器の保有や使用の問題に関して晋三が「語った」点は,いうまでもないのだが,この「岸からの受け売り」そのものであった。


 ※-4「〈60年安保への序曲(52)〉いまも繰り返す『核保有は合憲も』の岸答弁」『日本経済新聞』2015年12月26日 6:30,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO93658660V01C15A1I10000/ は,当時において当該する岸 信介「発言」をとりあげていた。

 この『日本経済新聞』の解説記事は,以下のように国会議事録から岸 信介の関連する発言を紹介していた。ここでの引用はその全文は口語でもありいささか「ウザい文章」と感じるが,ともかく,その速記録が起こされているので,最小限関連のある段落(部分)のみ引用する。

 上の記事の見出しを紹介した日経の記事は,当時「特別編集委員・伊奈久喜」に,こう語らせていた。

 好事魔多し。お国入りを楽しんだ岸 信介首相が国会に戻ると,ちょっとした爆弾が破裂した。日本が憲法上核兵器をもてるかどうかの論争である。岸は「合憲の場合もある」と答弁した。いまに尾を引く論争である。

 以下が国会議事録から抜粋した岸 信介の発言部分である。1957年5月7日の参院内閣委員会でのやりとりのなかから,特定の個所を引用する。

 われわれはやはりこの近代的科学技術の発達に即応した有効な兵器をもって,自衛を全うしなければならぬという見地から申しますと,今日われわれの普通に核兵器と考えられている原水爆やこれを中心としたようなもの,これはもっぱら攻撃用の性格をもっているものであると思いますが,そういうものを用いてはならないことはこれは当然でありますけれども,

 ただ言葉だけの観念でもって,核兵器と名前がつけばいかなるものもこれは憲法違反と,こういう法律的解釈につきましては,いま私がお答え申し上げましたように,その自衛力の本来の本質に反せない性格をももっているものならば,原子力を用いましても私は差しつかえないのじゃないか,かように考えております。

 問題はわれわれがあくまでも自衛力の範囲であり,自衛力というワクを越えないということが,自衛権の範囲を越えないということが憲法の精神であって,やはりそういう意味における科学の発達というもの,技術の発達というものについてそれを一切制約するというものではなしに,自衛権という本来の本質ですべての兵器というものの性格をきめるべきものである,かように考えております。

核兵器に関する岸 信介の発言

 国防に関した発言としての「自衛」ということばは魔力を有している。この魔力に支えられた自衛(防衛・国防とも表現されうる用語)という「軍事概念」は,武力(兵器・武器)をどのような範囲として決めるか,すなわちここでの議論としてその線引きをするさい,当然のように「核兵器」もできるだけ取りこんでおきたいという欲望(方途・方針)が,最大の関心事となる。

 それゆえ,前段に言及したごときに,とくに自民党系の国会議員たちは政権に就いている時期が長いゆえ,そのように「核保有」を当然視する意見を吐く者たちも必然的に登場していた。

 次項※-5は安倍晋三君にとくに登場してもらい,記述をつづける。


 ※-5「安倍氏の『核共有』発言は『非常に危険』 広島の被爆者が猛反発」『毎日新聞』 2022年2月28日 18:57,更新 20:37,https://mainichi.jp/articles/20220228/k00/00m/030/206000c

 米国の核兵器を国内に配備し,日米共同で運用する「核共有」政策の導入について,安倍晋三元首相が〔2022年2月〕27日のテレビ番組で「議論すべきだ」と発言したことに対し,広島の被爆者らから「非常に危険」と猛反発の声が上がった。

 「あきれた。被爆者で国会議事堂を取り囲んで,『発言を取り消せ』と訴えたい」。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(79歳)は強く非難するとともに,「核も戦争もない日本を76年間守ってきたけれど,政治が危険な方向に進んでいる気がする。死んでも死にきれんで」と日本の先行きへの不安も口にした。

 補注)いちいちなんどでも指摘するが,核という問題は戦争用にかかわるものではなく,原発の関係でも切っても切れない問題である。それゆえ「核も戦争もなくせ!」というのであれば,原発もなくせ(!)とまで堅くつなげて主張しないことには,片落ちの,つまり「必要だが不十分な意見」に留まるほかない。

 すぐあとに関説することになるが,「宇露戦争」の最中においては,両国が保有する原発が下手をすると原爆に豹変するかもしれない危険性が,実在していた。

 それは,ロシアが開戦直後から占拠しているウクライナのザポロジェ原発と,2024年8月にウクライナが逆に,その一部を占領したロシアのクルスク州に立地している原発(こちらはウクライナ軍に占拠されてはいないが)とを問わず,軍隊に支配されたり近くに布陣している現状においては,非常な不安要因である事実にも言及する。 

〔記事に戻る→〕 毎年8月6日の平和記念式典のあとに開かれる「被爆者代表から要望を聞く会」で,首相だった安倍氏と顔を合わせてきたもう一つの広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(77歳)は「原爆の日にはいつも『非核三原則を堅持する』と述べていたが,彼の本音が出たと感じた。日本は戦争被爆国として核廃絶をリードする立場にあるのに」と怒りをあらわにした。

 補注)この太字にした文言は,自民党系国会議員たちの国家防衛意識の奥底では「核武装は当然だ」という基本点に関して,あまりにもウブな認識・姿勢を教えている。その「怒り」というものは,どこに,どのように差し向けるべきなのか,まだまだその本質面にまでは到達しえていないのではないかと,憂慮する。

 つぎのウクライナの地図をみたい。欧州最大の原子力発電所であるザポロジジェ原発の6基が気にならないという人はいまい。

ソ連時代からの「遺産」であるかのように
ウクライナには原発が多く立地していた

〔記事に戻る→〕 さらに,ロシアのウクライナ侵攻やプーチン大統領の「核」発言をめぐって「核武装をすべきだ,という世論が高まっているように感じる」といい,「すごく怖い。核で平和は絶対に保てない。核開発競争で恐怖が増大し,悪循環に陥るだけ。非常に危険な考え方で,根本から変える必要がある」と警鐘を鳴らした。

 広島の被爆者7団体の一つ,広島被爆者団体連絡会議事務局長の田中聡司さん(77歳)は,家族を捜す母に連れられて,1歳の時に入市被爆。家族15人が被爆し,4人が即死,1人は行方不明のままだ。「核戦争の危機が高まっているいま,核を一つでも二つでも減らす,軍縮のテーブル作りを日本がすべき時だ。軍拡競争に拍車をかけかねない発言でとうてい許されない」と断じた。(引用終わり)

 被団協に属する人びとにぜひとも訊いてみたいのは,東電福島第1原発事故が発生したさい,放射性物質の拡散・飛散の被害から逃れるためにたいそうな苦労をさせられた福島県民たちを,いったいどのように観て受けとめたのかという点である。

 前段には,原爆被災者の分類になるわけだが,「1歳の時に入市被爆」という記述があった。この入市被爆の含めてとなるが,「被爆者の4種類」は簡潔にはつぎのように分類される。

 イ) 直接被爆者-原爆投下時,当時の広島市・長崎市あるいは法令で定められた区域内にあった者。

 ロ) 原爆投下後,同上に立ち入った者。

 ハ) 原爆による死体処理救護従事者など。

 ニ) 胎 児

 なお,被爆者(被爆者と特例受診者)以外に被爆当時,黒い雨が降った地域に住んでいた者は,「みなし被爆者」= 「第1種特例受診者」とよばれ,「健康診断受診者証」が交付されてきた。

 東電福島第1原発事故が発生した直後から,ある意味では現在に至ってもこちらの原発事故の後遺は完全に収まってなどいない。森林地帯では除染活動もできない状態のまま,高度に土壌が汚染されている状態が,まだ残されたままの区域もあった。

 アメリカ軍は,広島や長崎に投下した原爆の戦略的な効果に関する記録を収集するために敗戦後,戦勝国の立場から好きなように調査・収集してきたが,日本側が同様な行動を起こすことは禁じた。なぜか?

 その記憶はさておき,日本が「敗戦国」になるさい原爆を2発,それぞれヒロシマとナガサキに投下されてしまい,その惨禍を一手に被らされた広島市と長崎市の市民たちにとって,自分たちの戦災の記憶だけでなく,東電福島第1原発事故による福島県民「原発被災者」たちの発生は,核問題としての「原爆=原発」という核技術的に共通する基本的な関心事をないがしろにはできまい。

 明治維新以来の「第1の敗戦」⇒ 大東亜・太平洋戦争の敗北

 敗戦後史を体験してきた日本は,20世紀第4四半期(1986年)に発生したソ連邦のチェルノブイリ原発事故をはさんでとなるが,こんどは自国内で東電福島第1原発事故を起こした。⇒「第2の敗戦」

東電の事故を小さく控えめに評価しておきたいという
当局の感情は当初かなり露骨であった

 そしていまは,21世紀も第2四半期を終えるころだが,この国にとってみれば,⇒「第3の敗戦」を招きかねない原発「再稼働と新増設」を,いまさらおこなうという無謀を犯そうとしはじめている。

 本日のこの記述は,冒頭でブログ『くろねこの短語』から,「いやあ,福島第1原発事故から13年。いまだに核燃料デブリの取り出しの目途が立っていないというのに,こういうのを『神の恐れをしらない所業』っていうんでしょうね。」という批評を聞いていたが,

 次項※-6に進むが,ここで,元裁判官樋口英明がつぎの本を2023年7月に公刊していたので,これを紹介しておく。


 ※ー6 「『原発問題,難しくない』 運転差し止めを命じた元裁判長が語る理由」『朝日新聞』2024年5月14日 10時45分,https://www.asahi.com/articles/ASS5F42C9S5FUJHB001M.html

 2014年に福井地裁が関西電力大飯原発3,4号機(福井県)の運転差し止めを命じたさいに裁判長を務めた樋口英明さんの講演会(朝日新聞水戸総局後援)が〔2024年5月〕12日,水戸市であった。

 樋口さんは,国内の原発の問題点は耐震性にあると指摘し,「原発問題はむずかしいというのは先入観だ」と訴えた。

 補注)この樋口英明がいうとおりであって,原発問題の理解はその「問題性」をありのままに,すなおに理解していけば,そのとくに異様なまでに高度な危険性,反人類生・非人間性は容易に納得できる。

〔記事に戻る→〕 樋口さんは1983年に福岡地裁判事補に任官。大阪高裁判事などを経て2012~15年,福井地裁判事を務め,2017年に名古屋家裁判事で定年退官した。

 講演会は水戸市民会館で開かれ,約400人が耳を傾けた。2014年の裁判を振り返った樋口さんは,大飯原発周辺で強い地震が起きたさいの不安を訴えた住民側に対し,関電側の主張は「強い地震はきませんから安心してください,というものだった」と説明した。「いい分を信用するかどうか。これだけの話だった」

 補注)電力会社側が当時でもまだ,そのように「強い地震はきません」などと,自信をもっていいはなっていたところは,かつての原発神話「安全・安心・安価」を,なかなかいつまでも撤回していなかった原子力村側の頑迷固陋というか,原発周辺の住民たちを愚民視しきった態度がありありであった。

 補注)2009年から最近まで発生した「強い地震」⇒「過去の地震情報震度6弱以上」『tenki.jp』がまとめている記録,38件を紹介しておく。

 
〔記事に戻る→〕 そのうえで,「各地の原発が稼働しているのは政権や電力会社のせいではない。一番大きな原因は私たちの先入観です」と述べた。原発問題はむずかしく,原子力規制委員会の審査を経たものは安全だろうという考え方があることを問題視した。

 今年〔2024年〕1月の能登半島地震の影響でトラブルが相次いだ北陸電力志賀原発(石川県)にも触れ,「普通に考えてください。『原発の耐震性って低いんじゃないの?』と誰でも思わないといけない」と語りかけた。
(樋口英明・引用終わり)

【参考記事】 -『毎日新聞』2024年12月18日から-

 

 ※-7 原子力資料情報室が指摘する「宇露戦争」に伴って,現に「憂慮」されている原発事故発生の危険性

 原子力資料情報室からつぎの2つの記事を紹介し,本日の記述の締めとしたい。その内容・全文についてはそれぞれ,リンク先住所をクリックすれば読める。

 a)「【原子力資料情報室声明】 原発神話の復活と非現実的な原子力政策を懸念する-自由民主党総裁選挙・立憲民主党代表選挙での原発を巡る発言について-」2024年9月27日,https://cnic.jp/51749

 この声明は全文を引用しておく。核心を突いた発言・批判が提示されている。

 〔2024年〕9月,日本政治にとって大きなイベントが2つおこなわれている。ひとつは自由民主党総裁選挙(本日(27日)投開票),もうひとつは野党第一党である立憲民主党の代表選挙(23日投開票済)である。

 この2つの選挙のなかで,両党の候補者の間で異口同音に,電力安定供給のために,安全が確認された原発の再稼働を進めることが表明された。安全が確認されたとはなにか。

 具体的には原子力規制委員会が新規制基準に適合していると認めた原発のことだ。だが,原子力規制委員会自身は「新規制基準に適合している」とはいっても,安全性を確認した,とはいっていない

 問題なのは定義上の問題だけではない。候補者たちはわずか13年前に起きた福島第1原発事故の惨禍とその後の電力供給不足を忘れてしまっているのだ。

 原発は危険な放射性物質を内包している。そのため,弱点が新たに判明すれば,場合によってはすべての原発を止めて対応する必要も出てくる。実際,福島第1原発事故後,日本の原発は一度すべての原発が停止した。

 大きな事故が起きたために停止したと思われるかもしれない。しかし,2022年夏,フランスの56基ある原発のうち,稼働できたのは27基でしかなかった。29基の停止理由はさまざまだったが,そのうち12基は同型の原発で配管にひび割れがみつかったからだ。原発ではひとたびなにかあれば,同時に大量停止しうるのだ。

 2011年〔3月11日に東電福島第1原発事故が発生した〕,当時は火力発電所が多く存在し,これによって大規模な供給不足を回避した。それから13年経ち,火力発電所は老朽化が進んだ。

 政府の計画している20~22%という電源構成に占める原発比率(2030年時点)を達成するためには,27基以上の原発再稼働が必要だ。われわれはこの目標の達成が可能とは思わないが,仮に27基以上の原発が稼働するなかで問題が発覚し,すべての原発が再び停止した場合,現状では電力の安定供給確保はむずかしい。

 脱炭素の観点から大量にCO2 排出を増やすことが許される状況でもない。2012年に大飯原発3・4号機再稼働を国が要請したように,電力供給のためにと称して,危険な原発を動かすことを迫られないとも限らない。

 自由民主党総裁選挙ではさらに懸念される発言が多くみられる。たとえば,AIやデータセンターなどによる将来の電力需要増加予測を背景にした原発の新増設,さらには核融合への期待である。

 電力中央研究所の示す2050年の電力需要は,データセンターや電化などの需要増加をみこんだ場合でも,高位予測で 1.27兆kWh,低位予測で 0.94兆kWh(2021年現在 0.92兆kWh)である。一方,いま,原発の新設計画を進めたとして,実際に運転開始に至るのは10年以上先の話である。ちなみに今年運転開始したフランスの新設原発は建設だけで17年を要している。

 再稼働だけでも巨額の投資が発生しているなかで,いま,原発を複数基,建設できるような自力のある原子力事業者はいない。現在,原子力小委員会で議論されているふんだんな原発支援がおこなわれたとしても,2050年までに増やせる基数は数基止まりであろう。仮に高位予測が当たった場合でも,新設原発は規模も時間軸も合わない。

 核融合に至っては雲をつかむような話である。現在,核融合に関する動きが活発だが,発電技術として使うには多くの技術的課題がある。仮に実証できたとして,たとえば再生可能エネルギーと比べて競争力をもてる電源となりうるめどはまったく立っていない。政府が後押ししたとしても,2050年までに商業利用できる状況ではまったくない。

 与党と野党第一党の党首を選ぶ選挙は,日本の進む道を議論する場でもある。そのような大事な政策議論は,現実に即した地に足の着いたものであらねばならない。

原子力資料情報室からの原発体制批判

 本記述の「前編」(2024年12月18日)で問題にしたのは,『日本経済新聞』朝刊の記事が,この原子力資料情報室がこうして基本から批判した中身に対して,実質的にまったく答えられない論調および主張でもって,それもみごとなまで統一されていたことである。

 b)「ウクライナ戦争と原発-続く危機的状況」2024年8月2日,https://cnic.jp/51629

 この記事は,最後のほうのみ引用する。全文は上記のリンク先住所で読んでほしい。

 原発を攻撃する意思の有無にかかわらず,原発周辺での戦闘行為は最悪の場合,放射性物質の大量放出を招くことになりかねず,危険極まりない行為だ。原発への直接の攻撃でなくとも,原発につながる送電網が切断されれば、外部電源喪失のリスクが高まる。

 〔ロシアで原発がある〕クルスク州での状況を受けてザポリージャ州での動きも活発化している。一歩間違えれば,大惨事になりかねない状況が続いている。ロシア・ウクライナ双方とも,原発周辺での戦闘行為は速やかに中止するべきだ。また繰り返しになるが,ロシアは違法な侵略戦争をやめるべきだ。

「ウクライナ戦争と原発-続く危機的状況」

 これでも分かることは,「原爆=原発」(より正確にこだわるならば「原爆≧原発だが)だという事実。原爆のことだけが,「核の問題」なのではない。

 最後に繰り返すが,被団協の関係者は核の問題を取り上げていながら,原爆に限定された運動の方針と活動になっていた。まさか,ノーベル賞財団側がその事実をしらずに,被団協に対して平和賞を授賞したわけではあるまい(と思いたい)。

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