
「原発脳:原子力中毒症状」がはなはだしい経済産業省の電力観は亡国への一途被爆国(戦争時被害の立場)かつ被曝国(平和時加害の立場)である「日本の原発利用」を,詭弁的に「原子力-火力-再エネ」などと並べた「偽称の看板」をかかげ「国民を洗脳する欺瞞」(前編)
※-1 岡本孝司(東京大学教授)「原子力発電の将来像(上) 小型炉推進で技術途絶防げ」『日本経済新聞』2025年2月18日朝刊「経済教室」は,依然,骨の髄まで原子力エネルギー信仰に汚染しきっていた立場から “Viva ! atomic energy” と,いまもなお叫ぶその時代錯誤のエネルギー「感」がたまらない
この『日本経済新聞』2025年2月18日朝刊および2月19日朝刊の「経済教室」にそれぞれ掲載された原発・原子力問題に関した寄稿は,この電力問題にかかわって専門の識者2人,岡本孝司(東大教授)と鈴木達治郞に語らせている。しかし,最初に紹介する岡本について本ブログはすでに,つぎの記述でとりあげ批判していた。
しかも,岡本孝司へのその批判はかなりきびしく向けており,時代錯誤だといっても単に旧態依然そのものでありえなかった,つまり今後への発展性(エネルギー観としてのそれ)すら皆無であり,結局「乱想の語り」に終始していた。忌憚なくいわせてもらうと,その論旨の節操のなさを,満遍なく全面に滲み出した論旨になっていた。
付記)本日のこの記述内では,鈴木達治郎(長崎大学教授)「原子力発電の将来像(下) 依存度低減へ制度転換図れ 」『日本経済新聞』2025年2月19日朝刊「経済教室」も併せてとりあげる予定であった。
だが,岡本人志の寄稿そのものに対していろいろ寸評を入れ議論をくわえていくうちにだいぶ文字量が増殖してきたので,本稿は「前・後編」に分けて記述することにした。本日は岡本孝司のほうの見解をとりあげ吟味し,鈴木達治郞の関係は翌日にまわす。
本日のこの記述を始めるにあたり,このブログサイトのなかで実は,本ブログ筆者は昨日(2025年2月21日)は終日所用があって,このブログの執筆を休んでいた。そのあいだに,この記述がとりあげる『日本経済新聞』「経済教室」への原発(原子力エネルギー)問題関連の2稿(2月18日が岡本孝司の寄稿,19日が鈴木かずえ寄稿)を,早速比較しながら議論しているブログがあった。
しかし,残念ながらこの記述は正直いって辛辣な評価になるが,素人談義の書いた感想文の域を出ていない。このような反応を示す人が実際に出てくるということは,まさに「原発推進路線」の熱烈な信奉者である日本経済新聞社の立場からすれば,大いに歓迎され,とても好ましい「期待してみたような反応の好例」だという受けとめになる。
以上の指摘については,本日のこの記述全体を通して徐々に明らかにしていくことになる。要は素人の立場であっても,この程度に応えるしかない文章を書くことになれば,陰でほくそ笑んでいる日本経済新聞社の幹部論説委員がいることを忘れてはいけない。おそらく,上段の執筆者はそこまでは配慮をしていなかったとしか考えられない。
ここでは,本ブログ内からつぎの記述を対置させるかたちで紹介しておき,本日の本論に進みたい。
※-2 岡本孝司「原発支持・推進論」の苦しい論説ぶり
〔ここから岡本孝司「寄稿」の引照を始める ↓ 〕
2040年度の電源構成の見通しを示した政府のエネルギー基本計画案が2024年12月に公表された。
原子力発電に関しては依存度を「可能な限り低減する」としてきた従来の表現を削除し,再生可能エネルギーとともに最大限活用していく方針が示された。2040年度の発電量に占める原発の比率は2割を維持するみこみだ。
エネルギーは世界の課題である。先進国ではエネルギー需要が飽和しているが,グローバルサウスの経済発展とともに世界全体でみた需要は増加している。
とくに重要な電気エネルギーでは,設備の瞬間的な発電量(キロワット)ではなく,総エネルギーである電力(キロワット時)を考えなくてはならない。
日本では過去30年程度,電力需要は約1兆キロワット時でほぼ一定であった。しかし世界の電力需要は2008年の約20兆キロワット時から,2023年には約29兆キロワット時へと増えた。国際エネルギー機関(IEA)は2040年に40兆キロワット時を超えると予測している。
補注)この予測はどこの・どの機関であるそのIEAが,しかもどのように実施したのか? 原発もこみこみでエネルギー問題にとりくむ立場・思想のこの国際機関についてウンヌンするときは,無条件にそのいいぶんを受け取り,呑みこむわけにはいかない。
「過去30年程度,電力需要は約1兆キロワット時でほぼ一定」という説明の仕方は,アバウトとしては概括的にズレがあった。21世紀になってからの日本における電力需要の推移は,つぎの図解を借りていうと,2011年3月11日の東電福島第1原発現場の影響を無視できないほど,減少した。これをみない振りでもしたかのような説明⇒「過去30年程度,電力需要は約1兆キロワット時でほぼ一定であった」は,不正確かつ不誠実な叙述といわざるをえない。

エネルギーの量そのものとその中身とのありようが問題となるが,原発推進論者が「エネルギー需要が増える=原発がもっと必要」という発想しかもちあわせないのは,ともかく「原発,原発,原発・・・がもっと必要だ」という既定観念に常時,呪縛されたかのようなエネルギー感しか前提されていないためであった。
〔記事に戻る→〕 石炭などの埋蔵量は十分あり,グローバルサウスは化石燃料をもとに安価で安定した電力を使って経済発展してくる。日本の電力が高価で不安定なままでは,グローバルサウスに対抗して産業を発展させていくことはできない。一方で世界的な脱炭素の動きも強い。将来の状況を見据えて戦略を考える必要がある。
現在,世界の発電電力量約29兆キロワット時のうち,原発は 2. 6 兆キロワット時と約9%を占める。運転中に二酸化炭素(CO2 )を排出しないだけでなく,天候に左右されず安定して安価な電力を供給できる利点がある。
補注)この原発の有利性に関した主張は根拠薄弱であった。まさか東大の先生だから東大話法を早速繰り出してきたのかと思いきや,そうではなかった。ともかく,この岡本孝司の寄稿を読みはじめたところで早速,「?」が浮上したしだい。
例のとおりであるが,「運転中に二酸化炭素(CO2 )を排出しないだけでなく,天候に左右されず安定して安価な電力を供給できる利点がある」という訴求点からして,実にトンチンカンないいぶんであった。
「運転中に二酸化炭素を排出しない」というけれども,それでは「休止中にはその二酸化炭素を排出するのか」といったふうに,こちらもそのトンチンカンぶりを倍増させて問わねばならなくことがらがあった。
「グローバルサウスに対抗して産業を発展させていくこと」と「話をもちだす」という言辞も,いったいなにをいいたのか具体的には理解しにくい。
原発・原子力問題になるといつも紹介するのが,つぎの槌田 敦の分かりやすい図解であった。このほんの一部分の過程(発電所のところ)にしか触れえない,原発の「運転中だけは炭酸ガスをほとんど(少ししか)出さない」みたいな理屈で済まそうとする説法は「舌足らずのいいわけじみていてまったくいただけない」。この程度にまで基本にかかわる論点を完全に無視して逃亡した説明は,初めから「無理筋以前の論点回避」を意味した。

おまけに廃炉したあとは何十年かかって後始末するのか?
廃炉工程は半世紀からものによっては1世紀もかかるのに
しかもその始末はすっきりと自然に戻せるのでもない非常な厄介モノ
つぎの槌田 敦の図解は前掲のこのものをさらにくわしく描いている。

〔記事に戻る→〕 このため,世界中で原発を推進する動きが強くなっている。2023年の第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)では,日米英や韓国などを含む22カ国によって,2050年までに世界の原発の設備容量を20年比で3倍にするという宣言がなされている。
補注)昔は原発の事故に関した発生確率の計算(想定)方法は,故意に非常に低い可能性(蓋然性)を「想定していた」ので,その発生じたいすらも初めから「想定外の問題」であったかのように,つまり,完全なる誤説を基本に置いてみせ,この誤解を世間に広めていた。
ところが実際はどうであったか?
現状において稼働しうる原発は世界で430基ほどであっても,いままでの半世紀とその少しばかりの時代しか経っていないのに,
1979年3月28日のスリーマイル島原発事故(評価尺度7段階の5)
1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故(評価尺度7段階の7)
2011年3月11日の東電福島第1原発事故 (同 上 )
という深刻かつ重大な過酷事故を発生させてきた。

世界で原発が電力生産のために利用されているが,日本初の「商業用原子力発電」は1965年11月10日,茨城県東海村の東海発電所が開始したのに始まる。また同じく日本初の「軽水型商用原子力発電」が稼働したのは,2025年からだと,45年前の1970年3月14 日になる
世界全体に関係した話ともなれば,おおよそ20年に1回は原発の大事故が発生し,世界中が大騒ぎさせられた。それも,これまでは地球の北半球を大々的に放射能で汚染するという大問題を随伴させた。
1986年4月のチェルノブイリ原発が爆発事故を起こしたとき,旧ソ連のそれも西側に国境を接した国々は,飛来してきたその放射性物質から広範囲に有害な汚染を被ったことは,当時,ニュースを聞いたことのある人たちであれば,年齢だと1970年ころ以前に生まれた人たちであれば,なんらかの記憶をもっている。
これから原発を初めて新設する国々も出てきて,その基数じたいが段々に増えてくるし,一般論でいうと事故が発生する確率が,いままどとほぼ変わらないと「想定」できれば,20年ごと(おおまかに四半世紀)に1度くらいは,どうしても原発の大事故が起きてしまう(このような予測の仕方はけっして奇抜でもなんでもなく,ごく自然な推論である)と考えても,なんら不自然な点はなく,ごく当たりまえの理屈。
要するに,事態は深刻・重大どころか,もう原発はいっさい廃止にしておかないと,人類・人間が生きているこの地球環境は,またもや非常な危険の真っ只中に置かれる「可能性=危険性」が絶対に来ないなどとは,誰にもいえない。
〔記事に戻る→〕 原発は初期投資が巨額だが,仮に建設に15年間,5000億円かかるとしても発電を始めれば年間80億キロワット時の電気が60年間えられる。価格が1キロワット時あたり15円と仮定すると,売り上げは約7兆円。割引率や燃料代も考慮しなくてはならないが,運転中は定常的に,長期間にわたって巨大な売り上げが期待できる。
補注)岡本孝司は,原発の建設費(通常だと100万kw時の性能)を「仮に建設に15年間,5000億円かかる」と発言していた。だが,これは最新の原発建設費についてかなりサバを読んで,わざと非常に低い価格を出した。このあたりの事情:事実は,AI君が当たりまえに指摘しており,だいたいこう発言していた。
「原子力発電所(原発)1基の建設費は,出力や安全対策の強化の度合いなどによって異なるが,1兆円~2兆円程度とされている」と。そうだとすると,「岡本孝司先生,その差額は5千億円から1兆5千億円にもなっていますぞ」? この差額は冗談にもならないほどとても大きく,2倍と4倍の価格差にまでなっている。まともに,マジでの発言とみなせるわけがない。
2015年ごろだったがすでに,東芝の経営不振を粉飾した事件がバレたとき,この時期になるころであれば,原発1基の建設費が5千億円くらいであった水準が,この倍にはなりつつあった。それゆえ,原発を外国へ売りこむ商談もうまくいなかった。
その道の専門家である東大の教授岡本孝司が,2025年2月の時点にあって「仮に〔原発1〕の建設に15年間,5000億円かかる」と発言した点は観過しがたい,それも意図的に口にした〈間違いの価格〉である。つまり論外の,虚偽に相当する発言だという解釈ができるのは,その価格が単純に勘違いだとか,あるいは記憶違いでのそれだとは,とうてい思えないくらい大きく外れていたからである。
補注中の補注)「原発の〈建設費が高くなった要因〉」は「事故対策費用の増加」「量産が難しいこと」「安全対策の強化(福島第1発電所事故後の安全規制基準の変更など)」「物価変動(高騰・インフレ)」が利いていた。岡本孝司はこれらの関連する事情をしらないわけがない。
また岡本孝司は,原発の稼働期間を当然のように「60年間」と決めて議論しているが,過去の記録として,これまで廃炉になった原発には60年間稼働させてきたものはない。
そして,これから未来にかけてそこまで耐用年数を無理やり延長させ,60年間を稼働させる仕方(しかも日本の場合だと,保守・点検などのため稼働していない時間はその60年間に入れないといった,奇想天外の発想まで追加されていたこと)じたいからして,これだと,もうほとんど暴論的な「原発騒乱的な論理狂態」を表わす。
原発の核心である原子炉の老朽化について,もしも事故が発生しやしないかという危険性(その確率の高まり度)については,まったく未知の次元に属している問題であるのに,その中を直接のぞけない,点検できない,もちろんじかに修理できない「原発的現実」は,あまりにも甘めにしか捕捉されていない。
そうした「原発の造り」(物的な機構:構造と機能の工学的なありよう)を前提に考えるとき,原発の寿命というものは,施設全体のそして個々の機器の耐用年数や,とりわけ圧力容器の「中性子の照射による脆化」などを考慮して定められているといっても,この脆化の状態をじかにまともに持続的に把握(計測)できているわけではない。それゆえ,その寿命を40年からさらに60年にまで延ばしたのは,まさに暴挙。
その60年寿命にまで延ばし,改悪した原発の耐用年数が,もしもにでも事故(当然大事故になりやすい)を発生したとき,この地球上に生きているわれわれは多分,どこの国の原発であっても事故を起こしたさいは,あらためて多くの人びとが住みかを追われ右往左往させられる。
そうした事実については,つぎの原子力資料情報室の解説を聞いて,さらによく理解しておく価値がある。つぎのリンク先住所を参照したい。
★「原子炉圧力容器の脆化(ぜいか)の予測は可能だろうか ―40年超の関電・美浜原発3号機の再稼働は許されるのか―」『原子力資料情報室』2021年7月1日,https://cnic.jp/39477 ★
この原子力資料情報室の指摘は,「或る原子炉の圧力容器が年数を経てどれくらい危険な状態になっているかを判断する信頼できる方法がみつかっていない」現状のこと,つまり,原子力核工学的にはいまだに不完全な技術水準にとどめられていながら,
そうであっても,原発の耐用年数だけを「従来の40年間から60年間に延長させた」原子力村の発想・立場・利害というものは,人間のなしうる科学的な理解・認識・説明力などに限界などが,ありえなかったかのように振るまい,おまけに「自分たちの無謀・横暴・僭越」をも,いっさい感じないで済まさせる「法外・不埒・粗暴のヤカラ」だと断罪されて当然である。
もしも不運にもこんどまた,日本で東電福島第1原発並みの大事故をほかの原発起こしたとなったとき,いったいどこの誰がどのように責任を取るというのか? そのときはもしかしたら,そのような責任追及をしようとする前に,この国じたいが消滅する可能性すら排除できない。

あるいは,日本よりも原発立地密度の高い韓国の原発が大事故を起こしたりしたら,南北緯度に長い地帯に位置する日本の特定の地域が,放射能で大々的に汚染される可能性もないとはいえない。
また,中国の原発に大事故が起きた場合でも同様であり,この場合だと韓国・北朝鮮・日本に,さらに台湾にも直撃し,被害が発生させる危険性もある。
だいたい,東電福島第1原発が発生した直後,日本は東日本全体が住めない地域になるかもしれなかった「危険性(可能性)発生の寸前」にまで至っていた事実を,仮にでもまさか忘れたわけではあるまい。
いつまでも脳天気にとみえるくらいに悠長な原発技術観を,それも古い情報,旧い知識で語った原発・原子力問題専門家のいいぶんだとしたら,もはやまともに耳を傾ける気をもてない。
〔記事に戻る→〕 しかし投資の回収期間がきわめて長く,世界情勢の変化などリスク要因もきわめて大きい。このため近年は小型モジュール炉(SMR)の開発がブームとなっている。投資額が小さいため投資の回収期間が比較的短く,安全性も高い。これらの利点を生かし,カナダや米国を中心に脱炭素電源としての開発が進んでいる。
既設原発は売り上げに比べて燃料代などのコストが小さいので運転すればもうかる。しかし原発には事故のリスクがつきまとう。世界中で安全性を高める努力が続けられてきたが,東京電力福島第1原発事故を防ぐことはできなかった。
原発の安全性を高めるように投資することは経済的にも合理性がある。図は,米国イリノイ州のドレスデン原発2号機と3号機の年間発電電力量の推移である。福島第1原発と同じ沸騰水型の原子炉で,ほぼ同時期に建設され,いまも運転が継続されている。点線は定格出力で1年間運転した場合の発電電力量(設備容量)であるが,運転開始当初は,実際に発電した電力はその半分程度であった。

さまざま々なトラブルに見舞われたこともあるが,当時の米国の原子力規制が,発電所活動の一挙手一投足を縛る内容であったことも一因である。しかし1990年代に「リスク」の概念が安全規制に取り入れられた。リスクを減らすことが規制と発電所の共通目標となり,安全性を高めるための活動が積極的におこなわれた。原発はより安全になり,ほとんど止まらなくなった。
補注)設備・機械の稼働率・利用率の問題が原発の場合だと,このように語られる点は,率直にいって不可解である。技術経済面の運営方法としてはそうなるように(100%操業度・稼働率)に近づける努力は,いうまでもなく,いつでもどこでも要求される基本的な条件である。
〔記事に戻る→〕 結果として発電量は増加し,設備容量のほぼ100%に近い電力を継続的に発電できるようになった。安全性を高めることで安定電源としての地位を確立し,売り上げも増大した。リスクを考慮しつつ燃料などを改良することで,設備容量じたいも増大している。
発電所と規制機関の双方が,リスク低減という共通目標で努力を進めることで安全になり,安価で安定した電力を大量供給できるようになったのである。
実は,ドレスデン原発は2021年に停止を計画していた。米国では安価なシェールガスなどにコスト面で対抗できないと電力会社が考えたためである。しかし脱炭素電源として有望であることからイリノイ州が財政的に支援し,現在も発電は継続している。さらに運転期間は80年間への延長をめざしている。
補注)「ほら,出た」というそれが,またぞろ登場した「脱炭素電源として有望であること」という文言であった。「運転期間は80年間への延長」という文句まで聞かされると,ほとんどホラー並みの話題。
とりわけ「原発にかかわりまつわる〈安全の問題〉」という話題と,この原発以外の,それも同じ発電装置・機械であるほかの電源,「火力および再生可能エネルギー」に関した〈安全の問題〉の話題とでは,その基本的な性格があまりにも違いすぎた。
たとえば,明治時代から操業してきた足尾銅山の鉱毒はいま,渡良瀬遊水地に流しこまれ封印された状態になっているが,これからの地球環境史における大きな傷跡を地中に葬ったまま(隠したまま),その公害問題史のなかで顕現させざるをえなかった「負の日本的特性」として,それでも記憶させるための遺跡になってはいる。
★その後につづいて東電福島第1原発事故の
犠牲にされた地域のその後】に関する本日報道の記事 ★

【参考記事】
〔前段・補注の続き→〕 それに対して,旧ソ連邦に位置していたが現在のウクライナにあるチェルノブイリ原発は,最近,宇露戦争の最中に起きた事件として,ミサイルではなくロケット弾程度による攻撃がロシア軍側からしかけられ,この事故原発を覆っていた「石棺の覆い」が一部破壊され,穴が空いてしまい,放射能が漏れている。
〔記事に戻る→〕 なお,フランスやフィンランドなどの国々でも脱炭素の安定電源として,既設原発の積極的な活用が進められている。世界では原発の安全性(Safety)を向上することによって,環境(Environment),安定供給(Energy Security),経済効率性(Economic Efficiency)という「S+3E」を満たす重要な電源になると認識されている。
補注)この「S+3E」を満たす重要な電源になるのが原発だとと認識したがったり,しかもくわえて「脱炭素の安定電源」だというのも,完全に誤説であった。本ブログ内ではその論点については,つぎの記述で詳細に言及した。
明確に断わっておくが,この「S+3E」からは,もっとも縁遠いエネルギーが原子力であるのに,正反対をことを岡本孝司は堂々といってのけた。もっとも,原発推進派の面々はいままで,この岡本と列を組んでそのように斉唱してきたのだから,なにをかいわんやである。
〔記事に戻る→〕 これとは対照的に,日本では福島第1原発事故の記憶も新しく,原発に対する国民の信頼が必らずしも十分ではない。国内原発は再稼働が進まず,2023年度の総発電量は年間800億キロワット時程度にとどまる。しかし全原発の設備をフルに活用できれば3000億キロワット時程度,総需要の3割の電力供給が可能である。安全性の向上を急ぐ必要がある。
補注)岡本孝司は原発の最大限活用を盛んに強調したい立場であるが,この発言は逆さまにみれば,「再生可能エネルギー」の活用・展開の方途を密殺しかねない原子力村の価値観に過ぎない。東電福島第1原発事故の記憶は早く忘れてくれとも催促しているのか(?)とまで,いいたくなるような岡本の口調がうかがえた。
〔記事に戻る→〕 いまの10%に満たない原発(原子力)の電源比率を,「3000億キロワット時 ÷800億キロワット時」= 3. 75 倍にまで増やせといったも同然の意見を,岡本孝司は明言した。
核燃料サイクル事業じたい,これまで何十年かかっても成就できないどころか,使用済み核燃料の最終処分場さえまだ,どこにも決められていないなかで,よくぞまあ「全原発の設備をフルに活用できれば」などといえたものである。
日本の原発はそれこそ,その後始末(排泄物の)がいまだに全然その見通しがたっていない。日本が発明したウォシュレット(温水式便器)は世界中から歓迎されているけれども,自国の原発が排泄する「〇〇△△」を適切に始末するための組織態勢すら整えていない現状において,「全原発の設備をフルに活用できれば」とまでいえた感覚が,どだい理解を絶する。
〔記事に戻る→〕 40年に原発を「最大限活用」することを考えた場合,最大の課題は技術の継承である。日本では福島第1原発事故の影響で原発の建設が15年近く止まり,日本のメーカーは技術力の維持が困難になっている。
補注)こうした種類の理解・指摘は,前段で若干触れた東芝(や日立,三菱重工の「御三家」)が,採算の取れる原発事業部門を構築できなくなっていた問題(事業展開の不調ぶり)には触れないで,岡本孝司のような言及を前面にかかげた言辞は,それこそお門違いないしは見当はずれというか,表現としては捨て鉢の,破れかぶれの発言だとしか形容できない。
〔記事に戻る→〕 米国でも1979年のスリーマイル島原発事故後,2000年代以降に原発の再評価が進むまで新増設がなく,技術力が低下して日本製原発を輸入する計画が浮上した。日本の現状はそのころの米国に似ている。
補注)スリーマイル島原発事故に大きな衝撃を受けたのは,ほからならぬアメリカじたいであった。さらには,チェルノブイリ原発の大事故がそうした原発展開の不活発をアメリカにもたらして事実から,意図して目線をそらしたかったがごときこのような解説は,脱線そのもの。
【奇妙な言説が三菱関連の研究所員の口から吐かれていた】
「世界の原子力需要拡大で考える日本の使命 世界に信頼される技術力を強みにASEAN市場開拓へ」『MRI 三菱総合研究所』2024年9月17日,https://www.mri.co.jp/knowledge/column/20240917.html においてだったが
執筆者の「政策・経済センターの吉永恭平」が,いまさらながらの,詮ない,つぎのごとき意見(ひとつの解釈論)を披露していた。いまの日本は,原発の製造・販売能力がないも同然の窮状にまで落ちこんできた。したがってこの期に及んでこのような発言をしたとしても,なにかがどうにかなるという余地が切開できるのではない。
〔記事引用⇒〕 3カ国(中国,インド,ロシア)以外の主要な原子力技術保有国では,スリーマイル島原子力発電所や福島第1原子力発電所での事故,電力需要の伸びの鈍化などにより〔チェルノブイリ原発事故をなぜここの記述からのぞいたのか? 製造技術の違いにでもこだわった意見か?〕新規建設は停滞している。
この結果生じた建設のない空白期間が影響し,原子力発電所建設を支えるサプライチェーンの弱体化があらわになってきている。
たとえば,世界最大の原子炉保有国であるアメリカは,スリーマイル島原子力発電所の事故以降35年もの間,新設の計画が本格化しない空白期間が続いた。
その後初めて実現したボーグル原子力発電所3・4号機の新設では,建設費用が当初計画より190億ドル以上の上乗せとなり,8年遅れの2023年8月の稼働となった。
また,14年ぶりの新設計画となったフランスのフラマンビル原子力発電所3号機は,当初2012年に完成予定であったが,12年遅れての2024年9月の稼働となった。
〔岡本孝司の記事に戻る→〕 中国や韓国では国内の原発建設が旺盛であるうえ,パキスタンやアラブ首長国連邦(UAE)などへも原発を輸出している。日本は現在の状況が続けば技術が途絶え,将来的に原発の新増設が必要になった時,中国製や韓国製の原子炉を輸入しなければならなくなる可能性すらある。
これを打破するため,日本ではまずは安全性の高いSMRを積極的に建設し,メーカーの技術力を維持するとともに,国民の理解をえる努力を続けることが必要である。長期的には大型の原発新設を視野に入れるとしても,まずは国内外でSMR建設の実績を積むことが肝要であろう。
補注)この意見はSMRに重点を移した日本における原発製造・販売能力の回復を願っているけれども,昔であれば「安全・安価・安心」といった標語を,ウソであっても強説できた原発の技術経済的な特性をめぐる虚偽は,現在になってみれば,そのすべてで,つまり「危険・高価・不安」の「悪3拍子そろった」原発を造って売るという企画は,いまの日本の大企業・製造業にはほとんど期待できなくなった。とくに,原発一式そのものに限っていえば,まったくそのとおりに妥当する話になっている。
〔記事に戻る→〕 原発では核燃料として低濃縮ウランを使う。現状はほぼ輸入に頼っているが,長期的には濃縮ウランの供給確保がきわめて重要である。SMR用の低濃縮ウラン製造には特殊な工程が必要で,技術開発により日本の優位性を高めることもできる。政府は濃縮ウランの供給戦略をしっかりと構築していくことが求められる。
この最後になっての岡本孝司の意見は,今後に賭けることができる,ほのかな可能性を頼りにした原発推進派の立場を,正直に告白している。ここで思い出すのが「日本の核燃料は準国産だ」と主張してきた「意見:立場」である。
前段の記述(説明)に対しては,パイナップルを日本が輸入してこれを缶詰製品にしたらこれを称して「日本の準国産」といえようか(?)という反問が,当然のように突きつけられる。
だが,そのような屁理屈をこいているヒマがあったならば,なるべく国産の材料・部品も使える工夫をもって,再生可能エネルギー領域の拡大に時間と費用をかけてする電源開発のほうが,より得策で賢明ではないのか。
※-3 岡本人志の寄稿において日経紙面だと冒頭に「〈ポイント〉として掲示されていた3点」について短評を添えておく
○-1 世界的には脱炭素に向け原発推進の潮流 ……これについては脱酸素を騙った文句として看板に偽りあるの,つまり単なる根拠を欠いた台詞だとしか応えようがない。
○-2 安全性を高める投資は経済的にも合理的 ……この点はなにも原発だけの利点(?)ではない。一般論に個別の具体論による裏付けが不在の,単なる理屈だけのいいぶんに説得性はない。
○-3 日本は原発新設が途絶え技術継承が課題 ……これは事実に触れているものの,どだい,原発を新設する必要がないにもかかわらずこのように原発,原発,原発……が必要だと念仏を唱えるような提唱は,しょせん,空念仏なり。
----------【アマゾン通販:参考文献】-----------