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明治期帝国主義時代からの家制度・家族主義観にもとづく同姓使用強制の問題(その1)

 ※-0 2024年9月2日から問い直す「同姓・別姓」問題史

 本記述は,標題のように「明治期帝国主義時代からの家制度・家族主義観にもとづく同姓使用強制の問題(その1)」として,書きはじめていた論稿である。もとの記述は,以前利用していた別のブログ・サイトで,2015年11月5日に公表してあって,その問題意識はつぎのように措定してあった。この点は,ここで事前にひとまず紹介しておくことが適当と考えた。

 ◆-1 明治天皇は「皇室の家長」として何人もの妻(妾・側室)を置いていながら,帝国「臣民の夫婦2人」には同姓を使えと命じていた旧民法。

 ◆-2 日本国においては,夫婦は同姓にさえしておけば,家・家族の社会領域にあっては,なにも問題が生じないかのように決めつける誤想が,いまだに残っている「この不思議さ」。

本記述の問題意識

 本日,2024年9月2日に前段のその記述を補訂し,あらためて書き下ろしたかたちで公開するに当たっては,「今日的(最新的)に」,関連する諸論点を点検し,更新しなおす必要が出てきた。というしだいで,こちらなりにさきに,いくらか多めになるが,字数を費やし,記述しておくことにした。

 つまり,本ブログ内でその2015年11月5日に記述されていた段落は,ひとまずあとまわしにした構成となるが,本日における2024年9月2日の記述がその「旧稿」の前部に連結させて置くかたちになっている。

 以下に,新しく書き足すための本体部分の記述を「前論」として展開していく。

 本日「復活させる予定であったその旧記述部分」は,最初に公表してからすでにほぼ一昔も前に書いた中身であった。しかし,今日(2024年9月2日)になってみるに,議論していたその問題性(中心の論点)は,本質的動向に関してあまり進捗がうかがえないまま,「日本の家・家族観」の「現存在的な問題状況」でありつづけた様子がうかがえたゆえ,後段において(明日以降の続編として)再掲するその旧文章は,いまだにまだ有効というよりも,むしろ復活させておく必要をさらに強く感じた。

オンナがいなければオトコは産まれない
人間のオスだけでは子どもは儲けられない

 さて,本日のこの「本稿」で最初に紹介するのは2024年6月下旬,『週刊新潮』2024年6月27日号に掲載された,つぎの文章である。このなかには,21世紀に生きる「明治謹製の化石的な人間類型」そのものだと即座に,かつ容易に判定できた人物,八木秀次(麗澤大学教員)が登場していた。

 この人の意見を聞くと即座に,そうとうに噴飯モノの発想に気づく。要は,明快にトンデモであった点は,おそらく,彼を囲むごく一部のお仲間をのぞけば,万人に認められうる点だと理解されうる。

 付記)今日はなんの日か?


 ※-1「経団連が『選択的夫婦別姓』早期導入を提言のワケは? 背景に“旧姓の通称使用では不十分”という女性役員たちのホンネ」『デイリー新潮』2024年6月28日,6:06 配信(元記事は『週刊新潮』2024年6月27日号)

 今〔6〕月10日,経団連の十倉雅和会長が,選択的夫婦別姓の早期導入を求める提言を取りまとめたことを明らかにした。一見,経済活動とは関係なさそうなのだが,なにが背景にあるのか。

 「夫婦別姓に向けた動きは1996年,法制審議会が旧姓を選択できる改正案を答申したことから活発化しましたが,当時の経団連はあまり熱心ではありませんでした。しかし,2018年,IT企業サイボウズの社長が国を憲法違反で提訴すると,経団連現副会長でディー・エヌ・エー会長の南場智子氏らが別姓を支持する声明を発表。この頃から積極的に法改正を求めるようになったのです」(経団連担当記者)

 最高裁はこの訴えを棄却。その一方で,旧姓を通称として使用することを認めるケースは増えており,国務大臣の旧姓使用やマイナンバーカードでの旧姓併記も可能になっている。

 そこで経団連に聞くと,「私たちの調査では88%の女性役員が “旧姓の通称使用” が可能であってもなんらかの不便,不都合,不利益が生じると思うと答えています。女性経営者の活躍という面からも夫婦別姓に取り組むべきだと考えているわけです」(広報担当者)

 補注)以上の記事の説明は,実にもっともな意見を紹介しているに過ぎなかった。

 「世界に冠たる神国日本(大日本帝国)だったと独りよがりで決めこんでいた,それも明治憲法下のわずか半世紀ほど,敗戦するまでの期間内の「この国であった」ならば,夫婦間において別姓を認めず,同姓を臣民たちに強いてきた旧民法的な法制が,なんら問題がなかったかのように虚構されたかたちで,国民たちに対して当然のごとくに押しつけられていた。

 けれども,いまどきのこの日本は,アジア諸国のなかであっても唯一「別姓を基本から認めない民法」を墨守しているわけで,この唯一例外的な特徴はけっして誇れるものとはいえない。しかしそれでも,井の中の蛙「状態」でいられるせいか,同姓制度にはなにかすばらしいものが含有されているかのように洗脳されてきた自分たちの無識さを,まだよく覚醒できていない。

 同姓でないと「家というものの伝統」,そしてまた「家族のその美風である慣習のたぐい」が維持できないとかなんとか,とうていわけの分からぬヘリクツが,そのさい当然のように喧伝されてきた。

 だが現実に目と向けてみよ。その割には,現在の日本においてだが「3組が結婚して夫婦になった」と思ったら,同時に即刻,「1組の夫婦が分裂(離婚)していく」「この日本の婚姻事情」は,はたして,同姓婚の善さ:すばらしさ(?)と比較考量してみるに,

 いったい,いかほど,家族社会学的に評価されるべき利点・長所がありえたというのかと問われても,疑問しか湧いてこない。「別姓反対」論者からは,そうした疑問・批判に対して返せる,有効でまともな反論を聞いたことがない。

 ここでは,不破雷蔵「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 検証・解説者「日本の婚姻率と離婚率の実情をさぐる(2023年公開版) 」『YAHOO!JAPAN ニュース』2023年8月6日,11:01 から,つぎの統計図表2点を併せて紹介しておく。この図表には,リンク先住所を載せてあるので,興味ある人は本文のほう全体を参照してほしい。

 この不破雷蔵の解説は,こう述べていた。

婚姻率は1960年代までは減少をしていたものの,その後少しずつ上昇。2002年には戦後最高値の0.23%をつけている。

 それ以降は婚姻率そのものが減少しているため(今件の値は人口に対する割合であり,婚姻者に対する割合ではないことに注意),婚姻率同様に離婚率も減少傾向にある。2011年には節目となる0.20%を切り,それ以降はさらに漸減する動きを示している。

 なお,2019年以降の値は今世紀分のグラフをみれば分かるとおり,イレギュラー的な動きをしている(2019年の婚姻率はとくに)。これは2019年の改元と2020年以降の新型コロナウイルス流行の影響によるものである。

 婚姻率の減少は短期的には経済的な問題,そして中長期的には男女間の価値観の移り変わりや社会環境の変化が影響していると考えてよい。なにか社会的な変化がない限り,今後もなだらかな形で低下を続けることだろう。

同姓社会であるならば離婚件数1に対して結婚件数
30や50でもよいのでは?

 婚姻問題としての時代的に推移してきた傾向そのものとはなにも関係すらなく,しかし,それでもの話となるが,最初に引用してみた『デイリー新潮』2024年6月28日〔『週刊新潮』2024年6月27日号〕に登場した,トンチンカンもはなはだしい国家主義者,それも日本社会の理解において典型的にズレまくっていた〈大学人〉の1人が,つぎのように素っ頓狂な発言をしていた。

〔記事に戻る ↓ 〕

  ★ 神道政治連盟は “反対” ★

 こうした動きは政界にも広がっており,野党や公明党も選択的夫婦別姓に向けた法改正を要求している。〔2024〕3月15日の参院予算委員会では日本共産党の小池 晃書記局長が「経団連の十倉会長と小池〔百合子〕都知事のこと〕が同じことをいっている。皆既日食みたいなものだ。こんなことは滅多にない」と大絶賛した。

 補注)百合子が本当に別姓(選択制のそれ)に賛成だったのかどうか,あえて怪しいと観てもよい。この都知事は計算高いことこのうえない人物であったゆえ,損得勘定でなんでも決める人間であった。この路線でそのように,ただ語っていたといえなくはない。ただし,その偶然的な結論であっても,悪い意見ではなかったと評価することは,自然な解釈である。

〔記事に戻る→〕 一方,自民党に影響力をもつ神道政治連盟は,選択的夫婦別姓に反対だ。同連盟の政策委員で麗澤大学教授の八木秀次氏がいう。

 「法改正しなくても通称使用でほとんどの不都合が解消しているのが現実です。そもそも夫婦別姓とは社会主義的なイデオロギーからきている考えです。土着的な共同体を解体するためにファミリーネーム(姓)を否定する。その手段が夫婦別姓です。欧州のリベラル系のエスタブリッシュメントにはこうした考えの人が多く,企業経営者を介して日本の経済界にも伝わってきたのでしょう」。

 補注)この八木秀次の発言,それも「夫婦別姓とは社会主義的なイデオロギーからきている考え」という指摘は,「?の度合」からだと「最高度にまで,その測定した針の目盛りが上がるゲテモノ」風の中身になっていた。より正確にいうとしたら,噴飯モノでしかありえない突飛な,つまり説明になっているなどとはいえない,その解釈であった。

 八木秀次先生,いったいなにを血迷ったことをおっしゃるか? 東アジアの中国や韓国,台湾では大昔から別姓であった。

 つまり,社会主義(たぶん共産主義だともいいたかったはずと思料するが)とは,歴史的にも論理的にもなんら関係も因縁もない「歴史認識の問題」であった論点をめぐり,そのように「赤い服を着ていたら全員,ソーシャリストないしはコミュニスト」みたいな独自の発想は,おやめになったほうがよろしい。

 八木秀次先生,以前は高崎経済大学に勤務していたが,その後,あの麗澤大学に移動していた。その間,おっしゃる中身はいよいよ「神がかってきた」のでなければ,大学の先生にしてはひどく粗雑で,かつ無教養にも感じさせてならない「脱論理的な強引話法」を駆使するようになっていた。

 いってみれば,野ウサギが跳んで低い柵を越えている程度でしかないにもかかわらず,モグラが地中を掘りながら前進するごときアングラ的の発言を放っていた。結果,もうすでに,論外というか法外というか,まともな議論からはるかに埒外に遁走あるいは迷走したようなド・ヘリクツを飛翔させていた。

〔記事に戻る→〕 そんなわけで “不倶戴天の敵” にも褒められてしまった十倉会長だが,最近,憲法改正にあまり言及しなくなったのは気のせいか。(引用終わり)

 以上の記述は2024年8月=現時点のものであったが,ところで,この国の首相はもうすぐお役御免になる岸田文雄であったが,ここでこの人を山車に引きだし,少し議論しておきたい。

 この「世襲3代目の政治屋」でもあった岸田文雄はある意味,安倍晋三以上にろくでもない自民党(プラス「下駄の▼ソ」的公明党との野合)政権をそのまま継承してきただけであって,平々凡々というか,赤点以下しか付けてもらえない政権の指揮ぶりを記録してきた。

 『東京新聞』2021年11月2日,「〈私説・論説室から〉岸田政治に「民」はあるのか」https://www.tokyo-np.co.jp/article/140355?rct=opinion という記事は当時,首相になったばかりの岸田文雄を(少し後段でなってから紹介するが),論説主幹の豊田洋一が論評していた。

 その記事は,岸田文雄に対する豊田の〈問い〉を投じていた。けれども,文雄側はそれを〈ナゾナゾ・クイズ〉ごときにしか受けとめることができていなかった。

 その後3年近くが経った,今月(2024年9月27日の自民党総裁選までで,岸田文雄の実質的な首相任期は終わる)になるにもかかわらず,この政治屋首相は,自分が首相でいられる期間をいかにして,わずかでも伸ばすことにしか関心のなかった,まさしく世襲意識のせいで全神経がマヒ常態化していた,いいかえると単にセコイ御仁であった。

 別姓問題についてこの首相の時期(約3年間)のなかで,なにか進展がもたらされたかと問われたら,即座に否と答えるほかなかった。

 たとえば『朝日新聞』は,岸田文雄の退陣を踏まえ総括までしたうえで,「岸田文雄首相が3年の任期をもって退陣します。『選択的夫婦別姓』や少子化をめぐる対策など,棚上げにしてきた政策は数知れず。宿題はつぎの首相に引きつがれます。主な課題を6回に分けて検証します」などと断わったうえで,つぎのような解説記事を書きはじめていた。

 以下ではしばらく,この記事に添えられていた年表の部分を中心に,当該記事の一部も紹介しておきたい。というわけで,ここからの記述は『朝日新聞』からの引照となる(この画像資料のなかには,つづく本文の記事を引用した段落を転載してあるので,注意されたし)。

結局岸田文雄君は実質的にこの問題をなにも進展させえなかった
やる気がなかったのかそれともその気がなかったのか

そもそもその種の色気を全然匂わせえなかった政治屋が
この岸田文雄首相であった

 前段のごときに,画像とともにその一部を紹介した記事は,「また引き継がれた『選択的夫婦別姓』 岸田首相,保守派への配慮貫く 政策検証・岸田政権の3年」『朝日新聞』2024年8月29日 12時00分, https://www.asahi.com/articles/ASS8X3JS8S8XULFA00JM.html との見出しを付けていた。

 選択的夫婦別姓までにしか言及できない自民党幹部議員(ここでは主に首相次元での話題か?)の別姓問題に対する消極的な姿勢況は,おのずと彼らの「お里をも教える〈認識の限界〉」を示唆していた。

 別姓の制度を本格的に導入する以前に,すでに現に「衰退途上国」化しはじめたこの国の問題状況「全体」のなかでの家や家族の問題としてならば,とくに少子化の問題は2050年時点になるころには,「日本国の人口統計」がドンドン激減していく展望がなされているなかで,

 いまどき別姓(選択的)だ,いや同姓だとか,これはどうみて不毛も不毛だという以前に,そもそもスコラ哲学風にしかなりえない,それも「国家神道」的な政治思想をごった煮にした「もどき」の,ド・素人的な討論に付きあっているヒマなどない。

2024年以降の出生数が3万人ずつ減少していったと仮定する場合
たとえば2034年だと約40万人にまで減少すると推定できる

しかしもっと減少する傾向を絶対に歩まないとはいえない
ともかく楽観的に偏った推測は禁物


 ※-2 社会科学的な観点からは,もっと肝心な関連する事項を議論しておく必要があった。

 家・家族の観念(明治民法的なそれに過ぎないものだが)に従って考えを詰めていけば,それでもって人口統計が大いに増大しえ,国家・政治・経済・社会・文化・歴史・伝統なども,より質実剛健でより強靱な方途に向けて変幻自在的に操作できる,とでもいいたかったのか?

 そもそも議論の方途じたいからして,よく分かっていないらしいのが,別姓(選択的なこれであっても)に必死になって大反対する〔あちら風の発想・表現でいえば,なににでも結びつけられる〕「反日的な思想」(?)である,ということにでもなっていたのか?

 ここまで話を進めてくると,もはや小学生でも賢い子どもたちに議論させたら,こちらの彼・彼女たちが少し耳を傾けて聞いただけでその全員に「小馬鹿にされそうな話」を,大人たちが「口角泡を飛ばす」要領でおこなっているようでは,どだい話にもなりえなかった。

 別姓問題と反日問題とはなんの関係もありえない別問題であるはずのものが,「彼らの国家主義の立場」,いいかえると「国家神道(もちろん明治謹製のそれ)」に脳細胞が同じに古漬け状態であっても,完全に腐敗しきった中身になりはてた人びとのいいぶんになっていた。

 それゆえに,ただ「なんらかに日本独自の伝統であるのが醇風美俗が同姓なのだ」という不動の結果が,最初から形而上的に,予定調和的に決めつけられていた。

 しかし,結婚した夫婦は同姓にするという旧民法以来から現民法までの規定は,明治期前半からさらに時代をさかのぼっていえば,日本において同姓という慣習が一般的な制度として存在していたわけでは,けっしてなかった事実とは,完全に無縁に語られてきた。

 明治時代のありかたそのものが有していた「時代特性の足元」を真正面からみずに,つまり,当時における「坂の上の雲」を〈霞の向こう〉側にまで追いかけて求めているうちに,江戸時代以前から明治前半期までの日本における「姓(や苗字,氏)」の実態像は,すっかり忘却の彼方に追いやったままあるいは,その「関連する歴史の事実」をしりたいとも思わない連中こそが,「美しい日本」の一環を不可欠に形成する実体は「同姓の慣習」にあったのだなどと,ウソも同然の騙りを謳いつづけてきたとなれば,この主張の身勝手さかげんは許しがたかった。

 それこそ,本当は「バカおっしゃい!」であった。歴史を学ばない愚か者にかぎって,この歴史を歪曲,捏造したがるらしい。彼らは,事実じたいを無視することなど常習であって,ただ,自分たちの思いたいところに我田引水したうえで,想像力もたくましく「偽造・捏造・晋三した架空の歴史」をいいたい放題にしてきた。

 さて,前段に紹介してみた『朝日新聞』2024年8月29日の「また引き継がれた『選択的夫婦別姓』 岸田首相,保守派への配慮貫く 政策検証・岸田政権の3年」については,まだ紹介していなかった段落を残していたので,そのの記事の段落をつぎに引用しておきたい。

〔その記事に戻る→〕 ただ,社会の大勢とはいいがたい。自民党の支持母体でもある経団連は6月に早期導入を求める提言を出した。現状がビジネスの阻害要因になっているとの理由からだ。朝日新聞が7月に実施した世論調査では,選択的夫婦別姓について賛成が73%で,反対の21%を大きく上回った。自民支持層でも賛成が64%にのぼった。

 要するに,この『朝日新聞』が実施していた「世論調査では賛成73%」になっていた事実の重みを,前段で登場させた八木秀次のごとき,はっきりいってやや狂信的な国家主義者たちは,勘違いなどする以前に,そもそも頭から否定し無視することを決めていたに過ぎない。もう一度,この八木のいいぶんを,ここでは前後の表現も拾い,あわせて再度,紹介する。

 そもそも夫婦別姓とは社会主義的なイデオロギーからきている考えです。土着的な共同体を解体するためにファミリーネーム(姓)を否定する。その手段が夫婦別姓です。欧州のリベラル系のエスタブリッシュメントにはこうした考えの人が多く,企業経営者を介して日本の経済界にも伝わってきたのでしょう。

夫婦別姓とは社会主義的なイデオロギー?

 八木秀次は大学教員(学究・研究者)としてこのように,論理的にも思想的にもきわめてズサンだったという以前に,自分だけの好き勝手にしたがいこうした乱雑な発言を発散させていた点が,めだつ個性としてならば,周囲に対して〈光彩〉を放っていた。

 まず,前段ですでに触れてあったが,「社会主義的なイデオロギーからきている考え」というのは,はっきり批判しておかねばならないが,学者の立場からの説明だとしたら,これは完全にバッテン,失格。

 つぎに,「土着的な共同体を解体するためにファミリーネーム(姓)を否定する。その手段が夫婦別姓」だという解釈も,不確か以前の,完全に独断的な決めつけ。

 そして「欧州のリベラル系のエスタブリッシュメントにはこうした考えの人が多く,企業経営者を介して日本の経済界にも伝わってきた」というのも,初耳というか,経営学を専攻してきた本ブログ筆者は,経営史学会という研究機関にも所属していたことがあるが,聞いたことさえない超・珍説である。


 ※-3 蓄妾の話を渋澤榮一から始めよう

 日本国の産業経営史にとって偉大な貢献をしてきた渋澤榮一が居た。このたび「1000」円札の肖像画に選ばれていたが,このオッサン,いったい何人の蓄妾を擁していたか。

 つぎの記事は,渋澤を冒頭に,北里柴三郎,犬養 毅,伊藤博文,森 鴎外,黒田清輝らの蓄妾状況に触れている。

 ここで隣国,韓国・朝鮮史の話題に触れよう。

 1905年12月,大日本帝国の圧迫を受けてきたすえに韓国統監府が設置されると,その初代統監に就任したのが伊藤博文であった。また1910年8月,韓国併合により朝鮮総督府が設置されたさい,統監府及び所属官署は,当分の間存続し,朝鮮総督の職務は統監が行使するとされた。

 なお,伊藤博文はその前年10月,ハルビン駅において安 重根の狙撃を受け落命させられた。

 つぎは,話を21世紀に戻そう。

 日本は民主主義の国家体制にあり,国民が代表者を通じて政治をおこなうはずの議会制民主主義を採る。しかしこのごろは,主権者であり主人公の「民」の声が政治に届かない,機能不全の状態が長らくつづいている。

 2012年12月26日,それまでの民主党政権が瓦解し,自民党は安倍晋三の第2次政権に移った。成長優先や技術革新を謳った「アベノミクス」であったけれども,その大見得を切った中身とは大違い,格差拡大で苦しむ人びとを生み出し,2020年初頭から始まった新型コロナウイルスの感染拡大で経済的苦境に立たされる人びとをさらに増やつづけた。

 そして,いつまでも実現しない選択的夫婦別姓を待ち望み,つらい思いをしている人びとの存在など,そっちのけで「美しい日本」をめざすためには「家・家族主義」風の主義(イデオロギー)が必要だといいながら,貧困化させられた国民たちが増える状況のなかで,政府は「公助」よりも,近くの人びととの「共助」や,国には頼らずそれぞれが個別に「自助」せよといいだす始末で,政府との立場としては究極の無責任態勢を誇るまでになってもいた。

 2024年1月1日に発生した能登半島地震「被災者・被災地の救援・復旧」に対したとき,岸田文雄政権や馳 浩石川県知事の対応の仕方にめだっていた無能ぶりとみたら,恥ずかしくなるほどに無気力で,つまりやる気が全然なかった。なかには,被災地の上空にドローンを飛ばすなどと,意味不明のお達しを政府・自治体側が要請するといった,時代錯誤の指示まで触れ出す始末で,この種のトンデモぶりまで披露する体たらくであった。

 そうした2024年もすでに9月になった。

 日本という土地(国土)の上で暮らす1人ひとりが,よりよい未来を作るためであれば「声を上げる」のは,民主主義の国家体制のなかでは,当然の権利かつ義務でもあった。選挙の時だけ投票所にいけばいいのではなく,ふだんから国家や地方自治体に対していうべきはいい,要求すべきはそうすべきである。

 政府が国民たちに対して義務を果たせというならば,政府は国民たちの要求にできるかぎり応じるのが本来の仕事である。ところが,最近の自民党政権ときたら,裏金を貯めこみ,統一教会とは仲良しになり,かといって陣笠議員以下の働きにしかならない「月給泥棒」みたいな連中が,圧倒的に多数派になった。

 ところで,岸田文雄は本気で未来を語ったことがあった首相か? 防衛予算を2倍にし,原発の再稼働と新増設を決めたこの「世襲3代目の政治屋」は,いったいなにを目標にして,あるいは理想にかかげてこの国の首相をいままでやってきたのか?

 ちまたおける評判では,安倍晋三もたいそうひどい総理大臣であったが,岸田文雄はもっとひどい,個性すら表現されていなかった「世襲3代目の政治屋」だという評価が,一般的な共通理解である。

 岸田文雄はなかでもとくに,政治の「主権者を軽んじてきた」人間であった。もともと,民主主義を語ったりその代表者になったりする資格は,もちあわせなかった「世襲3代目の政治屋」,それが岸田であった。

 政治は「国民・人民・市民・庶民」あってこその成立するそれであったはずのものが, 安倍晋三の第2次政権以後,この国は破壊されていく道程ならば確実に歩んできたとしかみなせなくなった。

 最後に,今日の『毎日新聞』朝刊「社説」が,以上に記述した別姓の問題も含めて「家・家族のあり方」に関して包括的に広く論説していたので,これを画像資料にして紹介しておく。文字で紹介すると字数がやたら増えるので,この画像を借りる形式を採った。

八木秀次君はおそらくこの内容については
拒否反応あるのみ?

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 【断わり】「本稿(1)」の続編(2)はこちらへ。


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