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勝手な解釈かもしれませんが、救われたはなし

離婚してもう少しで1年。
noteにはセックスレスや不妊治療について触れていたけど、まだ他に理由はあって。
それは夫の不安定なメンタル。
その原因は私。

感情的で瞬間湯沸かし器のような私と、穏やかで、繊細な元夫。

価値観のすれ違いで私の小さな器は爆発。
相手にそのままぶつけてしまった。
そのせいで、食欲が低下し激やせ。
笑わなくなった元夫。

いつも穏やかで、笑顔が素敵でごはんをもりもり食べる人は180度変わりました。

原因は私。

どうにかしなくちゃと。いろいろ怖かった。
自分のせいで最悪な事態になるかもしれない。
自分本位の理由もあったのは嘘じゃない。

何かアクションを。ぐちゃぐちゃな気持ちのなかで、義両親にSOS.
でもまたそれは、彼を苦しめることになりました。

もちろん病院にも行った。
病名はつかなかったけど…

元夫の心が病んだのは初めてではなかった。
不妊治療中もメンタル不調になったり、仕事を辞めたいと言ったのに私が反対し病んでいた。

全部私のせいじゃん。

こんな理由も、セックスレスやいろいろ含めて離婚。
もうすぐ1年。

後ろ振り向かず、進めなくても前だけは向いておこうと。
そう踏ん張ったつもりの1年。

そんなとき、「竜ちゃんのばかやろう」を読んだ。
きっといろいろフラッシュバックするだろうと読めなかった1冊。

光さんの寛大さ、器の広さ、夫を愛する懐の広さに感銘。

そんな光さんが本で訴えておられた、「無理してでも病院に連れて行けばよかった」、「誰かに相談しておけばよかった」とのメッセージ。

私は病院に連れて行ったことも、周りに相談したことも後悔していた。
もしかしたら、そうしていなかったら、きっとこの本はもっと他人事でななかった。

この本を読んで、竜兵さんはいなくなったけど、光さん夫婦には大きな大きな「愛」は残っているんだろうな、と私は勝手に解釈しています。きっと、光さんの器は、竜兵さんがそうなっても受け止められる器があるから、神様はその試練を与えたのではないか、とさえも思ってしまうほど素敵な人だと感じています。

私たちには、愛は残らなかった。でも、命は残っている。
私には大きな器はなかった。でも、今後生きていくうえで、寛大さをもつことが離婚を経験した自分の課題なような気がしています。
許す心、穏やかな心。小さい器だったばっかりにこぼれていく大事なもの。

元夫は、風の噂では好きなことをして楽しんでいるよう。
私の小さい器に入れて窮屈だった分、楽しんで自由にしてほしい。

あのとき病院に連れていき、他の人に相談し、それが私の味方を増やすかんじになり彼を余計苦しめたのは間違いない。
ずっと心に引っかかっていた。何もしなきゃ良かったなって。余計なことしたのかなって。
でも、何もしなかったときの道が決してよかったとも限らないんだって気づくことができました。
ようやく、少し心の重みが取れてきました。

もう、自分を責めなくていいのかな。

自責の念から少し解放されたくて、この1冊を勝手に解釈しているかもしれないけど。でも少し楽になったのは、1年かけてようやく出た一歩のような気がします。

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