「現代詩の入り口」34 ー 詩を読む楽しみに浸りたかったら、峯澤典子の詩を読んでみよう。

峯澤典子さんの詩を読んでゆこうと思います。これから読んでゆく詩は、下記の10編となります。

形見 (詩集『水版画』)
花火 (詩集『水版画』)
林檎 (詩集『ひかりの途上で』)
ひとつぶの  (詩集『ひかりの途上で』)
水の旅 (詩集『あのとき冬の子どもたち』)
校庭 (詩集『あのとき冬の子どもたち』)
薔薇窓 (詩集『微熱期』)
いちまいの 1 (詩集『微熱期』)
手袋 (詩誌『hiver』)
雨季 (詩誌『アンリエット』)

(1)

形見        

風にまじる砂、
ひとつぶにさえ
耐えきれない目の窪みに
生きる、と口にするだけで
うっすらと疼く
よわい明るさがある

母は光を
おもいつめて
てばなして
わたしを産んだのだとすれば
生まれつき
割れやすい爪先に灯る
真っ白な花鳥や馬の影を
道づれの精霊とした
わたしのたよりない生は
時間と
袂を分かつためだけの
ほそい、ひと息、でしかない

月あかりだけ
月の、あかりだけが
生に爪先を浸そうと
決意もしないうちから
幼いわたしに届けられていた
母の手仕事の
せめてもの
形見だった

✳︎

「形見」について 松下育男

いつの頃からか、峯澤典子さんの詩は特別だ、という感覚を持ちました。では何が特別なのか、といろいろ考えるのですが、個別の要素を拾い上げてみても、何か無理に突出しようとしている、あるいは人よりも目立ちたい、というものはないように感じるのです。そこには、作者によって大事に書かれたのだろうな、と思われる詩がひっそりとあるだけなのです。

それだけなのに特別なのはなぜだろう、今はまだ明確には言えないのですが、そこには、なぜぼくらは詩に惹かれるのだろう、という問いに繋がるものを感じるのです。

なぜかわからないけれども、詩というものにもたれ掛かって気持ちよくなりたいという気持ちがあるのだと思うのです。そして峯澤典子さんの詩を読むとは、まさにそのような、詩に対する原初の願いを叶えてくれることのように、感じるのです。

ともかく詩を読んでみましょう。本日は、今はなかなか手に入りづらい最初の詩集『水版画』からの一編です。この詩集のあと、三冊の詩集が出ていますが、ぼくはずっと、『水版画』だけは他の詩集とちょっと違った感じのする詩集だと思っていました。どこか、書き始めたばかりの言葉のかたさがあるのではないかと感じていました。しかし、今度読み直してみて、その感じ方が必ずしも合っていなかったのではないかという思いを持ちました。

よく読めば、第一詩集から、その後の詩集に感じられる、言葉のやわらかな広がりをすでに獲得していたのです。うっかりそれに気がつかなかったぼくの読みのいい加減さを思い知らされました。

さて、その第一詩集から「形見」という詩です。

お母さんと私の繋がりを書いています。お母さんそのもの、私そのもの、というよりも、二人を繋ぐものの頼りなくも細くとも、強靭な糸のようなものを、この詩から感じます。

夜中にどこかの国の見たこともないような楽器の弦をひいている、その音のように、個々の言葉が聞こえてきます。

「おもいつめて」「てばなして」「袂を分かつ」「爪先を浸そう」「届けられて」

それにしても、なんと密やかでそれぞれの思いを溜めているような動詞かと、驚きます。

これも私たちが日々、何気なく使っている日本語なのかと、峯澤さんの詩の中の言葉のすっとした立ち姿に驚かされます。

この詩には「生きる」という言葉と「生」という言葉が生(なま)で書かれています。

お母さんから私への命の受け渡しの詩ですから、「生」の文字が使われており、同時に、お母さんの一生、私の一生としても「生」をも包み込むようにして書かれた詩なのかなと思います。

峯澤さんの詩は、時にロマン的なきらびやかさを持っていますが、よく読んでみますと、自分が生きてきた現実をしっかりとその奥に、書ききっていることがわかります。

それにしても、子どもを産む、ということが

母は光を
おもいつめて
てばなして
わたしを産んだ

とは、なんときれいで厚みのある表現かと思います。「おもいつめて」「てばなして」と、個々の言葉が、なんとなく置かれているのではなく、その奥に多くの思いと出来事を含んでいるのだろうということがわかります。

そしてそんな母親から生まれた私は

生まれつき
割れやすい爪先に灯る
真っ白な花鳥や馬の影を
道づれの精霊とした
わたし

というのですから、まさに「たよりなさ」が「たよりなさ」を産み落としたようです。

そしてこの「たよりなさ」というのは峯澤さんの詩の言葉の多くに感じられるものであり、それゆえに、日々、たよりなく生きている多くの読者に入ってくるのだと思うのです。

最終連、母から私への形見とは「月明かりだけ」と書いています。見えないものの多い世界に生まれた「私」は、その暗闇を程よい明るさで照らすような詩を書くように、運命づけられているかのようです。

(2)

花火  

花火を見にいきました

夏でも草がはえない
ぬかるんだ丘に
母と幼いおとうとと
一本のよわい線を描いて

髪に落ちてくる火の粉に
甘やかされながら
笑うことも忘れ
それぞれが
ひとりきりになって
必死に
火のかたちを見ていました

たまやあ、たまやあ、
商店街の賑やかなひとたちの
汗が蒸れあがる川べりから
ひときわ大きな歓声が
幻燈のように届き
火の粉はいつまでも
声の輪をめがけ
降り続いていました

遠くからさんにんで眺める
涙のようなこの明るさは
わたしをうしろに乗せた
母の錆びた自転車が
路地裏から大通りへの
角を曲がったとたん
濁った堀に吸いこまれていった
わたしの
黄色い帽子に似ています

母はあのとき
貧しいこころを捨てきるように
光のなかへ大きく片腕を広げ
いま、曲がります、という合図を
教えてくれました
わたしも母の真似をして
はじめて腕を
痺れるほどに伸ばすと
ひとつきりの
帽子が
わたしのこころの
身代わりになって
飛んでいったのです

母も、おとうとも
必死に
大輪の花のかたちを見ています
わたしは
火の粉の深みへと
たったひとりで
そっと
腕を広げました

✳︎

「花火」について 松下育男

子どもの頃の思い出を書いています。
先ほど見た「形見」では、生を受けたことの、お母さんとの繋がりを描いていましたが、この詩では、もう少し大きくなった頃のことです。

お母さんと、弟と、三人で花火を見に行った時のことを書いています。

花火を見に行く、という具体的な行動が書かれているので、詩は、作者の感じることを時間軸に添って読んでゆくことができます。

そして「花火」という暗闇に鮮やかな色を放つ光のように、この詩にも、一片づつの火花のように、言葉が光っています。

花火を眺めるように、それら言葉の光を見てゆきます。

二連目「母と幼いおとうとと/一本のよわい線を描いて」では、家族の結びつきを書いています。「よわい線」というのは、結びつきが弱いというのではなく、じっと暮している日々そのものの、生きていることの儚さを言っているのではないかと思います。

三連目、「火の粉に/甘やかされながら」とあります。「甘やかされながら」とは、なんともきれいで体温の感じられる形容ですが、これは火の粉が髪に降ってくるのをそのままにして、というような感覚でしょうか。それにしてもこの「甘やかされながら」という言葉の出方に、峯澤さん独特の、世界に対する接触の仕方が見られます。

四連目、「火の粉はいつまでも/声の輪をめがけ/降り続いていました」とあります。ここは上空から人々に降ってくる、という高い視点を持ったはればれとした描写となっています。声の輪とは「たまやあ、たまやあ、」と上へ向けて叫ばれた声ですが、「たま」と「輪」の、形状と意味が重なり合っています。

五連目、「涙のようなこの明るさ」とは、家族でいることの温かみをあらためて認識しているものでしょうか。その明るさはもちろん花火の光を指していますが、同時に「母の錆びた自転車が/路地裏から大通りへの/角を曲がったとたん」と、毎日の生活の中での地味な暗さ(路地裏)から急に明るいところ(大通り)へ来た時の明暗の対比として描かれています。さらにその明るみの中で落ちてしまった黄色い帽子に似ている、というのですから、比喩がめくるめく明暗の境を渡ってゆきます。

六連目、この連がぼくは一番好きです。「光のなかへ大きく片腕を広げ/いま、曲がります、」という、お母さんのすがすがしい動きは、生活の中の決意をも示しているようです。そしてそのすがすがしさのままに「わたしも母の真似をして/はじめて腕を/痺れるほどに伸ばす」と、同じ行動をし、そしてそれによって「わたしのこころ」は「飛んでいったのです」。家族で花火を見て、その明るさ、鮮やかさに導かれるように、これからの自分の成長を明るい方へ夢見ている感じがします。読んでいて胸の開かれるような思いのする連です。

最終連、「火の粉の深みへと/たったひとりで/そっと/腕を広げました」とあるのは、花火も、自分の未来も、ただ明るさの中にあるのではなく、明るさの中に含まれる様々な明度を、予想される困難を含めて、将来と向き合おうとしている少女の輝く瞳が、まざまざと見えるようです。

花火、という具体的なものを目の前に置いて、そこから想像力を膨らます時、峯澤さんの詩はとても奔放に輝きだします。まさに、詩の言葉はあちこちへ自由に向かってゆく火の粉のようです。

一枚のあざやかな絵を見るようです。何度読み返しても飽きない見事な詩です。

(3)

林檎

 喉が渇き目を覚ますと、気配がする。軽く流れるのではなく、内へ内へ重い蜜を溜める、厚みのある香り。旅の人は、気づく。昨夜部屋に戻るとすぐに、ベッド脇のテーブルに林檎を置いて寝てしまったのだと。枕元の明かりで引き寄せると、したたかな重みをかけて、手のひらの丸みにすっと収まる。重みをこのままくちに移すこともできるが、夏の朝日に丹念に研磨された木肌を思わせる安らかな硬さと艶は、食べ物である前にうつくしさとして響く。
 この単調だが澄み切った時間の球体を、ひとりで綺麗に食べ切れるぶんだけ籠に入れ、朝市から朝市を旅するように生きられたら。もぎたての曲線の呼吸を包むためだけに手のひらは使われ、真ん中の窪みに一日の糧となる新しい水や木漏れ日があふれるのなら。いちどは彼も、そう願っていた。
 しかし、鏡面の若さとはうらはらに、林檎の内側は、つねにひどく疲れやすい。ひとたび空気に触れれば、白肌はすばやく変色し、取り返しのつかない傷痕まで一気に駆け下りてゆく。ときには、完熟の時までに果糖になり切れなかった不用な蜜が全身に漏れ出し、そうした生の過剰さが激しい腐敗を招くこともある。
 移動を重ね、ようやく帰路につこうとしている旅人は、空気をはじく光沢より、そんな内面のもろさがほしい、と思う。車窓を横切っていった人や町の残像は、移ろう果肉の弱さでしか包めないのだから。
 こうして手で支えている間にも、果肉の奥で飽和した香りは夜に滴り、熟れきった芯の周りは蜜にまみれながらほろびようとしている。いっそ、皮にまだ輝きがあるうちに、さく、と目覚めの音を立て、すべてをかじりつくすのはたやすいだろう。けれど、彼は、かすかな渇きを感じながらも、手のひらで包み続ける。夜明けへ向かう、完璧な老いのうつくしさを。

✳︎

「林檎」について   松下育男

以前から漠然と感じてきたことなのですが、優れた詩人は、果物を題材にすると眩いほどの詩を作り上げる、という感じがしています。小池昌代さんもそうですし、松井啓子さんもそうです。

峯澤さんも同様に、果物を題材にすると、驚くような詩を書きます。今回の10編には入れませんでしたが「桃」という詩はとにかく素晴らしく感じられました。(「桃」については別の文章でとり上げました。)

さて、今日は「林檎」を読みます。改行ではなく散文詩の形式です。峯澤さんは詩集を出すごとに、徐々に散文詩の数が増えてゆくようです。

この詩はタイトルにあるように「林檎」について書いています。そしてその林檎を所有するひとりの旅人をも書いています。林檎と旅人を書いているのではなく、林檎を書くことによって旅人を書いています。

いえ、一人の旅人について書いているのではなく、作者自身のことをも、さらに生きている人全般についてのことを書いています。

前半はりんごの生命力としての充実した重みについて書いています。生きていることの重みとして、「内へ内へ重い蜜を溜める」「したたかな重みをかけて」「安らかな硬さと艶は(略)響く」など、溜息の出るような描写が惜しげもなくなされてゆきます。

しかし三連目になると、「林檎の内側は、つねにひどく疲れやすい」とあり、林檎(旅人)の弱さや滅びについて書き始めます。ただ、それは必ずしも否定的にはとらえられていません。「空気をはじく光沢より、そんな内面のもろさがほしい」とか「移ろう果肉の弱さでしか包めないのだから」とあるように、むしろ滅びの方に、気持ちが惹きつけられる心理を描いています。

その心理は、おそらく峯澤さんの根底にあるものから出てきているのではないかと思われます。

詩の表現はどこまでも美しく書かれていますが、決してそれだけを書いているのではなく、常にその奥(あるいは裏側)には、弱さであったり、心細さであったり、無常観であったりが存在していて、それゆえに表面の輝きがさらに増してくる、という感じ方でしょうか。

ですから最終連、「蜜にまみれながらほろびようとしている」のは、林檎や旅人だけではなく、おそらく峯澤さんが感知する世界や、さらに自分がここにあることをも意味しているのではないかと思います。

とはいうものの、この詩を読んでいるあいだは、そのような思考を忘れさせてくれるほどに、言葉の一切れ一切れから、林檎の「厚みのある香り」を、終始感じることができるのです。

言葉のことごとくが新鮮な果汁のしたたりのようです。命そのもののようです。

峯澤さんが果物に目を向ければ、詩の上にもうひとつの、命の果物が作り出されてくるのです。

この詩を、頬張るように読んでみてください。

(4)

ひとつぶの 

ほの暗い診察室の
蛍光灯の下で手渡された
白黒の超音波写真は いちまい
明けがたの葉先からすべり落ちた
白い玉が
目を凝らさないと消えてしまう大きさで
羊水の闇に守られて 写っていた

微熱にまどろむ
壊れやすいひと露は
はじめは胎芽と呼ばれ
子宮の響きに揺れるうちに
結んだばかりの水の境界線を
ほどいてはまた結び
魚類から両生類へ
そして爬虫類から哺乳類へと
人間という入れものの
進化に似た刻印を
柔らかな身に写し続け
胎児、の絵姿を手に入れる

水おとの温みにまじり
ほのかな心音が
新芽の奥に広がりはじめる
あの道のりの、息の詰まる、待ち遠しさ

以前にもいちど
白玉がひとつ ほころびだし
やがてひとがたへ
のり移るかと思えたが
肉の丸みは
完璧な光沢のままでの
空への帰還を願った
子、と呼ばれる長い月日と引きかえに

あれから数年がたち
いま 魚や鳥の余韻を手放し
地上に留まると決意した
まだ小さすぎるひと影は
冬の終わりの波間で夢見るだろう
姉か兄の
宝石が
ひとつぶ眠る
空のいろを

✳︎

「ひとつぶの」について       松下育男

この詩は解説するまでもなく、自分が子どもを妊った時のことを書いています。

この詩に限らないことですが、峯澤さんの詩は、ある出来事を書く時に、表現を完璧なところにまで持ってゆこうとする、その手付きに驚かされます。

子どもを妊る、というのは、多くの女性が体験してきたことであり、おそらく、ここに書かれているようなことを感じてきた人もいるだろうと思います。けれど、ここまで緻密に体の中で起きている奇跡を見つめ、感じたことを微細に書いた人は、いないだろうと思います。

この詩は、単に子が授かった時のことだけを書いていません。うっとりと読んでいる内に四連目で
「白玉がひとつ ほころびだし
やがてひとがたへ
のり移るかと思えたが」
とあり、生まれることのできなかった子どものことをも書いています。

どこか、喜びはそれ自体が齎すものというよりも、それまでの悲しみに支えられて生まれ出てくるものだという感覚を感じます。そしてこの感覚には、昨日読んだ詩「林檎」を書いた時の、思考の厚みと同じものを感じるのです。つまり、生きることの片面だけに目を奪われていない峯澤さんの感覚のありようを見ることができます。

細かく見れば、この詩の表現の美しさにはとても目を奪われます。

「明けがたの葉先からすべり落ちた
白い玉が
目を凝らさないと消えてしまう大きさ」

「微熱にまどろむ
壊れやすいひと露」

「結んだばかりの水の境界線を
ほどいてはまた結び」

「人間という入れもの」

「柔らかな身に写し続け」

「水おとの温み」

「白玉がひとつ ほころびだし
やがてひとがたへ
のり移るか」

などなど、あげていけばきりもなく、続けてゆけば詩の全編を引用してしまうことになりそうです。

たとえば、2連目の最終行
「胎児、の絵姿」の「絵姿」ですが、ここは単に「姿」と書けば済むところです。それをもう一つ上の表し方を目指すようにして「絵姿」と書く、そのとても繊細な気の配り方に驚きます。

書いた詩を上空から俯瞰して幾度も見つめ、詩の隅々まで決して緩みを残さない、完璧に張り詰めた表現を目指す姿勢にも感動をします。

(5)

水の旅

兄妹のように水色の似たふたつの川
ローヌとソーヌの母音の響きを
船は下ってゆく

航路に寄り添う霧雨が
明けかかる視界に積もっては
すぐに消えてしまう朝
つかの間の
さざ波に
ひとは
何度 流してきたのだろう
どんなことをしても
決して叶えられなかった
願いを

手放すたびに
水際の足もとも薄れて

もう二度と会えないひとも
生まれてから一度もめぐり会えないひとも
同じ花の気配に変わる街まで
流れてゆくことを
旅、 と呼ぶのなら

通りすがりの岸辺の
たとえば大聖堂や鳥の白さを
数えては
忘れるために
残りの時間はあればいい

兄妹のように水色の似た
川から川へ
行き先を失った時間は運ばれ
水際のわたしの姿も
霧雨に溶けだす前の
別れのあいさつも
はじめから存在しない

旅人の影の
かたちをした雨雲が
横切り
消えてゆくのを
映す水だけの
永遠

✳︎

「水の旅」について    松下育男

峯澤さんの詩は日本語で書かれていますが、描かれている世界は、どこかヨーロッパの古い町並みを彷彿とさせるものが多いように思います。かつてフランスに留学をしていたことがあるようなので、その頃のことが、まさに霧雨のように詩の中へ流れ込んできているからかもしれません。

あるいは、日本でもヨーロッパでもない、どこの国でもない、だれもが緩やかな想像力を巡らすことのできる物静かな町を描いているような気がします。ですから、作者がどの町で何を体験しても、いったん詩になると、どこにもない、あるいはどこかにしかない、心を鎮めてくれる世界に入り込んでしまうようです。

この詩は旅の詩です。ローヌとソーヌという実在の、まさにヨーロッパの川の名が出てきます。

二つの川の流れは、詩の最初の行から流れ始め、わたしたちを詩の最後の行までおだやかに導いてくれます。

作者は川を往く船上にいるのでしょうか。「叶えられなかった/願いを//手放す」とありますから、何か精神的なダメージから恢復するための旅ででもあるのでしょうか。

四連目、五連目と、船上で陸の建物を見つめながら、静かに人のことを思っているようです。

六連目「行き先を失った時間は運ばれ」とは、人との別れによってこの先の行き方を見失っているということのように読めます。

そのような意識も、この旅のように、どこかに行ってしまうことを願っているようです。

人が出てきて、旅が出てくれば、失恋から立ち直るシーンを容易に思い浮かべますが、この詩を読んでいると、そのような生々しい愛憎からは遠い感じもします。

むしろこの詩は、人が生活している場で、とてもこまごましたことではあっても、本人にとっては決定的な何かが壊されて、ひどく心を傷めるようなことに遭遇し、そこから立ち直るための旅、というふうにも読めるように思います。

この詩の中の人に何が起きたのかは、むろん分かりませんし、読み手それぞれが想像すればよいのだと思いますが、どうであれこの詩には、人の命という限りあるものの上を、二つの川が滔々と流れています。

その詩行をぬって船が、おとなしく移動してゆき、その速度のままに、わたしたちは、わたしたちの個別の人生の流れを、しばしうっとりと思い出しながら、読むことができます。

(6)

校庭

誰もが教室にいる時間
校庭を見ていた
耳を澄ますと水平線から汽笛が届いたこと
野良犬が通り雨とともに走り去ったこと
いつも早退してしまう子がいたこと

かすり傷、くらいの深さで
誰かとかかわりあうすべもなく
ひとりだけの
ちいさなまばたきは
積もらなかった雪のように
家に帰るとひとつも残らず
見た、と
見なかった、は
同じ重さにしかならなかった

それでも
次の日もまた
始業のチャイムのあと
校庭を見つめていた

ひとも 風も 雲も
止まれずに ひたすら駆けてゆく
それをまばゆさ、と呼ぶことや
目のとじかたさえも
まだ知らなかったころ

✳︎

「校庭」について    松下育男

これは作者が小学生の頃のことを書いたものなのでしょう。

学校にいる時間のことです。でも書き出しで「誰もが教室にいる時間/校庭を見ていた」とあるように、体は教室にいながら、意識は教室の外に行っていたようです。この詩はおそらく実体験に基づくものなのではないかと思います。体がある場所とは違う場所のことを考えている、という姿勢は、そのまま詩人になってからも続いているように思えるからです。

それにしても、教室から外を見てただぼーっとしているのではなく、

「耳を澄ますと水平線から汽笛が届いたこと
野良犬が通り雨とともに走り去ったこと」

を感じているとは、なんと研ぎ澄まされた感覚かと思います。おそらく作者の感覚は、この世界を人よりも、一段鮮やかに受け止めるようにでき上がっているようです。

「いつも早退してしまう子がいたこと」という何気ない叙述からは、その子が俯いて校舎から歩みさる姿や、焦りと悲しみに満ちた表情までもが想像できます。今、見ているものの、その表面をめくり上げて観察する目を感じます。

友人ができなかったことを「かすり傷、くらいの深さで/誰かとかかわりあうすべもなく」と表現しているのを見れば、小学生であって、これほど繊細な感じ方につり合う友人は、なかなかできなかっただろうなと思われます。

二連目は、そんなふうに学校で選び取っていた孤独感を、家に持ち帰り、何事もなく家の空気に包まれてゆく様子が書かれています。

三連目、そんな日がずっと続いていたようです。

最終連
目の前に展開する世界が動き続けていること、また、自分でさえ、時とともに命のありようを変化させてゆくものであることの不思議を、「まばゆさ」と呼んでいます。

その「まばゆさ」から身を外すことはできないけれども、目をとじて、そのままの自分の中にいることはできる、そんなことも知らなかった頃、ということでしょうか。

でも、小学生の作者はまだ明確には知らなかったかもしれませんが、「ひとも 風も 雲も」そのまま流れさってしまうことを許さず、自分の中にとどめてゆくすべは、すでに感じとっていたのではないかと思うのです。

なので今でも作者は、その頃の世界を、校舎の窓から見つめ続けているようなまばゆい詩を、書き続けていられるのではないかと思うのです。

(7)

薔薇窓    

カーテンをひらくと
ホテルの窓のそばまで
霧が 追いかけてきていた
鳥たちはまだ眠っていた

瞼に残る  夢の岸辺の
方角はわからない
遠い 鐘の音
袖を湿らせ  露草を踏み
灯りももたずに
ちいさな教会へと向かうひとがいる

それは
百年前のことかもしれない
百年後のことかもしれない

まだなにも見えない  霧の窓辺で
そう思えてしまうこともまた
だれかの祈りの続きなのだろうか

ミルク瓶を届ける車輪の音が響き
鳥たちが目覚めるまで
霧の野のなかで
もうどこにもいない ともだちの手を握っていた

朝日が昇れば
霧も 鐘の音も
空耳のなかに消え

ともだちが いつか
露草を踏み 訪ねたという
名も知らぬ教会の
薔薇窓を
だれにも 見えない星だけが
通りすぎてゆく

✳︎

「薔薇窓」について    松下育男

薔薇窓というのは何だろうと思い、スマホで検索すれば出てくるのでしょうが、そうしたくない気持ちもあります。調べるよりも、薔薇窓という言葉によって齎されるイメージを、わたしの薔薇窓なのだと信じてもいいのだと思えるのです。

おそらく窓の縁を薔薇が覆っているさまを言うのか、あるいは、薔薇のように咲き誇っている窓のことをいうのでしょう。

この詩はタイトルが薔薇窓で、詩は、早朝にホテルの窓から外を見るところから始っています。ですから、ちょっと混乱するのですが、今そばにあるのはホテルの普通の窓です。

でも、その窓から見えるものは、作者の感覚を通して、薔薇のように匂やかな風景のようです。

「遠い 鐘の音」
「ちいさな教会へと向かうひと」
「ミルク瓶を届ける車輪の音」

と、続く描写は、全く隙間もなく、早朝の冷たく鋭い空気を詩の中に流し込みます。それぞれの描写がすでに、まだ出てきていない薔薇窓を縁取る薔薇のようです。

そして、「もうどこにもいない ともだちの手を握っていた」という一行から、(おそらく)異国の町の小さなホテルの窓辺で、友人にもこの風景を見せてあげたい、この感覚を共にしたいという思いが、湧いていたのではないでしょうか。でも「もうどこにもいない」というのですから、それも叶わぬ願いのようです。

六連目、「空耳のなかに消え」もきれいな表現です。作者の詩を多く読んでいると、「空耳」という語はいくつかの詩の中で出てきていて、作者の感性の中心部分にある語のひとつであることがわかります。

「空のなかに消え」という視覚の表現の中に、「空耳」という聴覚の遠さをかぶせることによって、より深みへ導かれてゆくようです。さらに、「ソラミミ」という音自体の心地よさも、作者の詩の中で、落ち着いた場所を獲得している所以なのではないかと思います。

言葉というのはこうして、拾い上げて、個別に愛せるものなのだと、教えてくれているようです。

最終連で「もうどこにもいない ともだち」が再び出てきます。さきほど、このともだちにも見せてあげたいと書いていましたが、ここまで読めば、そのともだちはかつてこの国に来ているようです。

さらに、同じホテルの同じ窓を、開けたことがあったのかもしれません。その友人が訪れた

「教会の
薔薇窓を
だれにも 見えない星だけが
通りすぎてゆく」

とあり、詩は終っています。

薔薇窓を通りすぎた星は、おそらく「ともだち」の別の姿であり、ホテルの窓と教会の薔薇窓とは、同じ窓の、こちら側と向こう側なのかもしれません。

(8)

いちまいの



それを抽斗にしまったのはだれ
ちいさな子のつまさきに似たさくら貝がいちまい

まだ水のつめたい砂浜を歩いたのはいつのこと なにも話さずに ただひえた手をかさねて あなたは さゆのなかのさくらづけがひらくように さらさら さらさら 裾をぬらして
あのとき どこまでいったのだろう あなたのスカートからこぼれたさくら貝を拾おうとすると 長い夢からいつもさめてしまうのだから

はなれたぶんだけ わすれられなくなるものたちと 朽ちてゆけばいい
しおかぜ おもくぬれたすな ひえたままのゆびさき くちにしなかったことば ちかづくあまぐも まどがらすをつたうすいてき まっちをするにおい きつく とじたまぶた つめのあいだにのこるすなつぶ しんやの まんげつ やむことはない なみのおと

古い日記の日付のうえには あのとき落としてしまったほうの貝の影が さらさらさらさら ゆれて 海岸の名をふたたびつぶやこうとしても 足跡を消しつづける波の音しか もう聞こえない

あなたは わたしを海のむこうへとさそうように はるのはじめのつまさきをぬらして いっそすべて割れてしまえば 波にさらわれて どこまでもゆけるのに と

いま 鍵をかけた抽斗のなかで眠るのは あなたの ではなく わたしが愛した たったいちまいのさくら貝

2  (略)

✳︎

「いちまいの」について   松下育男

まるで抽斗の中に小さな海があって、その奥から波が打ち寄せているような詩です。あるいはその抽斗の中が、この詩に広げられてでもいるようです。

全編、さくら貝の色がほんのりとまぶされているような、壁に溶け込む水彩画の一枚を観ているような詩です。

と、ぼくの不器用な形容でこの詩を解説するのは無駄な作業のようにも感じます。というのも、詩自身がそのうっすらとしたその在りようを、解き明かしてくれているからです。

「ちいさな子のつまさきに似たさくら貝」
「さゆのなかのさくらづけがひらくように」
「はなれたぶんだけ わすれられなくなるものたち」
「くちにしなかったことば」

あげてゆけば切りもないほどの、生きていることのはじっこにいるようなきれいな描写が続きます。

特に三連目の、ほとんどひらがなで展開されている物たちの姿を続けざまに並べてゆくところは圧巻です。

「しおかぜ 
おもくぬれたすな 
ひえたままのゆびさき 
くちにしなかったことば 
ちかづくあまぐも 
まどがらすをつたうすいてき 
まっちをするにおい 
きつく とじたまぶた 
つめのあいだにのこるすなつぶ 
しんやの まんげつ 
やむことはない なみのおと」

どうしてこんなことが果てもなく思い浮かべられるのだろうと、とにかく不思議でなりません。

作者がこれらを書くことで恍惚となる、という思いと、それを読む人が同じ恍惚にひたれる、という、同じ向きを向けることの奇跡的な関係を、この詩を読んでいるととても感じます。

また、この詩は疑問から始っています。「それを抽斗にしまったのはだれ」。
さらに「まだ水のつめたい砂浜を歩いたのはいつのこと」とも問うています。

あるいはこの詩には、「いっそすべて割れてしまえば」と、どこか投げやりな気持ちを吐き出しているところもあります。

でも、どんな問いかけも、どんな投げやりな気持ちも、すべては作者の作り上げた世界を優しく際立たせる、そのような効果を持ってしまっているようです。

作者はかつて、「美しい」という言葉を使いたくない、というようなことを書いていた記憶があります。「美しい」という言葉で済ませずに、さらに微細に個別の受け止め方を書いていたい、ということなのでしょうか。

けれど、どうしてもこの詩について語ろうとする時、ぼくは、ぼくの頭脳の抽斗を明けて、数ある日本語の単語の中から、その言葉を拾うしかないのです。

(9)

手袋

ひとの髪に、頬に、くちびるにふれ、ふれられ、肌は知らぬまに傷つく。傷つくために近づく、と錯覚するほどに。だから手袋はややきつめの革をえらび、けれど裏地は爪が震えるほどになめらかなシルクで、泣きつかれた赤子をおくるみでしっかりと眠らせるようにひとさしゆびからこゆび、そしておやゆびへとじゅんばんにかりそめの闇でつつんでゆく。すると外気という無数の感情から守られ、あたためられ、膝のうえでようやくまどろみはじめる記憶のゆびさき。傷ついた肌の夢のうえを通りすぎてゆけるのは、もういちまいの皮膚のように透きとおった音符だけ。列車がすすむにつれまどろみの霧にかくされてゆく、忘れられないはずの、ある冬の短い滞在の足跡。……待ちあわせは都市の路線図には記されない北西の駅舎。森へと向かう車窓をながれる透明なゆきのピアノ。駅前の白い広場で燃えていた、遙かな過去か、未来の新聞のアルファベットの灰。乗り継ぎの単線のホームで、黒のロングコートのひとが吐く息で告げた遅い出発の時刻。燐寸を擦る細いなかゆびにしみついた懐かしい町のたばこの匂い。終点の森のホテルの暖炉の火。それぞれの長い旅のあいだに、北風のなかの非常階段の手すりのように冷えていた頰をやっとかさねて。寝室に飾られたカメリアの純白のあかりがほのぐらい胸もとにささやくように広がって。ひい、ふう、みい、よう……。かじかんだゆびさきとともに夜があけるまでにゆっくりとあたたまっていった香りの奥のあまやかな岸辺。背の高い夜の鳥がつけた数えきれないくちばしの跡。昼すぎの雨まじりの眠たげなゆき。大きな鳥の影がふたたび去っていった季節のあとも、すこし湿った手袋を外すたびに、かすかな告白のように左のくすりゆびの爪に残る、カメリアのいろ。あれは遠い過去か、未来の駅の長い階段。こなゆきのふりかかる出口でふいに抱きとめられた瞬間。真白いコートのポケットからすべり落ちた片方の手袋は、溶けることはない記憶のはなびらの踊り場でいまも眠りつづけている。

注(原詩では、「ひい、ふう、みい、よう」に「un deux trois quatre」のルビがあります。)

✳︎

「手袋」について    松下育男

峯澤さんの詩を読んでいると、たいてい、一行目から別の世界へ迷い込んだような気持ちになりますが、その中でも、時に、あっと立ち止まるほどの表現に出会うことがあります。

この詩は「手袋」というタイトルで、最初から対象物、それもひとの皮膚にごく近い距離で詩が書かれています。そして、手袋というものが「ひとさしゆびからこゆび、そしておやゆびへとじゅんばんにかりそめの闇でつつんでゆく」ものであるというところ読んだ時に、私はほとんど声が出そう出そうなほどに感動をしました。手袋の中を「かりそめの闇」とは、なんというこまやかな表現をするものかと、幾度も読み返してしまいました。

そして詩は、途中から、視線が目の前の近いところからぐっと引き下がって、旅の遠景に移ってゆきます。さらにその先で、旅から帰ってきたように、詩は再び、ゆびさきに戻ってきます。

詩全体が雪の中にあるように描かれていますが、その雪を透かしてみれば、この詩は淡い恋歌であることがわかります。

過去の恋を思い出すように旅に出る、という設定は、作者の詩としては他にもあり、そのような思い出があるから繰り返し書く、ということもあるのかも知れませんが、むしろ、作者の、雪の中のしんとした描写が先にあり、その風景が自ずと生み出した人と人の吐息なのかもしれません。

「ひとの髪に、頬に、くちびるにふれ、ふれられ、肌は知らぬまに傷つく」
「背の高い夜の鳥がつけた数えきれないくちばしの跡」
「こなゆきのふりかかる出口でふいに抱きとめられた瞬間」

などの、読みようによってはかなり直接的な人の行為を描いていると言えますが、いくど読んでも全く人のなまの匂いに煩わされないのは、どこか、人もひとつの冬の置物のように見つめている視線を感じるからなのだろうと思います。

この詩に限らず、作者の詩の特徴は、細部のイメージの驚くべき緻密さと感受性の豊かさにあります。

「裏地は爪が震えるほどになめらかなシルク」
「泣きつかれた赤子をおくるみでしっかりと眠らせるように」
「雨まじりの眠たげなゆき」

など、どれも小さく声を出して読んでみたくなるほどにきれいな表現であり、これほどに見事な表現が、無限(と思われるほどに)に生み出されてゆくことに、驚きをおぼえます。

そして作者の詩に失敗作がひとつも見られないのは、どの詩も、何を描こうとも、これら完璧な細部によって詩が満ちているからなのだと思えるのです。

(10)

雨季

耳をあてるたびに
幽かな雨季の波音がする
もうどこにもいない子がくれた
曇り空の小瓶のなかには
割れた胡桃の舟
しろつめくさの浮き橋
夏のはじまりの
蜻蛉の翅の
半透明の櫂

それらが流れつくのは
子どものころに
わたしが住んでいた
両胸の岸辺

耳をより澄ませば
包まれる子を待つ星夜のおくるみのような
セロファンの折り鶴が
一羽、二羽……
鼓膜へ 舞い降り
雪いろの足あとは
遠ざかり また近づく雨音の
やさしい別名になる

これは すみれ れんげ しろ つめくさ はこべら にりんそう

ひとりきり の帰り道
つなぐ手のないことに傷つかないように
摘める花の名を
わたしはさいしょに覚えた

いまは茨に埋もれた廃校の子どもたちは
松葉杖の子も
木陰で眠ったままの子も
そしてわたしも
いつのまにか暗い庭を抜け
ほとんどの子が大人になった

星型の草花を摘みながら
いちどだけいっしょに帰った
いつもは姿を見せない子が
転校するまえにくれた
曇った小瓶の 天気の底には
やわらかい爪で 少しずつ集めた
さくら貝の椀の舟
はこべらの虹の橋
夏の終わりの
蝉の翅の
透明な櫂

それらもまた流れつく
永遠に幼いままの
肺の岸辺は
今朝も
雨季

これは すみれ れんげ しろ つめくさ はこべら にりんそう

セロファンの折り鶴が
かさなり眠るような
幼いままの雨季のさざなみに
ふたたび耳をあてれば
わたしが いつか
胡桃か さくら貝の舟に
うまく乗れるようにと
松葉杖の子が抜け
木蔭で眠ったままの子が抜け
姿の見えない子ももういない
茨の庭の輪のなかで
小さな火が
今日も 焚かれている

✳︎

「雨季」について    松下育男

峯澤さんの詩を読んでいると、何か透明なイメージの中に繰り広げられる淡い世界を思い浮かべます。それで、読む人はその世界に漂うわけですが、時に、その中に「現実」らしきものをかいま見ることができます。

その時に、ああこの淡い空想の世界は、頭の中でつくりあげた人や情景はいくつかあるものの、必ずしも想像によるものだけではなく、作者の(過去の)現実に繋がっているものがあるのだなということが感じられます。

この詩でそう感じたのは五連目の

「ひとりきり の帰り道
つなぐ手のないことに傷つかないように
摘める花の名を
わたしはさいしょに覚えた」

のところです。

というのも、作者はエッセイでも、自分が子どもの頃に、人と話すのが苦手でひとりで過ごすことが多かった、学校の帰りにもひとりで歩いていたというようなことを書いているからです。

そしてそのような、ひとりの時間に摘んだ花、あるいは拾ってきた妙な形の石、などが、作者の中に、孤独をたたえた宝物になり、めぐりめぐってこれほどの詩のカケラになって行ったのだと想像されます。

それにしても、「つなぐ手のないことに傷つかないように」花を摘む、自分の手をさえ思いやる、とは、なんと優しい感じ方と驚きます。

そしてこの詩には何人かの子供たちが登場します。

「もうどこにもいない子」
「松葉杖の子」
「木陰で眠ったままの子」
「いちどだけいっしょに帰った
いつもは姿を見せない子」

など、どの子も密やかに生きているようであり、その子たちはそのまま「わたし」と同じ方向を向いて生きているように思われます。

いくつかの単語が暗示するのは、子どもの頃に肺の病に罹っていて、子どもの頃の溌剌さを発揮できなかった様子です。自分が成長過程で、ほかの人よりも遅れをとっているという焦りの感覚は、病いによるものだけではなく、多くの理由によって、小さな心をいためるものです。

それでもこの詩は、

「わたしが いつか
胡桃か さくら貝の舟に
うまく乗れるように」

と、きちんと前を向こうとしているその心持ちに、読んでいるこちらも顔を上げようという気持ちになれるのです。

「曇り空の小瓶のなかには
割れた胡桃の舟
しろつめくさの浮き橋
夏のはじまりの
蜻蛉の翅の
半透明の櫂」

と、あるところを読むと、こうして子供の頃に、手で囲うようにひとりで過ごしていたその姿は、詩人となった今でも作者の中に生きていて、小瓶のなかの愛おしいものたちは、今は作者の一編ずつの詩として生まれかわり、それらを拾い集めた「曇り空の小瓶」は、「詩集」に結実しているようにも感じられます。

と、ぼくのつたない感想文を読むよりも、最後に、峯澤さんのとても沁みる詩行を読んで、やさしいため息をつきながら、この文章を終わりにしましょう。

「雪いろの足あとは
遠ざかり また近づく雨音の
やさしい別名になる」



ということで、峯澤典子さんの詩を10編読んできました。

ところで、峯澤さんの詩を読んでいると、ぼくは高校生の時の自分に戻るんです。もちろん気持ちが戻る、ということなんですけど、あの頃の、まだ未来がずっとあるような年齢、17歳くらいの時の気持ちになるんです。

17歳のぼくは飯田橋駅から坂を登ったところにある九段高校というところに通っていました。友人もあまりいませんでしたから、授業が終ると、よく図書室へ行って本を読んでいたんです。校舎の最上階の、大きな窓の図書室で、道をはさんで見える靖国神社の豊かな緑を感じながら、津村信夫や堀辰雄や福永武彦の文章や詩を、うっとりしながら読みふけっていた日を思いだします。その頃の、文学に対する透き通るような思いが、峯澤さんの詩を読んでいると蘇るんです。

むろんあの頃からは時がずいぶん経っていますから、細かくみれば、峯澤さんの詩は、かつての詩人たちが持ちえなかった、新しい叙情の深みも広がりも、手に入れていると思います。けれど、それでもなお、両者がもつ共通のもの、喩えていうなら、文字を拾う繊細な指先の同じ震えを感じるのです。物を書く時のときめきや、ものを読む時の恍惚をじかに感じるんです。

そして数多くいる詩人の中で、今、峯澤典子さんの詩がこれほどに熱く読まれている理由は、そういったところにもあるのだと思うのです。

峯澤さんの詩の魅力は、現代詩だけが持っている特別な表現の仕方によるのではなく、詩や文章というものが生まれつき持っている、文章自体がその力で読み手を惹きつけて放さないもの、言うならば、文学の持つ魅力の中心にあるものによって読む人を正当に惹きつけているのではないかと思います。

ぼくは、これまでにもずいぶん詩の教室をやっていますので、教室の参加者と話す機会も多くありました。それで、いつの頃から気がついたのは、参加者の何人もから同じ言葉を聞いたことがあるということなんです。

どういう言葉かと言いますと、「峯澤典子さんのような詩が書きたい」という言葉なんです。真面目に詩に取り組んでいる何人もの人が、顔をあげてそう言っているのを聞いたことがあります。



峯澤さんはこれまでに四冊の詩集を出しています。

最初の詩集『水版画』でまず感じたのは、描かれているのがいずことも知れぬ街で、そこに繰り広げられる清潔な物語を読み聞かされているような感じがしたことです。

そして、一瞬の鮮やかな情景を言葉に移す才能のすごさ、さらに鮮やかな言葉として定着させることができる能力に驚きました。

直喩のなんという見事さかと、思いました。

二冊目の『ひかりの途上で」では、あらためて、日本語というのはこれほど綺麗なものだったかとつくづく思いました。いったい、わたしが話してきた日本語は、峯澤さんの日本語と何が違っていたのだろうと、立ち止まりたくなりました。

どの詩も魅力的でしたが、特に、特定の人や出来事(留学時のこと、子をもつこと)を描いた時、峯澤さんの筆はより光を増すように感じました。

それはおそらく、峯澤さんから発せられた光が、対象物に当たった時の輝きを、わたしたちが容易に見ることができるからなのだろうと思います。

さらに、果物を描き始めると、まぶしいほどに言葉が輝き出すことも知りました。

三冊目は『あのとき冬の子どもたち』です。

前の詩集『ひかりの途上で』では留学、出産など、特別な出来事を描いた詩が見られましたが、この『あのとき冬の子どもたち』では、その後の落ち着いた心で世界と向き合っている感じのする詩が多いように思いました。腰を据えて、自分の詩に立ち向かおうという覚悟のようなものを、言葉の隅々から感じました。目の前にある世界から、自らが書くべきことを自らの感性で拾い上げてゆこうとしているのだと思いました。

この詩集では、過去の記憶が形容として引き出される時の鮮やかさが目立ちました。

そして最近の詩集『微熱期』では、特に、散文詩の充実には目を瞠るものがありました。どこか、これまでの詩よりも枠の大きなものを描こうとしているのではないかと思いました。

さまざまな試みがなされている『微熱期』ですが、どのような試みの中でも、詩で作り上げる複雑な回路のような言葉の重なりは、上質な小説の、もっとも鮮やかな部分だけを切り取ってきたような、今までにない詩を作り上げているように感じました。

そしてその後に出された詩誌「hiver」と「アンリエット」でも、峯澤さんは少しずつ詩を変化させつつも、根底にある言葉の湿度と温かさは、常に保っているように感じます。

これらの詩誌では、『微熱期』で発展させた散文詩の可能性をさらに引き続き展開しています。そしてここに来て、改行詩と散文詩の両腕の長さと魅力がほとんど均等になりえているように感じます。双方で叙情を掴んでゆこうという姿勢が見られます。

これほどに充実した詩語を、こののちどのように展開してゆくつもりなのか、じっと見てゆきたいと思います。

峯澤さんの詩は、萩原朔太郎や中原中也の詩とは違います。何が違うかと言えば、今まさに書き続けられている詩であり、こののちどんなふうに変ってゆくのかを、私たちが、息をのんで見つめてゆける詩なのです。

同時代の詩人を、わたしたちは最も深く鑑賞できます。

峯澤さんの詩を読む楽しみを、これからもずっと、言葉のすみずみまで味わってください。

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