俳句を読む 83 犬山達四郎 悲しみに大き過ぎたる西瓜かな
悲しみに大き過ぎたる西瓜かな 犬山達四郎
西瓜が秋の季語だということは、先日知ったばかりです。季語と季節感のずれについては、だいぶ慣れてきましたが、それでも今回はさすがに違和感をもちました。本日の句、はじめから「悲しみ」が差し出されてきます。こんなふうに直接に感情を投げ出す句は、読み手としては読みの幅が狭められて、多少の戸惑を感じます。それでもこの句にひかれたのは、「悲しみ」と「西瓜」の組み合わせのためです。たしかに、「悲しみ」をなにかに喩えるのは、他の感情よりも容易なこ