2025/01/11(土)詩は感性だけで書けるものだろうか
人それぞれなのだから、いろんな詩があっていいと思うけれど、それでも、多くの読者を獲得している詩人というものが稀にいて、その人たちを、ぼくはとても尊敬している。
具体的に言えば、たいていの本屋の詩集の棚をいつもいっぱいにしている谷川俊太郎さんや茨木のり子さんのことだ。
それで思うのは、詩って、もちろん鋭い感性によって生み出されるものではあるのだけど、それだけでは足りないのではないか、その感性を支えるための中身のつまった知性も、よほど大事なのではないか、ということだ。
勝手な感性を、しっかりものの知性が支えているから、だれもが信頼して読める詩ができあがるのではないだろうか。
詩は、単にちょっと感じたことを自分なりに書いていていいのだと思うけど、その自分が、どれほどの知性に裏打ちされているか、ということがやっぱり、詩の中に流れ込んでくるのだろうなと、思う。
それでは、よりよい詩を書くために、どうやったら知性が育つかってことになるわけだけど、これはもう、問題が大きくなりすぎて、ぼくにはなんとも言えない。
ただ、単に知識を増やすだけではだめなのだろうと思うし、単に自分だけの幸せを求めるものでもない、と言う感じはする。