当たり前と当たり前ではない状況の境界線。とにかく南へ車を走らせた。
高台のホテルから、下に降りることはとても怖かったが、海の状況を目視できる時間に出発しなければと思った。
津波は道路まで来ていない。
高速道路を目指した。
幸い高速道路は少し高い位置あり、とりあえず乗って進んでみた。
ところどころにハザードを出した車が停車している。
高速の電光掲示板には
“地震。降りろ”的な事が表示されていた。
道路の点検の車も、警察も走っていない。
(このまま行ってもいいのか…?)
道路の状況や、山の斜面の様子を注意深く凝視しながら行けるところまで走った。何回も携帯から地震の予知アラームが鳴り響く。
情報がなさすぎて、他の人も走っていいのか迷っていたと思う。
私達と数台の車しか走っていない道路を注意深く走り進めていたが、富山県砺波市で高速は封鎖されていた。
仕方なく下道に降りて、とりあえずガソリンを満タンにしておこうと、街中を探した。少し走ってきただけなのに、街は普通に動いていた。お店には食事している家族連れ。コンビニの前でタバコ吸ってる人、さっきまでの違いに困惑した。時折、携帯がけたたましく鳴るが、後は普通…
見つけたガソリンスタンドもすんなり入れた。
私達はほとんど喋れなかった。何かを食べる気にもなれない。
「とにかく帰ろう」
ガソリンを満タンにして、国道で岐阜方面を目指した。
パートナーは必死だったのだと思う。
私の携帯に娘や息子が心配して頻繁に連絡が来る。必ず無事に送り届けなければと思っていたらしい。
もうすっかり暗くなった国道をひたすら走った。これが1番怖かった。
国道は、岐阜と富山の県境の高い山間をぬける。頻繁に起こる余震でいつ土砂崩れが起きるかわからない。
雪崩よけの長いトンネルの中で、携帯アラートが鳴り響く。
(とにかく無事に帰る!)
と信じて、無言で駆け抜けた。
岐阜県白川郷から高速にのれた。
少し走って、大きなSAに車を停めた時、パートナーが脱力していた…
(ここまでくれば大丈夫)
ぼーっとしてる私達の前を、スノボ帰りの若者グループが無邪気に笑って楽しそうにしている。
なんなんだろう…もうわけがわからないというのが正直な感想だった。
ホテルにいた人達は大丈夫だろうか…
ドライブしてる時、珠洲市や輪島市あたりで見かけた人達は無事だろうか…
私達は帰ってきて正解だったのだろうか…
複雑な感情が湧き上がってきていた。
自宅で、あたりまえのように食事をし、お風呂に入って、暖かいベッドで眠る。
そのあたりまえが出来なくなっている能登の人達…
自分だけ普通に生活している事に罪悪感が芽生えると涙が出てくる。
得体の知れない境界線を超えて今がある。
あたりまえなんかない。
全てに感謝の気持ちが湧いてくる。
それを感じる為の経験なのかもしれない。
信じよう。
東北旅行の時、南三陸で感じた復興できる人間の底力。
きっと、将来笑顔になれるか日が訪れる。それを心から願って。