[書評] 読んでいない本について堂々と語る方法
みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・書評家・エッセイスト として、
自らを定義しています。
今回の本は、タイトルからして
なかなか挑戦的な本である。
書評家として書評を書く者が
こんな本を読んでいいのだろうか。
百歩譲って読むのは自由だとしても、
「この本を読んだ」と公言したら
今後 私は
「コイツ、本当に読んでいるのか?」と
疑惑の目で見られる恐れもある。
どう考えても この本の書評を書くのは
自分にとってリスクしかない。
だが、本来「リスク」とは
「不確実性」を意味する。
決して「不利益」の意味ではない。
なにより こんな自己否定とも
受け取れるようなタイトルの本、
つい手を出さずにはいられなかったのだ。
そもそも「読んでいない」とは
この本は
「そもそも『読んでいない』とは
どのような状態か」
というテーマから始まる。
この著者は いきなり何を言い出すのだろうか。
思わず疑問符が浮かんでくる。
「本を読む」ことを想像してみよう。
本を手に取って開く、
そして書いてある文章を読んでいく。
そう、これが「本を読む」ということ。
これは電子書籍でも さして変わらない。
「本を読む」ことが斯様に明確なのだから、
その経験をしていない状態が
「本を読んでいない」ということである。
こんなもの、バカでも分かる。
…というのが、私の嘘偽らざる第一感であった。
だが、少し読み進めてみると どうやら話は
そう簡単なものではないらしい。
「一度も本を開いていない状態」
これはさすがに分かりやすい。
誰が何と言おうと、「読んでいない」状態である。
「1行ずつじっくり読み進めていった状態」は
どうか。
その本に何が書いてあったのか、
しっかりと自分の言葉で語れる状態である。
おそらく、これを
「読んでいない」という人は少ないだろう。
では、「流し読みをした状態」はどうか。
なんとなく頻出する単語や
見出しの並びくらいは思い浮かぶが、
内容について語るとなると心許ない。
はたして これは「読んだ状態」なのか、
それとも「読んでいない状態」なのか。
「一度しっかり全文読んだが、
内容をすっかり忘れてしまった状態」は?
人の記憶力というのは
自覚している以上に頼りない。
ひと晩もすれば、昨日読んだ本の内容なんて
きれいサッパリ忘却の彼方へ…
はたして これは「読んだ状態」なのか、
それとも「読んでいない状態」なのか。
内容を覚えていないのに「読んだ」?
しっかり目を通したのに「読んでいない」?
そう、よくよく考えてみると
「読んだ」と「読んでいない」という状態は
単純な二元論的ではないようなのである。
私にも心当たりがある
私も好きで本を読んでいるのだが、
残念なことに読む速度は あまり速くない。
そのうえ 脳みその容量が
人より小さいものだから、
大概のものは 読んだうちから忘れていく。
(読んでいない本を
読んだことにするための嘘では 決してない)
基本が そのようなかんじであるから、
自身にとって 印象に残る本 や
学びの多い本、換言すれば
「また読み返したくなる本」というのは
ある程度読んだ時点の手応えで分かる。
逆に言えば、
そのような手応えを感じない本というのも
経験則的に読んでいるうちに分かってくる。
「あ、これ何も残らんヤツや」
この本も たぶんそうだと思って読んだ。
これは本の良し悪しということを意味しない。
強いていうなら
「私と本の相性」の良し悪しである。
この手の本で、途中から心に刺さる本には
今までのところ出会ったことがない。
故にこの本も、左様に判断する。
…この本が言いたいことは、
つまり「そういうこと」なのではないか。
ある程度 経験値があれば、
少し読んだところで
どんな本かの「アタリ」がつく。
アタリがついたら あとは読まずとも語れるし、
それに引け目を感じることもない。
とはいえ 私は目を通していない箇所があると
居心地が悪くなる性分だから、
とりあえず最後まで読む。
…というより「目を通す」という表現の方が
近いかもしれないが。
これで読んだ、
感想はこうだ、
「自分には何も引っかからなかった本だった」
「特に何も残らなかった」
読んだことは嘘ではないし、
感想だって嘘ではない。
今は読んで面白かった本の書評を書いているから、
こんな感想を書くことはないのだが。
note で連載している書評だって
「今週私はこれ読んだ」なのだから、
今の読書のスタイルでも 十分よいではないか。
ともかく本当に自分に引っかかる本は、
ざっと読んでいても分かるのだ。
これは私が読書を続けてきて確信がある。
まとめ
読書は出会いだ。人と同じである。
出会った全ての人の、
全てを知ろうとする人はいないだろう?
いるとしたら 相当の変わり者だ。
この人はどうでもいい人だ、
この人は名前を覚えておけば十分、
この人は面白いからもっと知りたい、
この人のことは大好きだから全てを知りたい…
実際 私の書評だって
ひと通り読了してから書いているが、
その全てが本全体を丹念に
「精読」したものとは限らない。
むしろ 毎週書評を書く人間が
それをするとしたら、
毎日 文字どおりの四六時中、
本と対峙することになるだろう。
そんなことができるとしたら、
その人は引きこもりの類である。
自分にとって大切な本は、
日を空けて時間をかけて何度も読み返して、
自分の中で少しずつ発酵させていくものである。
だから精読していない本について語ることは
決して悪いことではないし、
さらにいえば(この本が言うところの)
読んでいない本について
語ることにも 一切後ろめたさを感じる必要はない。
著者が伝えたかったことは、
そういうことなのではないだろうか。
この本も 私にとっては
「また読み返したい本」には
残念ながら該当しなかったから、
読んだそばから 98% くらいは
揮発してしまったのではあるが…。
こんな人にオススメ!
・タイトルを見て興味を持った人
・読んだ本について話す場面が多い人
・「本を読むのは大変」と思っている人
こんな人には合わないかも…
・タイトルを見ても興味が湧かない人
・普段から全く読書をしない人
お読みいただき、ありがとうございました。
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