学校の中に第3の居場所があったら
今日もお疲れ様です。今日も気付けば20時を過ぎ、安定の12時間労働です。笑
18:30以降の自分の時間。世の中「働き方改革」なのかもしれませんが、わたしは自分のペースで働けるこの時間は好きです。(家庭をもつ先生方にはいつも尊敬の気持ちしかありません。わたしにはハードルが高すぎる!)
さて、今年のわたしのクラスには味のある子どもたちがたくさんいます。1つの教室で、同じペースで、同じ学習に取り組ませることで、個の学びに向かう力が引っ込んでしまっては嫌だなと思うので、さまざまな働きかけをするように意識しています。「自分で課題を選ぶ」「タブレットを活用する」「グループで活動する(コロナが収束してきてありがたい!)」などの機会を多くとるようにしています。とはいえ、みんなで1つの話題についてじっくり話し合う機会のよさも味わってほしいなんて思いながら、毎日の授業は試行錯誤です。
しかし、やっぱり最後は先生自身の人間性や魅力が、なにより子どもを惹きつけ「この先生が言うならやってみようかな」という気持ちにさせるのではないかなあと考えています。もちろん私はそんな厚みのある人間ではないので、隙あらば子どもからつっこまれる→話し合う→時には諭し、時には謝罪する日々です。笑
わたしの器量がないからでしょうか。学校の中には子どもも大人も落ち着く「時間」「空間」がもっとあったらいいのになと思うことが多いです。そんな穏やかな時間の中で、安心感や信頼感が育まれるのではないかなと思います。特に、家庭に安心感が少ない子ほど!そんな子ほど「話を聞いてほしい」「褒めてほしい」「どんな自分も受け入れてほしい」という言動が多いです。じっくり向き合って関係をつくりたいものです。
しかし、子どもも担任も5分の休憩を挟み続く授業、中休みや昼休みはクラブや委員会の仕事、コロナ対策で遊び場が制限される、改築工事で校庭が使えない、ずっとたくさんの友達と過ごす教室、どこに行っても1人になれない学校の中。書くだけでなかなかしんどい環境ですね。この状況で、一人一人と向き合うのは本当に難しい職人技です。一瞬でも気を抜くと、がらがらと崩れていってしまいそうです。
だからこそ、時間と空間を求める気持ちが強いのだと思います。自分のペースで勉強する時間があってもいいし、心がもやもやしたらゆっくり話す時間があってもいい。そんな学校になったらいいなと思っています。
思うだけでなく、動いてみます。