8月15日
この日の意味をわたしはどれだけ理解しているのだろう。
今年は敗戦から79年。太平洋戦争を経験していた、祖父も祖母ももう天国へ旅立ってしまっている。幼少期、両親が共働きということもあり、母方の祖父母と一緒に住んでいた。
両親の帰りが遅い日などは、弟はおばあちゃんと、わたしはおじいちゃんと同じ布団で一緒に寝ていた。
もう途切れ途切れの記憶だが、冬の寒い夜に先に布団に入っていたおじいちゃんの足は冷たく冷え切っていて、ちょっとガサついていたのを覚えている。その横で、おばあちゃんは弟をぎゅっと抱きしめて「あ〜かわいい湯たんぽだわ」と言っていた。
お布団の中で、おじいちゃんはいろんな話しをしてくれた。ほとんど覚えていないのだが、今でも戦争体験の話はなんだか残っている。
戦時中、船での無線通信係だったというおじいちゃんの話はいつも怖くて、なんで夜にこんな話しするのだろうといつも怯えながら怒っていた。
急な銃撃にあい、自分達が寝ている布団を盾にして身を守った話しや、急な大波で仲良くしていた仲間が海に落ちてしまった話。どれも怖くて「こわい〜」と泣きそうになったこともあった。「一緒に通信の仕事をしていた先輩の頭が撃たれて半分飛んで行くのを見た。頭の、脳みそが抜け落ちた内側はドス黒い紫色なんだよ。」「海に落ちたやつが船底の浮き輪(ていってたかな?)にしがみついていたのを見つけた。もうブヨブヨで顔も変わっていたけど、しっかりしがみついていてなかなか手を離せなかった。やつもまだ生きたかったんだよなぁ。」などなど。その時のおじいちゃんの横顔もぼんやり思い出す。それは、わたしでも天井でもなく、どこか遠いところを眺めていた。そしていつも「今は本当に平和だよ。ちゃんと生きなさい。」と言った。
「今みたいな満足のいくご飯なんて食べられていなかったけど、それでも一緒に並んで食事をしていた仲間が死んでいくのは悲しかった。でもそれ以上に次こそ自分が死ぬかもしれないという恐怖があった」と言っていた。
「戦争なんて2度と体験したくないが、でも一瞬でも忘れちゃいけないんだ」とも言っていた。
おばあちゃんは、おじいちゃんとは違い戦争中の話しを話したがらなかった。ただ、「あんた達は幸せな時代に生きられてよかった」「物を大切にしなさい」とたまーに、何かのついでみたいに言っていた。
小学校も高学年になると、自分の部屋で寝られるようになり、おじいちゃんの布団で寝ることもなくなっていた。
思春期は、大きな反抗期こそなかったとは思うが、部活や友達やボーイフレンドとの時間ばかり優先していて、休みの日もほとんど家にいなかったと思う。気づいたら戦争の話しを聞く機会を失ってしまっていた。
もっとちゃんと聞けばよかった。もっともっと聞ける事があったはずなのだ。今になって気づく。でも気づいた時にはもう遅い。
だから、自分で戦争について考えなければならないのだ。他人事にせずに。何年たっても忘れてはいけないんだ。
おじいちゃんの横顔を思い出す。
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