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【ジャーナリズム】社会について

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個人的に気になる時事問題、社会問題について考えてみました。
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#エッセイ

【ジャーナリズム】現実がネット化した今、秋葉原通り魔事件から考えること。 (秋葉原事件 加藤智大の軌跡/中島岳志を読んで)

今、秋葉原事件について考えると言うこと。 求愛行動としての「ネタ」。 インターネットにアクセスするためのデバイスがパソコンに限られていた頃、現実の世界とネットの世界は「現実/非現実」という風に綺麗に分かれていた。 「現実/ネット」という二分法が成立していたわけである。 しかし、そんな二分法は本来成立し得ないということを、世に知らしめた出来事がある。 2008年に起きた「秋葉原通り魔事件」である。 近年「思いがけず利他」が話題となった中島岳志氏は、2011年に発表した

【ジャーナリズム】 「平成は輝いていた」なんて死んでも口にしたくない。平成という時代についての私的覚書。

平成とはなんだったのか。 「ありのままでいい」と歌われた平成 松たか子やMay.Jが「ありのままの姿見せるのよ」と高らかに歌ってから早いものでもう10年になる。それより少し前には「ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」とSMAPが歌っていた。真剣に聴かずとも、小学校や中学校で歌わされた人も少なくないだろう。 しかし、当時「ありのままでいい」「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉に対して「そんな考え方ではいかん」と横槍を入れてくる大人も少なくなかっ

【ジャーナリズム】地方で暮らそうが都会で暮らそうが、自分の心は自分で守らないといけない。

地方で6年働き、暮らした、私の実感。 地方への憧れと現実。 都会で暮らしている人のエッセイやつぶやきを見ると 「ここで暮らしてると色々やかましくて、仕事もプライベートも集中できん」 と言ったような嘆きがよく叫ばれている。 その嘆きが地方への憧れを生んで、実際に地方に移住し、地方の仕事に取り組む人は少なくない。 ただ、地方には地方の現実があって、それに打ちのめされて結局都会に戻る人も多い。むしろそう言う人がほとんどだと思う。 当然と言えば当然かもしれないし、リベラル

【ジャーナリズム】陽キャ的立ち振る舞いは、一種の自己犠牲なのではないか。

書評家の三宅香帆さんのつぶやきより。 ここから考えられるのは、言ってみれば陽キャ的振るまいも、サバイブするための他人への思いやりなのかもしれない。 私たちアラサー世代が体験したお笑いブームが、その背景にあると思うが。要は、ひな壇芸人的な立ち振る舞いを求められるというのか。 大学のとき、特に学部生のときは、「面白いことを言って(やって)場を和ませることが正義」みたいな雰囲気がそこはかとなくあって、そこから距離を置こうとしたら「だからお前はダメなんだ」と糾弾されて、なんか嫌

【ジャーナリズム】“メディアごっこ”にならないためのプロ意識と倫理観

「一億総メディア時代」という言葉がある。 勘のいい方ならすぐピンとくると思うが、要はSNSの台頭によって誰もがメディアを運営できる時代になったということである。 認知度の高い言葉ではないと思うが、私自身この言葉を初めて知ったときは「言い得て妙だなぁ」と感心させられた。 いつ頃から「一億総メディア時代」という言葉が世間で口にされたのかはわからないが、2016年に出版された「ガケ書房の頃」という本には既に一億総メディアという言葉が記されている。該当文を引用してみる。 「と

【ジャーナリズム】セルフブランディングという罠。(「モテの壁/カレー沢薫」を読んで)

私たちを支配する見えない競争 昨今、資本主義社会がもたらす過度な消費や過度な成長と言った競争からあえて降りることは、自分らしいオルタナティヴな生き方として礼賛される。 だが、それでも競争は現代を生きる私たちを支配しているように思える。 あえて死語に近い言葉を使うと、モテ/非モテ、陽キャ/陰キャという価値観から生まれる競争は最も分かりやすい。本質的な言葉を使うと、充実した人生/空虚な人生という言い方になるだろうか。 つまり、充実した、モテる、陽キャ的人生を獲得するという競