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INFJの恋愛観って?

INFP・ENFPのあざとさについてイブリースさんが書かれてるのを読んで考え込んだ。

あざとさ、かぁ。特別な1人ではなくて何人もの人に自分に気があるかも?って誤解させる(あるいはあえて思わせる)行動ってことかな。承認欲求。距離感の曖昧さ。そして可能性を残しておきたい性格だから?

NFJの場合はこのような「あざとさ」は見られない。実際は「あざとさ」に相当するものは存在するのだが、それが男女関係の文脈とは合致していないのだ。どちらかと言うと「人たらし」あるいは「カリスマ」といったほうが良い。

上記イブリースさんの記事より

自分の若い頃の行動を思い返してみると、自分に気があるかも?って思わせるような行動は、実際に恋人になりたいなって思えるような特定の1人へだけであって、それ以外は細かく距離感を調整していたように思う。いろんな可能性の中から収束して一つを選ぶ性格だから? いろんな可能性、というのも、割と惚れっぽいところはあると自覚してる。承認欲求もある。距離感も掴めてない。ただ、感情的にはたくさんの人を好きだけど、理性的に1人に決めていくプロセスがありそう。

基本的に人は好きなので好意は態度などで示すのだけれど、恋愛的に誤解されないように注意深くしていた。人から頼まれたことを断るのは心理的負担が大きい性格なので、告白されたりして断る状況に持って行かせないようにしてたんだと思う。

と言いながらも何度か失敗もしてて、たとえば予備校生のとき、授業のノートを貸してほしいと近くの席の男子学生に頼まれて、いいよって貸したあと、帰り道に何度も待ち伏せされたことがあった。思えば、彼は男子高出身だったのではないかな。ノート貸すだけで自分に気があるから的な行動を取られることは共学の公立高校ではあり得なかったのでびっくりして、その後慎重に態度を改めた。

子どもの頃から、そうやって学習しては行動を調整していた。その結果、もし好意を伝えられるとするならば、後輩から憧れの人扱いされるとか、卒業の記念に一緒に写真撮ってください、とか、かなり年上の人に可愛がられるような形に落ち着いていったように感じる。それが、人たらし、とかカリスマ風になるんじゃないかなぁ?

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