90番 見せばやな雄島のあまの 殷富門院大輔
今橋愛記
見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず 殷富門院大輔 〔所載歌集『千載集』恋四(886)〕
歌に血の涙という文字はないが「悲しみがあふれると血の涙(血涙)が流れる」という漢文からの影響を受けている。本を読み比べると(血の涙は)大げさだという考えが多かったが、個人的には赤でいいのではと思うのだった。
和泉式部にも こんな歌がある。
ともかくも言はばなべてになりぬべし音に泣きてこそ見せまほしけれ
殷富門院大輔も和泉式部も歌人なのだから、言葉で思いを伝えて生きたのだろうけれど、言葉の、そのすべてを言い得ない、その伝わらなさ、言葉にしたそばからたちまち壊れていくその儚さについても知りつくしていたのだろう。相手の視覚に訴えていくのはどちらも同じだが、和泉の歌は、より言葉をとりはらいたい感じがする。
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず
見せばやな。
この5音は、わかってほしい。という思いだろう。
一瞬で わかって。
翻案は福祉にたずさわっていた時のことを歌にした。目を大きく見開き、そのしたの粘膜を見せ彼女は泣いていた。たくさんの言葉を持たない人だけど思いはちゃんと伝わった。とても切実できれいだったので立体で濃淡のある「梅がこぼれるような」なみだとした。
わたしの目あかいでしょ?と
彼女のなみだ
つぎつぎと梅がこぼれるような 今橋 愛