21番(今橋版) 今来むと言ひしばかりに 素性法師
今橋愛記/『トリビュート百人一首』(幻戯書房/2015年)より
今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 素性法師 〔所載歌集『古今集』恋四(691)〕
作者、素性法師は男性だけど、恋人の訪れを「待つ」女性の立場で、この歌をよんだ。この当時は、男性が女性のもとに通う通い婚が普通で、女性はいつも待つ側だった。「今来むと」は、使いに託して恋人が伝言してきたという状況が想定される。それに対して、新訳ではメールという言葉を使うことに。
そして、わたしは思いだしてみる、誰かを待っていたときのことを。待っているとき。会いたさでこころが、身体からとびだしていってしまいそうだったこと。待っているとき。たとえば本を読んでいても、現実感がなくふわふわとして。文字は少しも目に入らない。待っているとき。ふと。着信音が鳴ったような気がして、あわてて携帯電話を探す。でもそれは、自分のバッグについているスパンコールが照明の加減で、一瞬。きらっと光っただけだったこと。待ちすぎると何だか心が冴えて、五感まで少し変になって。待っているぶんだけ、すきになる気がしたこと。もっと時間がたつと、二度と会えないようで気だるい。それでも、ひょっとしたら連絡があるかもしれない。耳を澄ましたまま眠る。
電話かかってきたのに緊張しすぎてとれなかったこともあったな。どきどきしながら携帯電話がふるえるのを見ていた。とれなかったけど話せなかったけど、わたしの名前忘れていないのだとうれしかった。すきな人を待っていたとき。
あまやかに、しばらくわたしは思いだしていた。
ぼくもです。と
きみからメールが来て
わたし
こころだけになって
ずっとまってた 今橋 愛