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小説「傲慢と善良」を読んで思った、他人の目を気にする無意味さ


「傲慢と善良」を読んで

数年前に読んだ辻村深月さんの小説「傲慢と善良」が映画になり、最近、SNSでも感想を目にすることが多い。
この小説は「婚活小説」であるが、私にとっては、人生全般における、自分の持つ偏見、他人の目を気にする愚かさを痛感する小説だった。文句なしに名作です。
以下、少々ネタバレありです。
数年前に図書館で読み、いま手元にないため、間違いがあったら失礼します。

主人公の架は、婚活アプリで知り合った婚約者の真実と同棲しているが、ある日、真実が行方不明になった。真実はストーカーに追われていた。架は彼女を探す手がかりを得るために、彼女の故郷に出向き、彼女の家族や関係者に会う。

まず、架と真実は、普通に生活していたら出会わないような組み合わせだなと思った。
架は華やかな人脈があり、彼の女友達は、真実について「あの子に架はもったいない」というようなことを言う。私はこの女友達の性格の悪さが一番ムカついた。思っていても余計なことは言わない、これができない人はどれだけ恵まれた境遇にいても社会人失格である。
一方、真実は地方から上京してきた地味でおとなしめな女性である。地元では嫌な思いをしたようだが、一念発起して東京に出て、架と婚約までしたのである。もっと堂々としていればいいのにと思う。
真実が失踪した理由は事件性があるものではなく、自分の意思で消えたのだった。大人の女性としてはかなり子供っぽい行動だと思ったが、この失踪がなかったら、結婚してもぎくしゃくしていたかもしれない。この失踪を通してふたりの内面に変化があり、きっとそれはよりよい未来につながると思う。


他人に対する「傲慢な目」

社会において、われわれは無意識に他人の属性などをジャッジしていると思う。私より上か下か、私より幸せな人か、そうでないのか。また、他人からどう思われているかも気にしてしまう。
この小説のテーマである「婚活」についても同様だ。他人がどんな方法で結婚相手に出会ったかなんてどうでもいいのではないか、大事なのは結婚後に幸せかどうかではないかと思うのだが、そう思えない人がいるらしい。

以前、社会人サークルに所属していたのだが、そのメンバーの結婚ラッシュの時期があった。「彼、彼女の結婚相手はどこで出会ったどんな人なの?」という話題になるのだが、そのたびに、余計な一言を言って周囲を凍り付かせた女性(Aさん)がいた。
ある女性は、婚活パーティで出会った人と結婚した。そのことについてAさんは、
「彼女も、相手の男性も、そんな場所に行かなくても結婚できる人なのに」
と言った。相手の男性のことを知らないのに、である。
彼女は海外出張が多く忙しい人で、普通に知り合っても、そこからたびたびデートするような時間がとれる人ではなかった。
彼女は農業に興味があったこともあり、農業をやっている男性が集まる婚活パーティに参加し、一度の参加で運命の人に出会った。相手の男性も畑を空けることができず、彼女と同じような事情ではあった。この2人は「婚活パーティでしか出会えなかった2人」である。

ある男性は、海外赴任中に結婚したが、相手との出会いは結婚相談所だった。このことについても、Aさんは
「えー、奥さん、美人だよ。結婚相談所じゃないんじゃない?」
と言った。
海外赴任中に現地で日本人女性と出会うのはなかなか難しい。日本で出会った女性で、自分と結婚するために海外まで来てくれる人がいるとは限らない。そこで、結婚相談所で「海外に来てくれる女性」を探したのである。

このように婚活パーティ、結婚相談所を下に見る人がいる。学校や職場、友達の紹介などで知り合い、そこから発展していくのが上、ということなのだろうか。
なお、この暴言を吐きまくったAさんはなかなか高齢で未婚、結婚願望はあるようである。だが、結婚相談所などを利用したことは一度もないらしい。利用したこともないのに「ろくな人がいない」ようなことを言う。
上記のような暴言をうっかり当事者の前で言わないように、
「そうとは限らないんじゃないですか?海外にいるような場合は、結婚相談所で海外移住希望の人を探した方が早いですよ」
と何度も言ったのであるが、言動が変わらないので、最近はもう話さないようにしている。

小説「傲慢と善良」の架も、ハイスペックな元彼女と別れ、アプリで知り合った真実と結婚することを少し恥ずかしく思っているような雰囲気がある。彼の友人たちも少し見下している感じがする。
辻村深月さんは「世の中の空気」の描き方が本当に上手だと思う。


「自分軸」で生きている人は幸せである

上記の社会人サークルのメンバーは、婚活パーティや結婚相談所で知り合って結婚したことを隠さず、むしろ堂々と話している。彼、彼女にとっては、それがベストな選択だったのである。この2人は結婚以外の行動を見ても、本当に「自分軸」がしっかりしている。

私の感想だが、婚活パーティ、結婚相談所を利用して結婚した人が、恋愛結婚した人より魅力が劣るということはないと思う。また、アプリ婚をバカにする年長者と会ったことがあるが、この人は合コンで出会って結婚した人だった。アプリは合コンの進化形態だと思うのだが、違うのだろうか?
このような「アプリや結婚相談所はいけてない!」という偏見がある中で、自分の選択に自信を持ち、しっかり成果を出す人は、自分軸がしっかりしていて魅力的である。

面白い男友達がいた。彼はハイスペックで、行動力のある人である。
彼は20代に1回目、アラフォーで2回目の結婚をしているのだが、1回目は週に何度も合コンに行き、相手を見つけたという。2回目はアプリ婚であった。
彼曰く、
「自分の理想通りの女性って数%じゃない?さらに、相手も自分を好きになってくれる可能性を50%とすると、その半分だよ?普通に生活していても出会えないよ!たくさんの人に出会わないと!」
と言い、そのために合コンに足を運んだり、アプリを使っているのである。彼にとっては、普通に生活して理想の女性に出会おうとする方がナンセンスなのであろう。
彼が結婚した女性も、
「私は出張が多くて合コンとか行けないから、アプリを使ったの」
といたってフラットである。こういうフラットさがあるから、卑屈にならずにアプリ婚活を楽しむことができたのであろう。

他人の目を気にしても、他人は自分の人生の責任をとってはくれない。無責任な他人は一時的にはいろいろ言っても、すぐに忘れてしまう。なんだかんだ言って、そこまで関心はないのだ。
また、自分が無意識に他人を見下していないかにも注意すべきだと思う。

「傲慢と善良」で、印象的なエピソードがあった。かつての同級生にばったり会った真実が、
「〇〇大学に行ったんだっけ?」
と言われる。〇〇大学は地元の大学だが、真実は同じ地元でも、それよりはランクの高い大学を卒業していた。真実は勘違いされていたことに傷つく。これは真実が〇〇大学を下に見ているから起こったことであろう。
おそらく同級生は真実を見下したわけでもなく、あまり興味がなく、適当に聞いただけなのであろう。
こういうところが真実を生きづらくしているのではないかと感じた。
細部のエピソードまで見事な小説だった。

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