文学賞に応募してみた
小説を書くことの効能
今年の4月に「ちよだ文学賞」という、千代田区主催の文学賞に応募してみた。400字詰め原稿用紙に換算したら40枚くらいになったので、短編小説だろうか。締め切りの半月前くらいに着手して一気に書いた。細かい設定などを考えずに勢いで書いたので、ストーリーも行き当たりばったりで、他人が読めばかなり読みにくい出来だっただろうと反省している。
もう結果が出たようだが、当然ながら、私には連絡は来なかった。
しかし、今回小説を書いたことで、自分の気持ちにケリがついた気がする。
千代田区の文学賞だけに、千代田区に関係のある小説が歓迎されるということだったので、私が高校時代に訪れた千代田区某所での思い出をベースとした小説を書いた。
何度もnoteには書いているが、高校時代はかなり苦しい時期だった。当時の家族の問題、学校での気持ちの葛藤などを勢いにまかせて書き綴ったので、小説としては質の低いものだったと思う。
だが、書き上げたときに、なんだかとてもすっきりした。当時の自分がやっと成仏してくれたという感じだった。それ以降、思い出すと悲しく、苦しくなっていた両親のことを考えると、
「あの人たち、マジでヤバくない?」
と笑い飛ばせるようになってきた。noteにもネタとして書けるようになってきた。
両親のこと以外、学校や会社での苦しかった思い出についても、客観的に振り返ることができるようになってきた。
女優の竹内結子さんが亡くなったとき、小説家の桜井亜美さんが、こんなことをブログに書いていた(以下は抜粋です)。
竹内結子さんはお母様が早くに亡くなり、高校時代にはお父様の再婚相手と、その子供たちと暮らしていたそうだ。桜井さんが19歳の竹内さんに小説のあとがきをお願いしたとき、竹内さんは当時の寂しさを文章にした。私もそのあとがきを読んだことがあるが、素晴らしい文章だった。
桜井さんはそのことに言及しながら「彼女に小説を書くことを勧めてみたらよかった」と書いていた。
私は竹内さんのような美貌も文才もないし、立場も全然違うから、何とも言えない。でも、竹内さんも自分の思いを小説にしたら、気持ちが楽になったんじゃないかなあと思ってしまった。
これまでの応募歴
実は子供の頃から「小説家になる」というのが夢だった。売れっ子作家になりたいなんて身の程知らずなことは考えていない。でも、一度くらい、自分の小説を世に出してみたいと思っている。
高校時代は文芸部にも入っていた。年に一度発行する文芸誌のために力作の小説を書く仲間もいたが、私は数本の詩を書くのがやっとだった。
大学に入り、自分の浪人時代の経験を小説にしたが、あまりに稚拙な出来であった。自分の経験だけに、かなり自分の都合のいいように書いていたなと思い出すだけで赤面してしまう。文学賞に応募したが、今思うと、応募規定をちゃんと守っていたかすら怪しい。その後、大学在学中にたまに小説を書いていたが、完結させたことがなかった。
社会人になってから2回文学賞に応募したが、登場人物もプロットも考えずに思うままに書きなぐり、締め切りにギリギリ間に合わせるような状況だったので、当然ながら箸にも棒にも引っかからなかった。
そう考えると、文学賞に応募したのはこれが4回目だった。小説家を目指している割には、なんと寡作でスローペースなのだろう(苦笑)。
構想もなく勢いで書くこと、締め切りにギリギリ間に合わせるためにかなり雑になったのは前回までと同じだ。
だが、今回はかっこつけずに自分の気持ちをそのまま表現することができた。それを小説と呼べるのかという気もするが、自分のかっこ悪いところを隠そうとすると、なんだか面白くないものになるような気がする。
自分のかっこ悪い経験も、かっこ悪い感情も認めながら、それを勢いではなく、冷静に俯瞰しながら書けるようになれば、小説と呼べるものが書けるようになる気がする。
まずは次の作品の「構想」を考えることだな。