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保育園に行きたかった


放置子からモンテッソーリ幼稚園に入れられた私

両親は自営業をしており、幼稚園に入るまで、私は祖母と2人で家に放置されていた。父親が末っ子、さらに私は父親が40くらいで産まれた子だったから、祖母は幼児の面倒を見るには高齢であった。大人になって祖母の人生や性格を考えると、他力本願で、自分でどうにかしようという意欲の薄い人だったと思う。
そんな祖母と放置されている子供が人並みに発達するはずがない。幼稚園に入るとき、4歳にしては背が高く、体重もあったが、ずっと祖母と家の中にいたせいで筋肉が発達せず、運動能力が低かった。また、他人に慣れていなかった。情緒面も不安定であった。
4歳になり、モンテッソーリ教育をやっている幼稚園に入れられた。この幼稚園には4つのクラスがあるが、1つのクラスに年少から年長の3学年が所属している縦割り学級であった。気の強い年中、年長の子に押され、ますます内向的な性格になっていった。

また、小学校に入ると、同じクラスに、同じ幼稚園の子がひとりもいなかった。うちの近所の子たちは、近くにある幼稚園に通っていた。すでに友達のいる子たちは活発で、友達同士で遊んでいた。まずそこで気後れした。
さらに、私が通ったモンテッソーリ幼稚園では鍵盤ハーモニカの授業がなかったが、幼稚園でやったことのある子がたくさんいた。私はここでも遅れをとった。

いま思うと、このモンテッソーリ幼稚園は本当に合わなかった。まず、学年の違う子と同じクラスなんてやりにくい。まずは同い年の子と仲良くなる練習をした方がいいと思う。
また、多くの時間は勝手にお絵描きをしたり、本を読んだり、思い思いのことをやっている。運動の時間もほとんどなかった。それでいて、お遊戯会などでは急に協力しあうことを求められる。なかなか協調性の育ちにくい環境だと思う。
なお、私はモンテッソーリ教育そのものを否定しているわけではない。この幼稚園はモンテッソーリ教育をうたっていたが、私はモンテッソーリ教育がどんなものかはよくわかっていない。
当時の私には、この幼稚園が心の底から合わなかったというだけだ。


保育園に行きたかった

私のような環境であれば、親は1歳、いや0歳くらいから保育園に入れるべきだと思う。両親の仕事場のそばに保育園があった。朝そこに預けて、夜に迎えに行けばいいのである。0歳から4歳の子供を、何もしない高齢の祖母と2人きりにしていたなんてどうかしている。
だが、そうはしなかった。なぜなら、母親がこのモンテッソーリ幼稚園の制服を着た園児を見て、
「可愛い!うちの子は絶対あそこに入れる!」
と思ったからである。
言葉を選ばずに言うと、アホである。自分の仕事のこと、姑が高齢であることを考えたら、保育園に預けた方がいいと思わなかったのであろうか。
まあ、そんな常識的なことを考えられるような人間であれば、あんな人生にはならなかったことであろう。一事が万事、よく考えない人なのである。それなのに、田舎の高校で優等生だったことを根拠に自信満々なのである。それでも人並み以上の努力をするならばまだいいが、事業が立ち行かなくなったとき、霊感商法にハマって家中にエスパーシールを貼りまくった人なのである。
せめて他人を巻き込まないでほしかった。子供を諦め、夫婦2人で茶番をやっていてほしかった。だが、本人は、結婚後になかなか子供ができないときに「子供が欲しい!」と騒ぎ、1人目のあとなかなか2人目ができないときも「2人は欲しい!」と騒いでいたらしい。
だったらちゃんと子育てをしろと言いたいが、そういう計画性のない人なのであのような人生になったのであろう。とにかく自分の欲を満たしたい、その先のことは考えていないのだ。

私は保育園に行きたかった。まだ人見知りをする前に同世代の子供がたくさんいる場所にぶち込まれたかった。そうすれば、小学校に入ったときのショックも小さかったと思う。ずっと祖母と2人きりでいるより、ずっと社会性が備わったに違いない。
モンテッソーリ幼稚園では教わることのできない運動や楽器を教われば、小学校生活にも不安がなかったのではないかと思う。
保育園に行っておけば、7歳以降の人生はもっと明るかったのではないかと思う。

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