kije

とにかく物語が好き

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ナマケモノ、樹を降りる(はじめまして)

書くことは好きだ。 子どもの頃、初めてなりたいと思った職業は作家だった。 文章に関わる仕事は色々なかたちでやってきたけど、自分の好みドンピシャの仕事など降ってはこない(チャンスすらない)し、本当に書きたい文章を書くことなどはさらにない。 私は基本的にナマケモノである。 でもこのままじゃいかんと思うようになった。 様々な怯えゆえに手放せなかった安定という樹の枝から手を離し、地面に降りようと思う。すなわち、自分一人で、誰に見せるでもない文章を書いている方が楽しいのだが、そこか

    • エロと差別といじり(という名のいじめ)を封じてつまらなくなるほどエンタメは浅くない。

      • ダサい自分を直視する

        書くということに関して、私はスタート地点にさえ立っていない状態だけど、ひとつだけ確信していることがある。 自信が持てない、見られるのが恥ずかしい。 そういう感情は、誰にも読んでもらえないこと以上に苦しいことだと思う。 たとえば書いて何年も経つ卒論だっていまだに読み返せないもんね。あの頃は未熟だったなあとしみじみすることなんか絶対無理。 大学の先生は「読んでみたら恥ずかしいけど部分的には『お、良いこと言ってるじゃん!』と思える箇所がある」と言っていた。 無理無理無理無理。

        • 卒論を書き直したい

          タイトル通りです。 大学を出てから何年も経つけれど、いまだにちょっと引きずってまして。 端的に言って、卒論に納得いってない。 あの頃は院進もあったし将来なにする?に対して答えられるようなテーマを探すばかりで、本当に興味のあることに向きあうことができなかった。 いや、本当はできたはずなのにしなかったのだ。 そこで、卒論と同じくらいのボリュームの文章を、同じくらいの熱量を持って書きたいと思うようになった。 今度は本気で、やりたいテーマを見つけて。 それ調べてどうするの?

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        ナマケモノ、樹を降りる(はじめまして)

          さすがにサボり過ぎている

          さすがにサボり過ぎている

          想像していたのとは違う未来にいる

          大学時代のサークルの同窓会的なものに行った。 卒業してずいぶん経つのに初めて参加した。 ずっと「今なにしてるの?」と聞かれた時の答えに困る状態だったから。 仕事があるので懇親会の時間には間に合わないと言ったら、友人が2次会に誘ってくれた。 同学年のこぢんまりした会だと思って行ったら懇親会参加メンバーの8割くらいいるんじゃないのくらいの人数でびっくりした。 でも後輩含めみんなすごく喜んでくれて、行って良かった誘ってくれてありがとうと思った。 なにより、ようやく行けたというこ

          想像していたのとは違う未来にいる

          オールタイムベスト(本)

          オールタイムベストを定期的に作っている。 おもに本と映画 好きな10作品を挙げるといっても、その時々ちょっとずつ変わるのでおもしろいのだ。 マチルダは小さな大天才/ロアルド・ダール ドリアン・グレイの肖像/オスカー・ワイルド レ・ミゼラブル/ユゴー 指輪物語/トールキン 夜叉ヶ池・天守物語/泉鏡花 うたかたの日々/ボリス・ヴィアン オラクル・ナイト/ポール・オースター 人間の絆/サマセット・モーム はるかな国の兄弟/リンドグレーン 夜の来訪者/プリーストリー ちなみに20

          オールタイムベスト(本)

          私の本棚のちょっとした自慢

          超レアな初版本!とかではないんだけど、 ちょっとテンション上がったものから2点だけ。 ベルリンの本屋さんで見つけた『ニーベルンゲンの歌』 なんと中高ドイツ語と現代ドイツ語の対訳版!なかなか日本では買えまいと思って購入。 中高ドイツ語(Mittelhochdeutsch)とは高地ドイツ語のうち1050〜1350年に使われていたとされる、要するにすごく古いドイツ語です。 叙事詩だけあって韻が素晴らしく綺麗。 さすがにさっぱりわからないんだけど、読み方はだいたいわかる。 買って

          私の本棚のちょっとした自慢

          同窓会的なものに行った。卒業してずいぶん経つのに初めて参加した。ずっと「今なにしてるの?」と聞かれた時の答えに困る状態だったから。ようやく行けたということが感慨深い。そして、思ったよりもずっと簡単だった。なぜ難しく考えていたんだろう。

          同窓会的なものに行った。卒業してずいぶん経つのに初めて参加した。ずっと「今なにしてるの?」と聞かれた時の答えに困る状態だったから。ようやく行けたということが感慨深い。そして、思ったよりもずっと簡単だった。なぜ難しく考えていたんだろう。

          ○○を読む自分に酔っている

          「○○が好きなのではなく、○○を読んでる自分が好きなだけ」 揶揄する意味合いでよく言われることだが、私は悪いことではないと思っている。かつては私もちょっと冷笑していたこともあったけれど。いやむしろ、私もそちら側で、引目を感じていたのかも。 でも大学院で研究者の近くに身を置くなかで「そんな態度でいたら滅びるな」と思った。 そうしてしばらく時間が経った。 やがて、考え方が変容した。 「○○を読むくらいで自分が好きになれるならいいではないか」 挫けそうになる罠が張り巡らせ

          ○○を読む自分に酔っている

          今読んでる本2024.6.26

          Chat GPTエフェクト 破壊と創造のすべて/日経BP Chat GPTが脅威として取り上げられる記事をいくつか読んだ。恐れるにせよ、利用するにせよ、実態を知る必要はあると感じて少しずつ読んでいる。『Chat GPTの全貌 何がすごくて、何が危険なのか?』(岡嶋裕史、光文社、2023年)は読了した。まさに「何がすごくて何が危険なのか」が知りたくて、2冊目へ突入……したはいいもののあまり進んでいない。 宇宙の戦士/ロバート・A・ハインライン 数年前ガンダム(ファースト)を観

          今読んでる本2024.6.26

          約束を守るということは、守れない約束はしないということだ。

          約束を守るということは、守れない約束はしないということだ。

          本が読めなくなった話

          高校生の頃、毎日夜の9時から3時間ほど本を読んでいた。 それなのに、大学に入ってバイトを始めると急に本が読めなくなった。読みたい気持ちはあっても、本に集中できない日々が続いた。慣れない環境に慣れない接客業で、周囲に絶えず気を配ることにも、長時間の仕事にも、心身ともに疲れていた。 そうして1年もすると「心が枯渇している」と感じるようになった。 当時作っていたモヤモヤを吐き出すための「雑念ノート」には、「浴びるほど本を読みたい」という走り書きがある(雑念ノートは今も書いてる

          本が読めなくなった話

          明日死ぬとしたら

          明日死ぬとしたら何をする? よくある問いだ。 目にするたびに私も考える。 家族や友達に会いたいかもしれない。 でも感傷に浸ってしまうのは怖い。離れ難くて、次の人のところに行けないことも容易に想像できる。 自分の痕跡を消す? たとえば日記。 中学生の頃のが残っているけど、あれらは全部捨てたい。誰にも見られたくない。でもちらっと見るとごく稀に良いことが書いてあったり、大人になった今では思いつかないことが見つかったりするので捨てられず、ずるずると捨てられずにいる。たしか1冊くら

          明日死ぬとしたら

          ぎりぎり族を脱したい

          今まさに締め切りに追われている。 note書いてる場合じゃないだろうというのは尤もなんだけど、昨日「毎日書く」と言ったばかりである。 休憩代わりである。 なんだか無性にコンビニおにぎりが食べたい。 でも着替える時間も行って帰る時間も惜しい。 家にあるインスタントミルクティーで我慢しようか。 寝るのはなかば諦めている。 どうしてこうなったのか…… 学生の頃からぎりぎり族から抜け切れない。 それでも締め切りを超えたことは一度もない。 一刻も早く終わらせて、 自分頑張ったーと

          ぎりぎり族を脱したい

          きっと疲れているのだ

          なにもする気が起きない。 休日は寝てしまう。 そして1日が終わり、自己嫌悪に苛まれる。 仕事中など、好きなことをできない時間にはやりたいことが無限に湧いてくる。 ピアノ、執筆、読書、フランス語やドイツ語、スウェーデン語の教科書も眺めたい(眺めるだけ)、イラスト、料理、カフェ巡り、書店巡り。 それなのに自由時間になった途端、動画を見たりゴロゴロしたりしているうちに寝る時間になってしまい、寝たら最後、上記にあげたことはなにひとつせずに出勤時間。 足りないのはなんだろう? 根

          きっと疲れているのだ