アンコール 19 「追いかける」
頭を抱えている僕の耳に、バーの店主の低くて落ち着いた声が響く。
まるで、他の客は一人もいないのではないかと錯覚してしまいそうになる。
実際には、三人ほど、若い男女が酒を飲み、会話を楽しんでいた。
「…馬頭琴を、持っているね」
「…!!そうだ!!そうなんです!!彼女は、僕のところに楽器を置いて行きました!!何故だ?あんなに、あんなに大切にしていたのに!!恋を、していると言っていたのに…」
「彼女の祖母は、モンゴルにいる。病気を患っている。馬頭琴を習った相手なのだそうだよ。…弾いて、聴かせてやりたいはずだね」
店主の言葉に、僕はウィスキーのロックグラスを一気に傾けると、氷だけの状態にして、支払いを済ませる。
ウィスキーのボトルには、「シロ、ハイリブ」と書かれたキープ用の札がかかっており、二人の名前を赤ペンで描かれたハートが囲んでいた。
こんなこと、おふざけでしかなくて、自分のことをバカにしているのだとばかり思っていた。
きっとシロは、部屋に住まわせてもらっているから、男女の営みを行うことの出来ない僕に気を遣って、ご機嫌を取っているのだとばかり思っていた。
可愛らしい恋人ごっこで、男になりきれない僕を慰めてくれている、優しい女の子。
そう決めつけて、拗ねていたのかもしれない。
ごめん、シロ。
僕は急いで自分の住むアパートの部屋に戻ると、一番仲の良い上司に電話をかけて事情を全て話す。
すると、おまえはちっとも有給を使わないからな、と、苦笑まじりに呟かれ、こんなに上手く話しが進むだなんてやはりシロは魔女なのだと思える程に、簡単に数日間の休みを手に入れることが出来た。
大学生の時にパスポートは取ってあったし、飛行機の方はパソコンで調べようと、久しぶりに電源を入れた。
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