自慈心って(2)

「みんなの記憶の中から私が居なくなれば私は消えていいんじゃないか?」と思ったこと、最近の体調、最近の生活について、などなどをノートに書き殴った。少し前に始めたモーニングノートからのToDoリストを元に過ごしていた、そのことが苦しくなっていることに気づく。毎日、ToDoリストにあげたうちのほんの少ししか実行できておらず、リストの積み残しが増えていく。自分はできていないと実感させられるからだ。

ノートに書き殴ること自体は、自分を振り返るために続けた方がいいと思えた。じゃあどうしようか。夜、眠る前に書くことにしたらいいんじゃないだろうか?そして、1日の中でやれたことをリストにしていくのはどうだろうか?調べてたらToBeリストという考え方があった。その記事には、ToDoリストは自己肯定感には不向きと私が感じたような記述があった。やはりそう感じる人が私以外にもいるのだなと思った。

ここまで考えたところで、リワークスタッフとの面談の順番となった。昨日から考えたことを話した。スタッフさんは聞いてくれて「そういう気づきを促すのがスタッフの仕事なんだけど、あなたはそれを全部自分でやっている。それってすごいことなんだよ。もう少し自分を褒めてもいいと思う。」と。そして、「慈しみの心の注ぎ方」の話になる。「自分のコップにどれくらいたまっていますか?」と。
(Twitter記事を引用させていただきます)

私は、この3層のコップやシャンパンタワーに例えた考え方、まずは自分から愛情を注いでいくという考え方自体は知っていた。私のコップは?と考えたとき、自分のコップそのものがイメージできなかった。自分のコップ?そんなのあるんだろうか?といった感じがした。まず、自分のコップを作るところから始めよう。自分のコップがイメージできて、その中に慈しみや愛情を溜めていくイメージを持ちたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?