普段、先生がどれだけ喋りすぎているか…
小学校の先生で、2児の父、雄剛です。
現在、声が出ません…。先日の体育で張り切って盛り上げたり、褒めたり、アドバイスをしたせいか…。それとも、卒業式の合唱練習で率先して歌ったり、励ましたりしたせいか…。風邪をひいてしまったのか…。
先生の声が出ないと授業にならないのでは?
結論からいうと、先生がしゃべらなくても授業は成立するんです。
社会の授業がありました。私の社会の授業にはある程度の型があります。
①資料の提示 ⇒ 子どもたちが読み取る
②読み取ったものから、「?」をピックアップして課題を作成
③子どもたちが、教科書や資料集、それ以外の資料・検索ツールから課題の答えを探す
④それぞれが発表したことを交流
⑤まとめ
(まだまだ従来通りのやり方で、個別最適に移り切れていないのでそこは研修中です。)
いつもは、この流れを子どもたちに投げかけて、引き出しながら進めていくのですが、今回は声が出ないということで、私はしゃべらずに進めてみました。(投げかけは、最低限の板書で!)
そうすると、何事もなかったように進んでいくんです!…というよりも、いつもより子どもたち自身で会話をしながら授業を作っていくんです!そして、お互いの話をよく聞き合って、根拠となる資料を自然と読み合ったりするんです!
しゃべっていないつもりが、しゃべりすぎて子ども同士の学び合いを奪ってしまっていた…
授業研でもよく話題になるのは、先生のしゃべりすぎ問題。「どれだけ余計な言葉を削って、最低限の投げかけで、子どもたちの学び合いを引き出すか?」。これを意識しているつもりだったのに、まだまだだと気付かされました。
これは、ある程度型が定着して、子どもたちが育ってきたからこそできる授業。学年始めではちょっと厳しいかもしれません。でも、逆をいうと、子どもたちは学年始めからどんどん成長していっているということ。成長に合わせて、どんどん先生が刺さる部分を減らしていき、子どもたちに学びをゆだねていく。そして、「ここぞ!」「ここを深めたい!」という時にだけ先生が話す。そんなふうに、1年間同じように進めるのではなく、学びを調整することも大事だなと痛感させられました。