見出し画像

三角さんへの言伝(ことづて)天人の社(矢代と百目鬼の物語)番外編

#囀る鳥は羽ばたかない二次創作

夢を見た
リアルなヤツだった
起きてからも胸に残る

アレはどういう意味だ
あの2人に知らせろということか

あの人が矢代で
百目鬼がアイツだったなんて
納得する様な
腹が立つ様な

俺は気持ちが収まらない

_______________

50年程前の話だ
俺は親戚の用事で北陸の田舎を訪れた

俺の祖父の弟
大叔父の古希の祝いを届けに

面倒な使いが終わり、
すぐに帰ろうと考えていた

だが
次の列車が来る迄2時間もあった

俺は時間潰しに
この田舎町を
ひと回りしようと思い立ち
荷物をロッカーに預け
ふらりと歩き出した

なんも無いとこだな_

そう思い歩いていると

町の小さなカラオケ店の前
2人の男の騒ぐ声が聞こえてくる

若い女を無理やり店に誘っている様子だ

捨てても置けず
側を通る際に
男の肩に手を置き
振り向いたところを一発
顔面に食らわす

「なんだテメェ」
もう1人がそう言った瞬間
そいつの腹に蹴りを入れる

今考えれば乱暴な話だが
二十歳前の俺は考えが浅かった

倒れ込み
動けずにいる2人の
奥にいる女の手を掴み
前に引き出すと
「ネエちゃん、早く帰れ」
と促した

べそをかき、青い顔をした女は
声も出せないのか
かろうじて頷くと
ぺこりと頭を下げて
バタバタと走り去った

俺もそのまま立ち去ろうと
歩き出す

すると
目の前の店のドアが開き
ぞろぞろと男達が出てくる
1人、2人3人、…10人…と
途切れない

20人程はいたのだろうか
最初に出てきた数人が
倒れている2人に気が付き
走り寄り、抱き起こし
誰にやられたかを聞いている

俺は踵を返し、既に走り出していた
いくらなんでも20人以上は無理だ

あちらも俺に気が付き
数人が追いかけて来る

土地勘のない俺は
あっという間に捕まり
(予想通りに)
ボコボコにされる

何人もの男に殴られ蹴られ
歯が折れて飛んで行く
肋骨が凹み
肺に刺さったのが分かった
息が出来ない

右腕は折られ
足の感覚も無い

コイツらは手加減というものを
知らないのか
喧嘩の仁義を知らない奴らだ

俺は
殴られ続けるうちに
意識が遠のき
次第に
気持ち良くさえなって来た

このまま
死ぬのかも知れない__

そう思った時だった

「何をしている」

低く厳しい男の声がした

一斉に男達が振り向く

咎める様なその声に
一瞬怯んだ男達は
その声の主を見て
明らかにほっとしている

俺は
腫れ上がった片目を
辛うじて開き
声の主を探した

70歳位だろうか
灰色の髪をした
190cm以上あろうかという
大男が
無言で立っている

「なんだテメェは」
「ジジィは引っ込んでろ」

2人の男が
その男の傍へ近寄って
突き飛ばそうと手を伸ばした
その途端
2人音を立てて倒れ込んだ

一瞬だった

何が起こったかのかも分からず
周りの男達は呆然としている

その中の数人が
はっと我に帰り
老人に近づき
「てめぇ」
「何した」
凄みながら手を伸ばすと

その数人も
あっという間に
宙を舞い、地面に倒れて
失神している

老人の動きが早すぎて
何をしたのか誰も分からず
その場は騒然となった

中には怯えて
後ずさる者もいる

リーダー格の者なのか
男達の中の一人が
老人の前に静かに歩み寄ると

「守り人か」
と尋ねている

老人は無言で頷くと

「去れ」
とばかりに顔を横に振った

それに頷くと
リーダ格の男は振り向き
手を上げて
「行くぞ」と叫んだ

そこにいた男達は全て
弾けるように動き出した

俺の襟を掴んだまま
呆然としていた男は
いきなり手を離し
老人の周りに転がっている仲間に
走り寄ると、数人で抱え
あたふたと逃げるように
去っていく

俺は
その様子を転がったまま
ぼんやりと眺めていた

「モリビトカ…」

どういう意味だ…

考えていると

老人は無言で近づき
俺を見下ろすと
抱え上げ
ヒョイと肩に担ぎ
そのまま
スタスタと歩き出した

ふと、何かに気付いたのか
立ち止まり
振り返って地面を見、俺を担いだまま
しゃがみ込んで何かを拾っている

それをズボンのポケットに入れると
苦もなく立ち上がり
またずんずんと歩き出した

折れた骨に老人の歩く振動が響く
声を漏らすまいと我慢していたが
無理だった

情けないが
俺は
運ばれる途中で
気を失ってしまった

________________

痛みで目が覚めた

胸には沢山の薬草を貼られた跡が見える
今は
折れた右腕に添木をされ
晒(さら)しの様な布で
ぐるぐる巻かれているところだった

「う…う」
我慢出来ず声を漏らす

老人は手を止め
自分の脇に置いてある
湯飲みを手に取ると
俺の方へ差し出し

「飲め」

「痛みが和らぐ」

それだけ言い
湯飲みを俺の手元に置くと
また黙々と作業を続けた

腕が終わると
両足に薬草をはり
添木をし
また晒でぐるぐると巻いていく

俺は辛うじて動かせる左手で湯飲みを掴むと
如何にも苦そうな匂いのする薬湯を
そろそろと口に運んだ

折れた歯から出血している

口の中が切れて染みる上に
思っていた以上に苦い
それでも、少しでも痛みが引くならばと
必死に飲み干した

老人は
足を巻き終わると
短刀を取り出し
用意してあった小皿の上で
自分の指に傷をつけ
たらりと一滴血を落とす

ポケットから何かを取り出すと
その血に浸し
俺を見て

「口を開けろ」

ひとこと言うと
顎を抑え
口の中にそれを押し込んだ

「うっ」

思わず声がでる

「じっとしていろ」

「一日何も食うな」
「元に戻るまで」

そう言うと短刀をしまい
小皿と湯飲みを持ち
部屋を出ていった

口に入れたものは
「歯」
だった

さっき俺を抱えたまま拾った
俺の折れた歯

恐る恐る舌で触れてみる
接着剤を付けたかのように
歯は元に戻っている

「一日そのまま」

あの老人の血を付けただけで
折れた歯がくっつく

訳が分からない

そう思いながら
さっきの薬湯が効いてきたのか
俺は
次第に意識が遠のき
そのまま眠ってしまった

__________________

誰かの話す声で目が覚めた

まだ夜中である

暗闇の中
襖の向こう
奥の部屋だろうか

微かに聞こえている

しっとりと落ち着いた声

「……私は見られても構わぬ」

「そなたが危ない御仁(ごじん)では無いと申したではないか」

それに対してあの老人であろう
ボソボソと何か返事をしている

「ならば今夜は戻ります」
「また明日の朝、参るゆえ」

「……………」

「ではそなたが来て下されば…」

「…」
「それも出来ぬのか…」

「………」

「ならば…、
……もうよい」

襖の開く音

廊下をこちらへ向かう静かな足音がする
それに加え
サラサラと衣擦れの様な音が近付き
襖の向こうを通る気配がする

そして
花の様な、香の様な甘い香りが漂ってくる

女…か

しかし声は男のものだった

「貴方は…誰ですか」

俺は自分でも驚く程突然に
足音の主に声を掛けた

ピタリと足が止まる

息を詰める様子
少し間を置き
ため息と共に話し出した

「起こしてしまいましたか」

「すみませぬ」

「怪我の具合は如何です」
「痛みは引きましたか?」

思いがけず
優しい声と言葉に
胸を突かれ
返事が出来ないでいると

「何をしているのです」

突然
低く厳しい声がした

老人だ

「私がこの者を起こしてしまったのだ、
それで詫びを…」

「無用です」

ピシャリとそう言うと
襖の向こう
老人は綺麗な声の主を連れ、奥の部屋へ行ってしまった

後は物音さえもしない

俺は、
綺麗な声の主が
声を掛けてくれたことが嬉しくて
何故か胸が騒いだ

それにしても
あの老人
何故、あの人と俺との接触を
阻むのだろうか

_________________

ここへ来て三日目
昨日の昼から食事を取らせてもらった
食事と言っても実に質素な物だ
粥、梅干し、揚げの味噌汁のみ

三食それだけ

十代の俺には耐えられない

昨日から俺の腹はずっと鳴っている

老人は
今朝は何処かへ出掛け
まだ帰って来ない

俺は窓から外をぼんやり眺めていた

コトッ

不意に音がした

振り向くと
僅かばかり開いた襖から
白い手が覗き
その手が畳に小皿を置いたところだった

小皿には見知らぬ果実の様なものが
二つ載せてある

甘いあの香りがする

あの人だ

俺は這うように
そこへ進むと
その手を掴み
襖を開いた

目の前には
見たこともない様な
美しい人が座っている

目を見張り
驚いた表情を浮かべ
掴まった右手を振り解こうと
手を引いている

俺は
あまりの美しさに
呆然とした

声を出すのも忘れて
ただ無言でその人を見つめていた

その人は恥ずかしそうに
顔を赤らめ

「そなた」
「手を離してはくれまいか」

困った様にそう言うと
横を向いた

サラリと長い髪が肩から落ち
甘い匂いが
一層強く放たれる

俺はそのまま
倒れ込みそうになった

「何処へも行きませんか」
「此処に居てくれますか」

そう念押しして
掴んだ手に力を入れる

「そなたがそれを食す迄なら…構わぬが」

優しい声で
そう言うと
穏やかに微笑んだ

俺は
足の先から頭のてっぺん迄
電気が走る様な感覚を覚えた

顔が赤くなるのが分かる

「さぁ」
そう言って
手を離す様に促され

俺が
慌てて手を離すと
貴方はほっとしたように右手をさすり

「お腹が空いているのであろう」
「これは雄(おす)の白が、山から取って来たものです」と言った

「おすのしろ?」
俺が尋ねると

「そう、私共の屋敷にいる…」
「あの、私共の、世話をしてくれる者…」
「…使用人というものであろうか?」

えっ、疑問形?
俺に聞いてる?

「あの、おすのしろさんが取ってきてくれた、コレは…何ですか?」

俺は初めて見る芋のような形をした
紫色の物体を突つきながら尋ねた

「アケビです」

「…あけび」

「とても甘く美味なのです、召し上がってみませぬか」

「きっと気に入ると思うのだが…」
独り言の様に呟いている

形よく正座をし
腰まで有る薄茶色の髪を
肩に垂らした貴方が
心配そうに顔を傾(かし)げて
俺を見ている

不思議な色の着物を着て
細い帯を腰に締める姿は
明らかに男性だ

だが
優しい眉
美しく澄んだ瞳
形の良い鼻
上品な口元

色の白い小さな顔に
綺麗に収まって、
甘い雰囲気と共に
目が離せない

そしてこの匂い…
甘い、花とも香とも違うこの匂い
思わず、抱きしめて、
くちづけたいと…
願ってしまった

目は貴方に釘付けとなり
俺は皿からアケビをひとつ取り
皮のままかぶりついた

それを見た貴方は
「あっ」と言う顔をして

「皮を開いて中身を食すのです」
と笑いながら告げた

俺は
「はい」と素直に応じて
片手であけびを開こうとするが
上手く行かず
皿の上に落としてしまった

貴方は
その様子を見て
そっとアケビを手に取ると
両手でアケビを開き
中の部分を露わにして
俺の口元に近づけた

________________

何度も何度も
俺は
あの人のことを思い返してみる

貴方の
アケビを開き口元に近付けた
その手を掴み
そのまま果実を口にした

甘い__

胸が熱くなり
体の底から
疼く様な何かが湧き上がって来る

俺はあの人に
恋をしたのか…

仰向けに寝転びながら
考えてみる
胸の中に
熱いものが込み上げてくる

まさか
相手は男だぞ__
いくら美しくても…!

そう打ち消してみても
綺麗な顔が目の前にちらつき
品のある仕草、優しい声、
そしてあの甘い匂いを思い出してしまう

玄関の引き戸が開く音がした

老人が戻ったようだ

土間に重い何かを下ろした音がし
誰かのはしゃいだ声がする

「……」
それに答える老人

「殺生はやめたのでは無いのですか」
明るく尋ねる声

「……」
わずかな言葉でそれを返す

「かしこまりました」
元気よく返事をし
ズルズルと何かを引き摺る音が
響いている

廊下をこちらに向かう音がし
襖が開く

畳に置いてある小皿に
アケビの跡を見つけると

老人は眉を顰(ひそ)め

「仕様の無いお方だ」
呟く様にそう言い

俺の方に顔を向ける
そして
「あの方のことは他言するな」
と言った

間を置いて

「話したら…」

そこで黙ってしまった

俺は
「話したら…」
と繰り返し、先を促す

「…命は無いと思え」

静かにそう言うと
くるりと背を向け
ピシャリと襖を閉めて出て行った

老人の目
本気であった
身体から溢れる殺気

「マジか」

思わず呟いた

二人の関係が知りたい
一体、二人は何者なのか?

老人はどう見ても七十代
あの人は二十代くらいに見える

あの人の、老人への甘えた様な物言い

親子?祖父と孫…?違う
使用人と主…?近いか…?
それのどちらもしっくりこずに
俺の思考はそこで途切れた

やはり分からない

昼を過ぎ、
老人が昼餉を持って来た

見るまでもなく
美味そうな匂いがする

いつもは「揚げ」だけの味噌汁なのに
今回は大振りの椀に
なみなみと注がれている豚汁が
添えられていた

キラキラと光る肉の油が
食欲をそそる
今回からは粥では無く
大盛りの飯が丼に盛ってあった

_________________

夕方になり
外で
キーキーと激しく動物の鳴く様な声がした
俺は這うように窓の側に行き
外を見た

白いシャツを着た男が
背中を丸め
手に何かを抱えている

俺は急いで窓を開ける

その音に
くるりと振り向いた男は
両目が赤く光り
口にはじたばたと動く
小動物を咥えている
その口には真っ赤な血

「うわっ!」
思わず声が出た

その声に驚いたのか
男は俺に背を向けると
ぴょんと跳ね
2mは有るかと思われる木の枝に飛び乗り
そこからまた
杜(もり)の木の方へ跳ね飛び消えて行った

「…………」

「何だ、あれ…」

夜になり
老人が夕餉の膳を持って来た
盆の上には肉を焼いた皿
白飯と昼間と同じ汁の椀

美味そうだか
さっき見た光景が頭から離れず、
この肉は
あのネズミの様な生き物のものか…
と心配になった

箸を付けず
じっと肉を睨んでる俺を見て
老人は
「焼いた肉はダメなのか」
と問う

「違います」
「あの、俺は」
「ネズミの肉は食ったことが無くて…」
と答えると

老人は、怪訝そうに俺を見て
「何故これをネズミの肉だと思うのだ」
と問うた

「え、いや、あの、さっき」
俺は、先程見た光景を
老人に説明した

老人は目元を笑わせると
「これは猪の肉だ」
「俺が今朝狩って来た…」

「雄の白を見たのか」

「しょうのない奴だ」
と呟いた

最後の言葉は俺に対してではなく
あの男に対しての言葉だと分かった

『おすのしろ』
あの人もそう言っていたが
あの男のことなのか…

老人は窓際へ行き
カーテンを閉めた

そして
「お前の住む世界では無いのだ」

「ここは」

そう言うと
襖を開け
部屋から出て行った

________________

お前の住む世界では無い__

老人の言った言葉を考えていた
ここは一体何処なのか
老人に抱えられ
ここまで来たが
途中から気を失い
詳しい場所が分からない

俺のいたあの駅周辺や
大叔父の家辺りとは
明らかに違う

鉄道や車の音がしないし
人の気配さえ無い

ただの山奥だと思っていたが、
違うのか

あの男が
「雄の白」…だとすると
何故「雄」なのか?
正確には「男」では無いのか
雄(オス)…獣や虫に使う言葉だ
あの男は獣なのか
だからネズミを取って喰う

獣が人の形をして暮らしている…?

自分で考えた突飛な考えに驚いた

しかし
それを打ち消すことも出来ない

ここは一体何なんだ__

翌朝
今日で4日目
折れた箇所は触れればまだ痛むが
もう明らかに繋がっている
右手は普通に動くし
両足もつかまれば立てる
極ゆっくりならば歩くことさえ出来た

全治数ヶ月
多分病院に行けば
そう言われたであろう

わずか4日間で
この回復

ふと
俺は家に連絡していないことに
気が付いた

人ひとり、
行方不明になっていれば
どれだけ騒ぎになっているだろう

大叔父の家に
連絡さえ出来れば…

そう思った
だが
この家には電話すら無い
どうすれば…

良い考えも浮かばず
窓の近くへ
そろそろと歩いていき
カーテンを開けてみる

窓の外には
白い割烹着を着た小さな老婆が
何かを抱えて歩いていた

俺は急いで窓を開け
大叔父の家に連絡してもらえないかと思い
手を上げた

すると
「私の作るものは気に入ったかね」
歯の欠けた口で笑い
老婆の方が先に話し掛けてきた

手に持っているものは
薪の束
それを掲げる様にして見せ
「今夜は風呂を焚(た)くよ」
「お二人の後にお前さんも入るが良い」

そう言った

お二人…
あの人と老人か

「あの人が来るのか?」
「何時頃だ?」
「今、何処にいる?」
矢継ぎ早に、そう尋ねると

老婆は
「あの人?りき様かね?」

あの人の名前かと思い
「りき様とはあの綺麗な人の事なのか?」
再度尋ねると

「綺麗な…ああ、おやしろさまのことかね」
と呟いた

おやしろさま…

「おやしろさまは、いつ来るんだ」

老婆は、くくっと笑い
「さぁ〜暗くなってからかね」
と答えた

今夜あの人がここに来る!!

そう思うだけで
胸が高鳴った

俺は
大叔父への連絡など
もうどうでも良くなっていた

________________

夕餉の後
俺は落ち着かなかった

窓の外を見
襖を開け
玄関を見る

家の中は静かで
この家の何処かに
老人がいるはずだか
その気配さえ無い

そろそろと
暗い廊下を進み
家の裏手に出る

渡り廊下の先に
小さな建物が有り
小さな煙突からは煙が出ている

ここが風呂場か_

辺りはすっかり暗くなり
虫の声がしている

風呂場の裏手では
パキパキと薪の爆(は)ぜる音がし
釜の火が地面に映り
周りが微かに明るくなっている

「しろ、良い湯加減だ」
「もう下がってよい、御苦労だった」

風呂の中から
穏やかな声がした

あの人だ!

もう来ていたのか!

俺は
渡り廊下の手前から
老婆が去るのを待った

湯を浴びる音がする

湯殿である建物には
小窓がついており
僅かに開いた隙間から
温かな湯気がもくもくと流れ出てくる

建物の裏から
老婆は手ぬぐいを頭から
外しながら出て来ると
スタスタと暗闇の杜(もり)の方へ数歩
歩き出し、そのまま消えていった

それは不思議なことなのに
この時の俺は
あの人のことで頭がいっぱいで
気にも留めなかった

渡り廊下を進む

脱衣所には貴方の衣
綺麗に畳んで棚に置いてある

その横には
老人の物と思われる洋服が
畳んで置いてあった

えっ??

俺は激しく動揺した
二人、一緒に風呂に?!

何故?

落ち着け
落ち着け
と、俺は自分に言い聞かせた

____「抱いてはくれぬのか」

突然あの人の声がした

俺は耳を澄ます

「あの若者がこの後、風呂を使います」
低く老人が答える

「寝所(しんじょ)でも…抱かぬのであろう」
少し拗ねた声で貴方が話す

「あの若者が居る間は…」

「もう私に飽きたのか…?」

「何を馬鹿なことを…!」

「ならば、何故」

「俺が…耐えているのが分かりませんか」

「俺が、どれだけ…」

老人が答える途中から
水の音がし、声が途切れた

「ん、…」

バシャバシャと激しい水音がし
静かになった

貴方の小さな声が
切れ切れに聞こえる

俺は堪(たま)らずに背伸びをし
湯殿の窓の隙間から
中を覗き込んだ

湯気が立ち上り
最初は真っ白に見えた風呂場の中は
次第に二人の姿を形取っていく

湯船の中に座る老人の上
貴方が長い髪を解き
膝を立てるようにして
上からくちづけている

老人は貴方の右手を左手で掴み
右手を貴方の左肩を押す様に置き
拒む様な仕草だ
だが表情は裏腹に
蕩(とろ)けそうに深く舌を絡めている

驚くことに
老人は老人では無くなり
みるみると若く逞しい青年へと変わっていく

貴方は
ゆっくり顔を離すと
その様子を満足そうに見つめている

焦げ茶色の髪を持つ
その青年は
きりりとした眉に
涼しい瞳
鼻筋の通った形の良い鼻
一文字に引き結ばれた口元は
老人のそれとそのままではあったが
今は艶やかな顔と身体が
若武者の様な佇まいであった

俺は
息を詰める様に
その様子を見つめた

二人はじっと見つめ合うと
再び
激しく口づけを交わした

若武者の様な青年は貴方の両脇に手をやると
抱える上げるようにして顔を寄せ首筋に舌を這わせた

「あぁ…」
甘い吐息のような声を吐き
貴方は
青年の首に両手を回す

青年は
左手で貴方を支え
首筋から白い胸に舌を這わせながら
右手で湯の中の貴方の下半身をまさぐり
動かしている

それが何を意味するのか
男の俺には
手に取るように分かった

「ぁ、ぁ、あぁ…!」

抑えても抑えきれず
身震いするかのように喘ぎ
貴方は
激しく背を反らし全身で
青年の手の動きに反応している

青年の首に回していた手を
髪に埋め

「りき…もう…」
「はや、、く」
貴方が切れ切れにそう言うと

青年は湯から貴方を抱え上げ足を開き
自分の上に跨らせ
再び湯に沈めると
自分のものを静かに差し込んでいる

「うっ…ん」
青年の頭を抱きかかえ
ふるふると反応する貴方を
青年は
両腕で抱き締め
貴方の白い胸の
淡い桃色の乳首に
唇を寄せる

泣き出す様な声を上げ
青年にしがみつく貴方

白い背中に絡みつく長い髪が
湯の表面で広がり揺れている

白い頬が紅潮し
目が潤み
身体が震えている

青年の律動に
貴方が
全身で感じているのが分かる

「あ、ぁ、り…き」
青年の背中に手を回し
しがみつき
何度も青年の名を呼んでいる

青年は目を細め
愛おしそうに貴方を見つめると
頬に手を伸ばし
その唇に自分の唇を重ね
抱き締めた

唇を重ねたまま
青年の腕の中で
弾ける様に身体を痙攣させ
貴方が達していく

「うっ…んっ」

ゆっくりと唇を離し
青年の肩に頭を置くと

目を瞑り
「り…き、もっと…」
と甘い声で呟いた

目の前で繰り広げられる
初めて見る不思議で官能的な光景に
俺は瞬きも忘れ
ただただ見入っていた

_________________

翌朝
俺は一睡も出来ず
身体中に残る欲情を持て余していた

あれから
フラフラと部屋へ戻り
眠ろうと横になったが
見てきた場面が
余りにも衝撃的過ぎて
頭も
下半身も冴え渡り
とてもじゃ無いが
そのままでは眠れなかった

厠へ行き
下半身の欲情を処理しようと試みたが、
何故かどうしても勃たず
そのまま部屋に戻ったのだ

朝餉の時間になり、老人がやって来る

襖を開け、入って来た老人を見て
ギョッとした
昨夜見た青年では無く
今迄の老人の姿でも無く
40代位の男が
そこに立っている

「何も言うな」

「昨日、お前が覗いていたのは知っている」

「今日、飯を食ったらお前は帰れ」

そう言うと
朝餉の膳を俺の前に置き
くるりと背を向け
出て行った

__出ていく…ここを

いつまでも居れる訳では無いと
思ってはいたが

5日目の朝の今日

老人とあの人との別れは
突然にやって来た

食後
あのネズミを咥えていた男がやって来て
駅まで送ってくれると言う

俺は
最後にあの二人に
お礼の挨拶がしたいと頼んだ

だが男は
「お二人はもうここには居られません」
と言う

何故だ、と尋ねたら

「立夏だから」と言い
「立冬になれば、また戻られます」
とも言う

何処へ行ったのか、と尋ねても

「星です」と言うばかり

訳が分からなかった

俺は諦めて
駅まで案内して貰った

何故か
駅のロッカーに預けておいた荷物は
そのまま入っており

駅員に聞いた今日の日にちは
俺がこの町から帰ろうとしていた
あの日であった

わずか数時間

たったそれだけしか
経っていなかった

あの家にいた間
俺は
幾度となく起こる
不思議な出来事に慣れすぎて

その事に対しても
「そうか」
と思っただけだった

それより
もうあの人に会えないのが
苦しかった

最後に見た
幸せそうに青年の胸に抱かれる姿

美しくて
愛しくて
切ない

俺の恋は
想いを告げることも無く
呆気なく終わったのだ

_________________

50年近く経った今

昨夜
突然あの老人が夢に現れた

あの時の姿より
ほんの少し年老いた姿

自分はもう死ぬという__

400年も生きたという不思議な老人
天人と交わり永らえたと__

あの美しい人が何処から来て
何故あそこにいたのか

何も説明は無く
ただ夢で映像を見せられた

鬼人に生贄にされる迄の経緯(いきさつ)から
助けられた後の映像を全て夢にして

あの人は

天人だったのだ__
人ではなく

だからあんなに気高く美しかった

矢代、初めてお前に会った時の
あの酷い有様

あの気高い人との
ギャップが激しくて
気付けなかった

あの人がお前だと__

百目鬼
大昔から「矢代」一人を愛してきたんだな
風呂場で見た青年
そうだ、お前だった

お前らの前世(過去)を
俺に
知らせる為に夢に現れた老人

俺にどうしろとも告げず…

だからこそ
知らせねばなるまい
本意では無いが

「天羽!そこに居るか」

「矢代と百目鬼を呼べ!今すぐに…」
「そして……」

あいつらは
それを知ったら
どんな顔をするだろうか

知らせたくない、
そう思う大人気ない嫉妬と

一旦、悲しい別れを
味わうであろう二人への
意地の悪い興味が入り交じっている

忘れていた記憶

不思議な5日間

こんな近くにあの二人がいた事に
気づかない自分へ、腹の立つ思いと
また出会えたことへの
驚きと喜びが入り混じっている

今は俺の方が
ボスだからな__

子供じみた優越感に
我ながら苦笑する

夢に出て来た
曼珠沙華の中のあの人は
とても美しく哀しかった

しばし
思い出の中の貴方に浸ろう

甘い匂い
驚き恥じらう顔
優しく穏やかな声
俺にアケビを開き
食べさせた指

そして
あの夜の
妖しくも美しい裸身の貴方に

あの二人がここへやって来るまで
しばし
48年前のあの日へ
俺は
想いを馳せる__

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?