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【責任】時には他者の選択に救われる

父の在宅看取り介護が、容態急変によて中断され1週間が経過した。
突然のお一人様時間が増えた母の精神状態が心配で、ちょくちょく時間をみつけ話しをするようにしている。
薄々気付いてはいたが、この看取り介護4ケ月で母の心労は極限を迎えていたことを改めて強く感じている。


私達家族の介護への考えは、問題なく一致していた。
しかし、その問題の無さが誰もギブアップを言えない空気を作りだしていたように思う。
父に時間を割くのが当たり前
父の最後を少しでも苦痛の少ないものに
その想いでやってきた。
みんな一緒の気持ちよね!が心強さでもあり、引き返せない呪縛のようにもなっていた。


そんな私達に、訪問医からの突然の入院宣告。
『えーーー!父の苦しい時間が長引くような治療は望んでいません』と抵抗はしてみたが、トントンと入院の運びとなった。
その入院手続き後の帰り道、初めて母のギブアップ宣言を聞いた。
今後の介護への不安と父のいない生活の寂しさ。
一見矛盾する、一緒に過ごしたいのか過ごしたくないのか両極の気持ちを聞き、かなり精神的にまいってることを確信した。


自分で決断した訳ではない
今回はここが、わずかな救いとなっているように思う。
母にとってギブアップは後付けで、医師からの勧めで介護生活が一旦休止となった。そこが大きなポイントになっている。
介護に限らず、人生では様々な岐路に立たされることがある。
自分で意思決定でき、希望通りの道へと進み始めるときもあれば
周囲の状況、流れによって思いもかけない方向へと進むこともある。
今回は後者でそこに救われた。


父と離れ、1週間。
心配ではあるけれど、目の前が狭くなり思考も停止していた状況に違う風が吹いたと捉え、次を見る力に変える時間にしようと思っている。
no+eに綴ることも、その一助となっている。


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