sachi_913

関西在住。49歳。 夫、娘、息子、愛犬(マルチーズ♂)の5人家族。

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関西在住。49歳。 夫、娘、息子、愛犬(マルチーズ♂)の5人家族。

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【救い】書くということ

noteで記事を執筆する人を【クリエイター】という。 始めた頃は、知らなかった・・・ クリエイターとは、日本語にすると創造者・創作家 なるほど…どうりで皆さんの投稿の多くが、どこかしら誰かに向けたメッセージのような記事になっているのだなぁと気が付いた。 背景に『誰かのお役に立てれば幸いです…』的な。 それを少し受け止めてみると、 自分が投稿していることを恥ずかしく感じた。 今、【西 加奈子】さんの『くもをさがす』という小説を読んでいる。 これは著者が癌を宣告されてからのノン

    • 【悲哀】そっと蓋をして抱えながら生きていく。。。

      父が亡くなりもうすぐ1ケ月が経つ。 着々と実家の片付けが進んでいる。 先週末は、父が元気だった頃、日中のほとんどの時間を過ごしていたデスク周りの片付けに取り掛かった。 その片付けの中で、メモ魔だった父らしく10冊ほどの日記がでてきた。 2/3ぐらいは仕事内容が書かれたものだったけれど、残りは徐々に身体の調子が下降していく自身の様子が綴られた日記だった。 医師から伝えられたことが年月日で正確に記されており、日々の感想というより観察日記のような形態だった。 そして最後の1冊は、

      • 今日10月27日は、衆議院選挙と国民審査の日。娘22歳にはバイト終わりに息子19歳には受験勉強のキリの良い所で投票に行かせました。子供の投票行動を促すのも子育ての一環かなぁなんて思います。それにしても、大きくなったなぁ…こんなときにも成長を感じます。。写真は、いつぞやの2人🙂

        • 【輪】私のno+e活用法

          no+eを開始して10ケ月目を迎えました。 10ケ月。。自身が投稿してきた月日であるのと同時に、色んな方の文章に触れてきた。 #備忘録的な体験談やお考えの中にも、目の前にはいない相手へのメッセージのような、もしお役に立てるのであれば…が含まれたものが多いなという印象がある。 共感相手を探す場にもなっているのだろう。 そこで、私の投稿はどうだろうか?と考えてみた。。。 私にとってのno+eの位置づけは トーキングサークル のようなものかもしれないという結論に行き着いた

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        【救い】書くということ

        • 【悲哀】そっと蓋をして抱えながら生きていく。。。

        • 今日10月27日は、衆議院選挙と国民審査の日。娘22歳にはバイト終わりに息子19歳には受験勉強のキリの良い所で投票に行かせました。子供の投票行動を促すのも子育ての一環かなぁなんて思います。それにしても、大きくなったなぁ…こんなときにも成長を感じます。。写真は、いつぞやの2人🙂

        • 【輪】私のno+e活用法

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          【弔い】実家の片付けをするにあたって

          *最期を迎える場所* 病院 73.1% 介護医療院 3.0% 老人ホーム 8.6% 自宅 13.6% 《厚生労働省のデーターより》 少し古いものなので、病院など自宅以外で亡くなる方はもっと増えているかもしれない。 本人や家族の意向を踏まえ様々な事情で最期を迎える場所が決まるのだろう。 我が家は、10日前13.6%の自宅で父を看取った。 最後の1週間は記憶がないほど目まぐるしく状況が変わった。 しかし、父自体は静かにゆっくりと最期の日を迎えた。 娘や息子には酷なほど父の死

          【弔い】実家の片付けをするにあたって

          【花】サイコパスな兄からの学び

          父の看取り介護によって家族の距離が縮まった・・・ なんて酷なことなんだろう。 ❞連絡がないのは元気な証拠❞ これを地で行く家族だった。 特に兄とは別々に暮らすようになり30年程が経つ。 正月など要所要所大事な場面では必ず連絡を取り合う仲ではあったけれど、その他は上記の連絡がないのは・・・の仲だった。 両親との関係も然り。この年代特有の『嫁ぎ先を大事にしなさい!!』という教えのもと25年程付かず離れずの関係を築いてきた。 そんな関係が父の介護開始と共にぐーーーんと縮まった。

          【花】サイコパスな兄からの学び

          子供を産んでからは、父のことを『じーじ』と呼ぶようになった。22年間自然とそう呼んでいた。でも…この闘病中は、『お父さん』とまた父の娘として接することができた。ありがとう。写真は2年前の私の誕生日に『ハッピーバースデー』と共にLINEに届いた写真。父の目に映っていた光景が尊い。

          子供を産んでからは、父のことを『じーじ』と呼ぶようになった。22年間自然とそう呼んでいた。でも…この闘病中は、『お父さん』とまた父の娘として接することができた。ありがとう。写真は2年前の私の誕生日に『ハッピーバースデー』と共にLINEに届いた写真。父の目に映っていた光景が尊い。

          【繋ぐ】そして、バトンは渡された

          介護生活を始めるにあたって意識していたことがある。 それは、❝なるべく普段通りの生活をする❞ ということだ。 時間は有限である。普段通り・今まで通りを維持しようと思うと家族を巻き込むことになる。到底一人で解決できることではない。 私は、それをあえてすることにした。 命の誕生が歓迎されるように、終わりもまた自分たちの日常にあることを娘と息子に伝えったかったからだ。 自宅介護を賞賛しているわけではない。 綺麗ごとばかりではなく大変なことだらけだ。自由な時間も大幅に減る。 けれど

          【繋ぐ】そして、バトンは渡された

          【灯火】毎日が尊い…

          この7ケ月ほどは、医療の世界の中で悩み奔走した。 父は、20年近く前から難治性の病気を患っていたこともあり、常々『延命治療は拒否する』と事あるごとに私達家族に伝えていた。 それは、5月半ばの介護生活に入る頃のまだしっかりと意思の疎通が可能だった時点でも主治医からの確認に迷わず『はい』と応えていた。 しかし・・・いざ始まってみると❝延命治療の定義❞の難しさを痛感する出来事が多々あった。 終末期になると心臓マッサージ、人口呼吸器だけが延命では無く一つ一つの処置が延命に繋がり必要

          【灯火】毎日が尊い…

          【やっぱり】愛だろ。愛。。

          前回、時給がうんたら…負荷がなんたら…と書いたけれど・・・ とうとう父の介護も終末期を迎え母の精神的負担を少しでも軽減させたく先週末退職をした。 今年の5月半ば要介護1からスタートした自宅介護生活。5ヶ月弱の今現在、要介護5の全介助が必要な状況となった。 ヘルパーさん、訪問介護の方々が毎日父のお世話に来てくださる。 意思の疎通も難しくなりずーっと眠ったような状態ではあるが、人間らしい生活は保たれているように思う。 朝の8時半になるとヘルパーさんが着替え、髭剃りなどをしてく

          【やっぱり】愛だろ。愛。。

          【雇用】パートはどこでもこんなもの??

          3ケ月前の私はなんて初々しく善良なスタッフだったのだろう・・・ 遡ること4ケ月・・・ 前職のクリニックで4年間学んだ医療事務の知識を引っ提げ、転職活動中に通ったパソコン教室のノウハウを頭に詰め込み。。。 『いざ出陣!!』 の意気込みで新しい職場の仕事をスタートさせた。 オープニングスタッフとして採用された面々は、私以外は医療事務未経験のスタッフだった。 それぞれ前職が飲食店だったり、スポーツインストラクターだったりと変わり種の集まり。 違った職場の人たちからの新鮮な空

          【雇用】パートはどこでもこんなもの??

          【落とし穴】ゼロヒャク思考からの脱却

          先日、地方をどのように活性化させるか?というテーマのYouTube番組を拝見した。 都会に良い人材が集中しているのを、地方に流動させる取り組みをされている方をゲストに議論されているものだった。 都会、優秀な人材、地方・・・ 全てのワードが私とはかけ離れたものであったが、興味深い面々が出演していたこともあり見ることにした。 しかしそこで思いもよらないヒントがあった。 今、実父を実家で介護している。 私の自宅は、実家から車で30分弱の所。 職場は、自宅と実家の間あたり。 ここ

          【落とし穴】ゼロヒャク思考からの脱却

          【責任】時には他者の選択に救われる

          父の在宅看取り介護が、容態急変によて中断され1週間が経過した。 突然のお一人様時間が増えた母の精神状態が心配で、ちょくちょく時間をみつけ話しをするようにしている。 薄々気付いてはいたが、この看取り介護4ケ月で母の心労は極限を迎えていたことを改めて強く感じている。 私達家族の介護への考えは、問題なく一致していた。 しかし、その問題の無さが誰もギブアップを言えない空気を作りだしていたように思う。 父に時間を割くのが当たり前 父の最後を少しでも苦痛の少ないものに その想いでやって

          【責任】時には他者の選択に救われる

          【急募】医師にこそ敏腕マネージャーを!!

          転職してから4ケ月が経過した。 この間コツコツと目の前の仕事に精を出してきた。 しかし、コツコツと共にじわじわと積み重なっていく体力的・精神的負荷に50歳目前の自分がどこまでやっていけのるか少々不安と疑問を感じてきた。 医療事務のお仕事に就き5年目。 4ケ月前に別の病院に転職した。 以前の仕事場で学んだことに+αの学びができればと思い、年齢的にもうひと踏ん張りできる今転職に踏み切った。 しかし待っていたのは、新たな学びだけではなく、膨大な時間外労働だった。 (とは言えパート

          【急募】医師にこそ敏腕マネージャーを!!

          【未知との遭遇】介護➕看病➕子育て=???

          9歳年上の夫。 この9月で結婚して丸24年が経った。 結婚と同時に会社員を辞め、独立。がむしゃらに働きまくっていた。 働きまくって、働きまくって、働きまくった末・・・ この夏の健康診断で【心筋梗塞疑い】 至急精密検査を受けるよう連絡がきた。 どんな時も割と楽天的な夫ではあるが、流石に『ヤバい!』と理解し、近くの総合病院に駆け込んだ。 『このままじゃ長く生きれないよ…』 心筋梗塞疑いから心筋梗塞確定診断をうけた。 春からの父の介護。。看取りカウントダウンの私は・・・ 意外と

          【未知との遭遇】介護➕看病➕子育て=???

          【権利】同意のない治療

          普段、医療を提供する側にいる。 しかし、今年の春、父の体調が悪化したのを機に医療を受ける側、患者の家族としてたくさんの医療従事者の方たちのお世話になってきた。 そこには、こんなネットワークで助けていただけるんだ!! と赤の他人の私達家族に全力でサーポートしてくださる方もいれば 心無い言葉に傷ついたこともあった。 父は18年ほど難治性の持病を持って生活をしていた。 といっても、【闘病生活】という言葉とはかけ離れた通常の生活が送れる程度の病気だった。 家族ですら、忘れて生活をし

          【権利】同意のない治療