プレゼントは投資ではなく、むしろ投げ銭だと考えよう
昨日の記事に追記。
新宿タワーマンションでのストーカー殺人事件の報道を見て思う。
まぁ気持ちは多少分かるけど罪を犯すことの代償の方が大きいから一瞬だけスカッとしても一生後悔するだろうな、と。
多分に漏れず僕自身も過去に痛い目を見てきた。
いや君の人間性に問題があるやろ、とツッコまれるかもしれないが、何度か人に裏切られ嫌な思いもしてきた。
自分が尽くしていると考えているにも関わらず、相手から反応がない場合や自分が期待しなかった真逆のリアクションをされると、
僕はこんなに誠実なのに。
何で君はそうなんだ!
と更に言動をエスカレートしてストーカーのような行動に走る。
身勝手な一人相撲は、自分が行司か観客のように客観的な立場なら滑稽に見えるが、当の本人は真剣そのもの。
さぁ、一体どこで道を間違えたのだろうか。
某トレンディドラマのように
「ちょ、待てよ」
と強引に恋人を引き留められるのは茶髪で検事をやったり、パイロットになったり、美容師をしたりするドラマに出る俳優のようなルックスでなければ難しい(笑)
恐らく僕が
「ちょ、ちょ、待てよ!!」
と引き留めようものなら間違いなく通報されるだろう(泣)
そんなわけで、女性から冷たい反応をされたらそれ以上頑張らないほうがいい。つまり執着しないほうがよい、というのが僕の持論だ。
憂さを晴らしたければ別のことにお金と時間を使ったほうが精神衛生上、望ましい。
お金で解決できる程度の問題ならば、さほど難しい問題じゃないだろう。
世の中にはお金では到底解決できない問題がある。
冒頭の事件のように人の生命はお金では買えない。
生命を奪われた被害者はもう戻ってこないので、加害者は一生かけてその罪を償わなければならいのだから代償は計り知れない。
この文章を読んで夢もロマンもないと思う方もいるかもしれない。
あえて言おう。
現実は他人に期待するほど都合よくできていない。
冷たい言い方かもしれないが、自分を思い煩わすような他人に期待するくらいなら自分の心が落ち着くことに時間もお金も費やしたほうがよい。
何事に対しても僕の想いや願いも届かない可能性があることを念頭に置き、ことに当たる。他人が自分の期待通りのリアクションをするなんて考えないほうがいい。
基本的にネガティブな人間だから、noteでは前向きなことを書いて自分自身を励ましているが本心では、まぁ気休めくらいになればいいよね、と諦念に似た思いがある。
逆説的かもしれないが、上手くいかないこと、自分の期待通りにならないことが現実には多いので努力は必要だと考える。自分の精一杯でぶつかってダメなら諦めがつくし、執着することもないだろう、多分。
他人に期待するということは自分に期待しないことになるから好きじゃない。自分に自信がないから希望的観測に浸りたくなるのだけれど、それだったら最悪のパターンを想定しそのリスクを低減するために自分に必要なものを習得するほうが時間はかかるかもしれないが、望ましいと僕は考える。
こんなひねくれた僕だけど、ごく稀に思いがけず他者に優しくされると有り難い気持ちになる。
そしてまた誰かを好きになる。
今日も皆様にとって、良い一日になりますように。
幸せになりたい気持ちがあるなら
明日を見つけることは とても簡単