「恵まれてる」と「幸せ」は別物だということ
昔から「あんたは日本に生まれて戦争もなくて恵まれてるんだからそんなことで泣くな、十分幸せでしょ?」と言われるたびに、「なんで自分が知らない国の人に思いを馳せて、他と比較して幸せだと思わなくちゃいけないんだ」と思って育ってきた。
恵まれているからこそ不幸せなこともある。恵まれているからこそ気付けない事も沢山ある。「死」という存在が遠い日本に住む自分にとって、自分が死ぬ事が怖いからかもしれないが、毎日必死に生きることだけを見つめて生きる人々を羨ましいとさえ感じる事がある。自分だって毎日必死に生きてみたい。それ以上は見なくて良い、そんな暮らしをして死んでいけたらどれだけ幸せなんだろう……とさえ思うのに。これはきっと無いものねだりなんだろうけどーーー
しかし、よくよく考えてみたら、そもそも「恵まれてる」=「幸せ」では無い。というか、他と比較して感じる幸せはあっても優越感なんかで、少なくとも純粋な幸せには直結しない。むしろ他と比較して幸せを感じる時点で比較してる対象に失礼だ。
ただ、違うものを同じ土俵で語ろうとするから間違いを生んだだけ。それだけの話で。
そんな当たり前の事に気づいていない人が多いのではないだろうか。少なくとも私が毎回感じる違和感の原因はこれだった。「自分は恵まれてるんだから弱音なんて吐いてはいけない」と思っていないだろうか。
無理せず自分のペースで構わない。そもそも幸せなんて人と同じはずがない。自分なりの幸せを見つけられればそれでいい………じゃあ自分の幸せってなんだろう?
私の今日の記事がそう考えるきっかけになってもらえたら嬉しいものである。