#04 新入社員〜3年目までのオレ

まず初めに

これだけは説明しておきたいこと。
今回以降、就職〜新入社員〜派遣〜中堅社員を経てうつ病・双極性障害を患い、会社を退職する経緯を書いていくのですが、自分としては在籍させてくれた会社にも、派遣先の会社にも大変感謝しております。

一部、仕事のつながりで知り合った方と未だにお付き合いもありますし、今回のうつ抜けの時にFacebookにその旨投稿した時にも応援のメッセージをいただいたりしました。

もちろん一般的な会社のルールや仕事のやり方(全て働き方改革前の経験ですが)に思うところはあったりしますが、お世話になった会社とそれを構成する人達を批判する気は全くありません。
その点ご理解頂いた上で続きを読んでいただけたらありがたいです。

それでは本題に入ります。

就職活動

就職氷河期と呼ばれる世代のオレですが、国家資格である第2種情報処理技術者の資格を持ってたからか、運が良かったからか、入社は意外とあっさり決まります。記憶を頼りにするとたぶん3社目の試験で合格しました。

合格をくれた会社は兵庫県に本社がある海洋系電子機器メーカー(これだけで分かる人にはどの会社かわかると思う)の子会社のソフトウェア開発企業。

正直、働くのは嫌だったけど、海洋機器に興味があったのと、専門学校卒の割には初任給が高かったのと、フレックスタイム制だったこと(朝苦手)と、試験の時に美味しい弁当を出してくれたので入社を決めました。

入社〜3年目のこと

入社したはいいものの…

2002年4月晴れて入社。海洋系電子機器でがんばるぞ!と思った気持ちを砕くように、その分野とは全く違うジャンルを扱う開発2課に配属されます。今で言う配属ガチャにハズレたってやつです。

開発1課では親会社の製品(主に海洋系電子機器)のソフトウェア開発をし、2課では某超大手企業から親会社に来た仕事の孫請けをしていました。
オレの担当した機種は陸の高速道路の料金システムの一部分。
ペーパードライバーであるオレの興味のある分野ではまったくありませんでした。

いまひとつ何してる機械かも分からないまま、言われたことをひたすらこなす毎日。この頃の主な業務は、仕様書の更新・プログラムの仕様変更・各種テスト・出荷準備・現地不具合の原因調査と言ったところだったと思います。

それに加えて、遊び呆けていた学生には厳しい社会人生活。新人の技術力なんて大したことないですし、せめてムードメーカー的な役割として存在意義を出していこうと思い立ち、学生時代はどちらかと言うと仲間内以外に対して内向的な性格でしたが、社内の部活動や行事ごとにも積極的に参加し、外交的になろうと頑張ってた気がします。

料金所閉鎖事件

入社1年目でその年の仕様変更の現地展開が終わってホッと一息ついているころ、発注元からとある料金所が閉鎖したとの連絡が。原因はどうもオレの担当する機種との事。調査していくとオレの書いたコードのバクが原因でした。
夜を徹しての復旧作業に向かう先輩たちをボーッと眺めるしかできない自分。
後に上司に聞いた話によると「こいつ死ぬんちゃうか?」って顔してたらしいです。
そんな奴現地に行かせられないってことで、自分は一人帰宅を命ぜられました。

このバグででた会社の損害は1400万だったと記憶しています。それを知って1週間くらい死んだ顔してたオレに当時の課長がかけてくれた言葉
「この仕事してたら誰しも大きな失敗を何回か経験する。ヤマシタくんは若い時に経験できてラッキーやん。その経験を活かして次やらんようにしたらええねん。歳とってからの失敗は言い訳もしにくくなるからなww」

この言葉にどれだけ救われたことか。
この人が居てくれなかったら会社員9年も続かなかったと思うし、とても尊敬してるし、たくさん考え方真似したし、酒の飲み方も教わった大好きな大先輩です。
この方とは会社を辞めたいまでも(主にお酒の席で)お付き合いいただいてます。

2年目、3年目

そんなこともあって、心機一転仕事に打ち込もうと頑張ったオレは、仕事術みたいなことに凝りだします。報連相、スケジュール管理、ToDo管理、ライフログ。休みの日には文房具コーナーで手帳をアップグレードしたり、そういったWebサービスをためしてみたりしながら自分に合った方法を構築していきました。

また、インターンシップ生や、受注元の大企業の新入社員が現場研修としてウチの会社にくることがあって、その指導員をしたのもこの頃です。
学生さんには社内で使うことを想定したツールをつくる課題を用意してつくってもらう。
大企業の新入社員には実務のコーティングやテストの作業をやってもらう。
これが楽しかった。
後にやろうとする社員教育に興味をもったのもこの頃です。

円形脱毛症

記録によると3年目に円形脱毛症になって通院(たしか皮膚科)しています。
円形脱毛症になった記憶はありますが、そんなに深刻には考えてなかったような…
ただ今思えばこの頃から少しずつ精神的な負荷がかかっていたのかな?とは思います。

今回の締め

ってことで、手痛い社会人の洗礼をうけつつも、何とか業務にも慣れ、やりたいことも何となく掴めてきたかな?ってところで、受注元である大企業に派遣にいくことになります。
この先の話は次回となります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました!!

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