Mustマインドとは ⑶Mustマインドとやらされ感
目次
Mustマインドからの脱脚-前書き
前回記事
Mustマインドとは
⑵Mustマインドの悪影響
前回は自ら設置したハードルでMustマインドによって自己肯定感が下がっていくことについて書いた。
「自分で設置したハードルなら、自分で取っ払えばいい」という反論があると思う。
今回はそこの難しさについて述べていきたい。
ハードルを設置するのは誰か
まず、Mustマインドの状態だと自らハードルを設置しまくってしまう、というのが前回までの話だった。
ただ、自分の目の前のハードルが100%自分で設置したものだ、なんて人は果たしているだろうか。
この辺は肌感覚になるが、いわゆる一般的な会社に勤務している人であれば、少なく見積もっても70%は何かしら人から設置されたハードルになるのではないか。
(起業筋肉ムキムキ、みたいな人は除くとして。。。)
ハードルというと「目標値」っぽくなるが、前々回の記事でも書いたように、現代社会はますます人から与えられる「Must」が増えている
Mustマインドとは ⑴現代社会とMustマインド
自分で設置したハードルは自分で勝手に下げるなり、取っ払うなりすればよいが、人から設置されたハードルはそうはいかないし、ハードルを取っ払うことができない以上、ハードルを越えていかなければ先へは進めない。
いずれにせよ、越えなければならないのである。
Mustマインドとやる気の関係
Mustマインドは行動の動機を外に置く思考であり、「外からの動機づけ」によって「やらされる」ということ、と定義した。
そのため、いわゆる「やらされ感」が発生する。
上司からの指示で行う仕事ならまだしも、「自分で設定した課題」に対しても、Msutマインドの状態だと「やらされ感」が出てしまう。
要するに「当事者意識」が欠ける。
「やらなきゃいけないからやる」というのと「自分がやりたいからやる」というのでは、気合の入り方が大きく変わってくるのは、あえて説明するまでもないだろう。
気合の足りないジャンプはいつか足が引っかかるし、引っかかって転んだときの痛みも耐え難い。
そのため、自分で設置したハードルのみならず、人から設置されたハードルさえも「超えたい!」と思うように仕向け、果敢に挑戦してゆねばならないのである。
リクルートは「圧倒的当事者意識」というのを、入社当時から徹底的に身につけさせられる話で有名である。
圧倒的当事者意識など「6つのスキル・4つのスタンス」について元リクルート社員が徹底解説!
https://jobotaku.com/four-stances-that-recruit-employees-have/
つまり、人から設置されたハードルを自らの意思で、自らのハードルに変えた上で乗り越えて行け、ということだろう。
そういった意味で、リクルートという会社が就活生にも人気があり、業績も良くて、創業者がどんどん生まれていることもうなづける。
ただ、リクルート程ではなくても、「そういう指導はされてきている」「自分で意識するようにしている」という人も多いだろう。
自分もそのつもりである。
それでもなお、当事者意識を見いだせず、やる気が出てこないのはなぜだろうか。
環境側の要因として、一つあげることができるとすれば、それは「現代社会の仕事があまりに分業が進んだこと」があげられるのではないだろうか。
分業化と当事者意識
例えば、上司からの指示で仕事をするとき
「なぜそれをしなければいけないのか」
を理解できていない人はその時点でアウトだ。
やる気など出ようもない。
しかし、余程のことがなければ、それくらいはちゃんと理解するか、ちゃんと説明してもらえるだろう。
(あるいは、やる気に困ってない人はそれでもよいし、すべての仕事にやる気が必要だとも言わない)
では、
「なぜその仕事が自分に降ってきたのか」
「なぜタイミングが今なのか」
「そもそもその仕事が発生した背景は何か」
ここまで理解して動く、となると少しハードルが高くなってくる。
そして、さらに
「その上司が指示を出している背景は・・・」
と深堀していけば行くほど、できていない人は多いだろう。
最終的には経営課題にまで遡ることになるため、
「そんなこと意識しているのは経営層くらいだよ」
という話になる。
ここで言いたいのは、「いやいや自分が経営しているくらいの気持ちで仕事をしなければいけない!」ということではない。
例えば新入社員がコピーを頼まれたとして、「それって経営課題のどこにつながるんですか!?」なんていちいち言おうものなら「面倒くさい子」というレッテルを貼られて近い将来、そういう人を集めた部門に飛ばされてしまうことだろう。
気の持ちように関する話はまた別の機会に譲るとして、ここで言いたいことは
「仕事が分業されすぎて、その本質的な意味が極めて捉えにくい」
ということである。
なんのためにやっているかわからない仕事に「当事者意識」を感じるのは大変に難しい。
例えば、毎日部品の発注をする仕事をしているとして、
「納期を1日早めて欲しい」
と設計部門から言われたとする。
本来であれば発生しない業務なので、こちらとしてもできればやりたくない仕事である。
この時、システム化が進んだ現在では、依頼メールやシステム上の依頼だけで済まされたりして、なんでそれが必要なのか、本当のところはまったくわからないことも多い。
例えば、それが
「設計者の確認ミスで1日遅れてしまった」
ということならあまり対応したくないし
「依頼するにしても誠意がないのではないか」
ということで、せめて直接お願いにきてもらいたいものである。
逆に、
「先日の台風による災害で、多くのお客さんが困っており、うちが対応することで少しでも災害からの復旧に貢献したい」
ということであれば、1日どころか3日でも4日でも早められるよう対応したくなるかもしれない。
いずれにしても、そういった問題の背景から切り離され、仕事の中のさらに一部の仕事だけをやっていると、自分が何のために何をしているか、まったくわからなくなってしまう。
これは、ビジネスの規模がどんどん大きくなって、効率化を追求していった弊害である。
そのため、ジョブローテーションや多能工化を推進して、前後左右の工程への理解を深めることで、
「自分の仕事の意味を見出す」
ことを促す活動が多くの企業で行われているが、「多能工表」と呼ばれる星取表がいつの間にか更新されなくなることも多い。
少し話はそれるが、例えば、何かしらトラブルが発生して、それに対応しているときの方がかえってみんな生き生きしている、という経験をしたことがある人は少なくないのではないだろうか?
それは、過去に書いた「非日常のわくわく感」というのもあると思うが、「自分が対応することでトラブルに対処できる!」という明確な目的があることによって当事者意識を持つことができていることによるところも大きいだろう。
非日常の楽しさ
https://note.com/bppmnm172/n/n38b5ccd3b027
それをきっかけに仕事の楽しさに目覚め、「みんな自分からどんどん進んで仕事をするようになった」となれば大変めでたい話なのだが、現実には2~3週間してまたいつもの職場に戻っていき、あまり学習せもしないで1年後くらいに同じトラブルが起きる、というところだろうか。
いずれにせよ、上記のように分業化が進んだことによって、当事者意識を極めて感じにくい環境になっていると考えることができる。
リクルートのように上位数%の優秀な人材が上位数%の優秀な人材に囲まれて、上位数%の規模の大きさの仕事をしているのならまだしも、さて我々はそうではない環境の中でどう当事者意識をもっていくのか、というのは、脱・Msutマインドの話としてまた追々整理していきたい。
以上より、Mustマインドと現代の分業化によって、仕事へのやる気が失われていくことは理解できた。
しかし、問題は仕事のやる気だけでない。
昨今の日本でもやたらと多くなった(ような気がする)「問題行動」とでもいうべき、モラルハザードが起きているのも、Mustマインドが深く関係していると考えられる。
次回は、そのことについて書いていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?