Mustに反発する「若者」の背景 ⑴Wantの多様性
目次
Mustマインドからの脱脚-前書き
前回記事
Shallマインドの存在
⑵言語と歴史的な背景から考える
前回は、日本人の言語や文化的な背景から、いかにMustマインドになりやすいかを述べた。
しかし、「最近の若者は果たして本当にそうか?」と目線で見た場合(「若者」という言葉の是非は一旦置いておいて・・・)、必ずしもMustに偏重しているわけではないようにも思える。
Mustマインドが醸成されてしまう背景の一つとして、WantとMustが一致しなくなってきていることについては、すでに述べた通りだ。
2.Mustマインドとは
⑴現代社会とMustマインド
それが「この先、どうなっていくのか」という視点で、Wantの変化とMustの変化をとらえた上で、「若者」の変化の背景と要因を考えていきたい。
マズローの欲求5段階説
Wantの変化について、今回は「マズローの欲求5段階説」に基づいて考えていきたい。
マズローの欲求5段階説
https://www.motivation-up.com/motivation/maslow.html
まず、戦後については「誰もに共通の明らかな問題(生き抜く、など)」があり、それを解決することこそが最大の関心ごとであった。
つまり、マズローの欲求5段階説で言うところの、一番最下層である「生理的欲求」や「安全欲求」を満たすことがまず最優先だったと言えよう。
次に、バブルの頃は、自分の家族をもって、「会社」という社会にも属し(社会的欲求)、共通の価値観の中で「承認」を得る(尊厳欲求)、という2~3番目の間くらいの欲求を満たしていたと言える。
当時は今のようにネットもないため、「社会」=物理的な距離に限定された範囲内のコミュニティであったと言える。
情報も少なく、新聞・テレビ・映画といった、ある程度画一化されたメディアに依存するため、どのコミュニティに行ってもおおむね近しい価値観が形成されやすい。
しかし、現代においてはこの欲求がすでに「自己実現」のレベルにまで高まっていると言えるだろう。
「若者の就職感」からWantを考える
公益財団法人日本生産性本部「新社員『働くことの意識』調査報告書」
https://www.jpc-net.jp/research/list/pdf/new_recruit_ishiki_25.pdf
上記は新入社員に対して、就職の際の会社を選んだ動機を調査したものである。
この調査自体が「WantかMustか」という軸で項目設定されているわけではないが、以下のように置き換えることもできるだろうか。
技術が覚えられる = 生理的欲求・安全欲求
会社の将来性 = 安全的欲求・社会的欲求
能力・個性が生かせる = 尊厳的欲求・自己実現欲求
仕事が面白い = 自己実現欲求
1940年代と直近の数字を比べたとき、「技術が覚えられる」は年代によって上下はあるものの、結果的に同水準くらいに落ち着いている。
一方、「会社の将来性」はトップの比率であったものは、今となっては最下位となっており、反面、残りの2つが急伸している。
中でも、「仕事が面白い」と「会社の将来性」の比率がほぼ逆転している点んが興味深い。
「会社なんていつ潰れてもおかしくないんだし、どうせだったら楽しみたい」というのがこの調査結果から考えられる「最近の若者」の本音だろうか。
また、これは以前の記事でも書いたが、今の若い人達はすっかり「承認欲求」の虜である。
「ラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ。」社会でどう生きるか
https://note.com/bppmnm172/n/ncb6016ed65cf
若者にとって、生理的欲求や安全欲求はもはや当たり前であり、いかに社会に承認され、自己を実現していくかが最大の関心事項になっている。
そして、この欲求の階層は、上に行くほど多様化すると言える。
生理的欲求・安全欲求は概ね誰にでも共通化したものと言えるが、
・承認は誰に、何を承認されることが欲求を満たすのか
・自己の実現とは、何を達成することなのか
それはその人の志向に大きく左右される
そして、ネットの発達によるメディアの細分化と情報アクセスルートの増加により、各層の「欲求」自体がそもそも多様化している。
社会的欲求や承認欲求については、ネット・SNSの発達や最近ではオンラインサロンの登場など、物理的制限のないコミュニティ形成が可能となり、テクノロジーの発達によって、簡単に承認状況が可視化されるようになった。
それに伴い、これまでは「会社」「家族」「地元」・・といったハード面に制限されたコミュニティが、「趣味」「思考」など、ソフト面のみを軸にしてグローバルにつながることが可能になり、「社会」とそこから得られる「承認」の多様性という意味では、ネットがなかった時代の比にならない。
また、このように社会が多様化していき、テクノロジーの発展によって仕事や成功モデルも多様化している。
もはや、「大企業に入り、長く勤めあげ、できるだけ昇進・昇給し、マイホームで家族と過ごす」というのを「成功モデル」と考える人は少数派と言える可能性さえある。
社会と承認の多様化を土台に、「自己実現」は思っている以上に多様化していると言えるだろう。
つまり
・物理的制約に制限されず、あらゆる「社会」に帰属でき
・いつでも、どこも、誰からでも「承認」を得られる手段があり
・あらゆる手段で「自己実現」の達成を試みることができる
ようになった、ということが言えるだろう。
そんな中で、使い古された「Must」を当てはめても、もはや何の意味もない。
「子供のなりたい職業」からWantを考える
「なぜ学校にいかなければならないのか」と疑問を持ち、行動に移した「ゆたぼん」という小学生がいる。
ゆたぼん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%9F%E3%81%BC%E3%82%93
彼の行動の是非はここでは言及しないが、少なくとも「なぜ学校にいかなければならないか」という問いに対し、おそらく最も正解に近い(と認識されているであろう)答えは「『親が子供に教育を受けさせる義務』が、日本にはあるからで、その要件として「学校に行き、授業に出席する」というものがあるから」だろう。
ただ、もう少し深く考えて、「ではなぜ親にその義務があるのか?」と考えた場合、答えに窮するかもしれない。
ひと昔前であれば、「学校に行き、一般水準の教育を受けなければ、まともな仕事に就けない」という答えが正解だったと思う。
しかし、令和となった今の時代、本当にそうだろうか?
ソニー生命保険株式会社「中高生が思い描く将来についての意識調査2019」
https://www.sonylife.co.jp/company/news/2019/nr_190806.html
上記は中学生のなりたい職業のランキングである。
なぜ小学生ではなく中学生かというと、小学生ではそもそもどんな職業があるかの認知が低く、また「親の意向」が反映されている結果であることに疑いの余地があるからであり、一方中学生であれば社会に職業の認知はある程度ありながらも、「実現性」をあまり鑑みていない点で、より「本音」に近いところが反映されていると考えられるからである。
男子、女子で若干傾向は違うものの、ともに上位には「Youtuber」や「芸能人」といった「メディアに出演する人」そして「ゲームクリエーター」や「イラストレーター」といった「クリエーター」がランクインしている。
また、同列に見ることは難しいが、「eスポーツ選手」と「プロスポーツ選手」が男子にではランクインしている。
(女子はさすがに大人になるのが早いのか、医者・公務員など手堅い)
さて、このランキングを見て気が付くことがある。
それは、「人気の高い職業は『勉強』というイメージから遠い」ということだ。
もちろん、いずれの職業も専門的な知識や、それを身に着ける理解力といった力は必要だ。
YouTuberだって、「何が受けるのか」といったことを社会的な背景や視聴者のリアクションを分析し、読み取り、形にしていくことで、始めて視聴者に受入れられるのだと思う。
しかしながら、これらの職業はそれよりも、圧倒的な「技量」や「センス」がものを言うイメージが強い。
であれば、「自分がなりたいもの」に必要な技術・センス・知識さえ身につけられればよく、それが学校で果たして手に入るのか?と言われると、ゼロではないにしろそうじゃないものも多いともいえる。
そう考えると、当の本人たちからすると、学校教育というのは無意味であり、むしろ「邪魔」でしかないのかもしれない。
また、そもそも「勉強」という側面だけ見ると、もはや学校の教室で受ける必要はない。
今まさにコロナウィルスで話題になっているが、WEBを使った授業はすでにオンライン教育で普通に行われているし、学校教育への応用もできるだろう。
そうなると、「最寄りの学校」の授業である必要すらなく、なんならヒカキンに数学を教えてもらった方が小学生のモチベーションはあがるかもしれない。
もちろん、集団活動や他人とのコミュニケーションなどの情操教育という意味での学校という場は依然として意味があるに違いないが、それすらもテクノロジーで乗り越えられる部分は少なくないと思われる。
少し教育の話に足を突っ込んでしまったが、子供のやりたいことはすでに「勉強」から離れた存在になっており、学校という場を一つ取っても、「Must」はかくも古び、「Want」と乖離してしまっている。
以上のように、これまでの常識が通用しないほど多様化が進む社会において、過去に作られた「Must」は、社会全体のレベルのみならず、個人レベルでの「Want」と一致しないと言えるだろう。
次回は、Mustの変化について考えていきたい。