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2022年の僕と音楽の振り返り

今年が終わる。

これからは、「今年も終わる」ではなくて、「今年が終わる」って思うようにしようかな、となんとなく思っている。なんだか、セカチューみたいな青痛さがプンプンするけども、そっちの方が正しい日本語の様な気がするし、切実な感じをそこに受けるから。

音楽配信サービスから『2020年の「あなた」を振り返ります』というお達しがきていて、勝手に僕が今年よく聴いていた曲たちがまとめられていた。たくさん聴いた曲を上から眺めていると間違いなく、「ああ今年も終わっちゃうなあ。早かったなあ」と思ってしまう。それはわかりやすく健やかになれる。

ただ、反発も覚える。AIのデータに乗り切らなかった僕の聴いていた瞬間の感覚を残してやろうと躍起になってみようとも思う。

※以下は僕の2022年マイベストソングの上から5曲です。

マヨイガ/羊文学

「言葉よどうか いつもそばにあり これからの奇跡に全部 形を与えてください」って歌詞があって、僕はそれを聴くたびに安心できる。将来への希望を感じるという大げささがそこになくて、むしろ切なさも感じる。

この曲は切っても切り離すことができない自分の中にある空しさを包んでくれるような気持ちになれる。常に元気でも、常に落ち込んでいるわけでもない僕みたいな人間の生きていることをバランスよく保ってくれるような優しさがあって、この曲を聴いている間は僕はそれに安心しきっている。

僕は今年の2月7日にたくさんこの曲を聴いたらしく、少しだけその日の空しさをほんのり覚えている。気になって、その日の日記を覗いてみたのだけれども、あまりに僕が平穏ではなくて、その日の自分を労りたくなった。今年一番よく聴いた思い出の曲。


アルペジオ/小沢健二

岡崎京子の漫画『リバーズ・エッジ』というのを原作にもつ映画の主題歌らしいけど、僕がなぜこれを聴くようになったかは覚えていない。けど、たぶん小沢健二で初めて聴いた曲なのではなかったかな。

創作をしつづける若い頃の小沢健二と岡崎京子は仲がよかったらしく、その二人の等身大の”弱さ”が垣間見れて、それでも何かを生み出し続ける人は人間らしいなと素直に思えて、憧れる。
そこに21歳のちっぽけで怠惰な僕が入り込む隙間はないけれども、それでも音楽とか物語ってのはそれが作られ続けることで時代が流れていくのかなとか考えが膨らむ。アーティストの連鎖みたいのをそこに感じる。

下北沢にある、珉亭という中華料理屋さんやシェルターというライブハウスの名前が出てきて、それが少しだけ自分と同じ時代を生きているんだなあと思わせてくれるところもまた好き。


支離滅裂に愛し愛されようじゃないか/ポップしなないで

僕はこの曲の7割方の歌詞が全く意味が分からないのだけれども、それでも言葉を詰め込んで、どんどん進んでいくテンポの良さが夕立に打たれながら走っている時に感じる「この雨だけは好きだな」と思えるような清々しさがあると思う。

「1人で平気と強がる日々はダサいよ!喪失感振り回す 僕らはやっぱり支離滅裂に愛し愛されようじゃないか」という歌詞があって、この”やっぱり”が入るのがなんだか良いなあと思う。ただ単純に人と一緒に生きていくことが自然の摂理みたいに思えるのが納得するし、やっぱりなあと思う。

僕がこれと似ているなと思う曲に小沢健二の『愛し愛されて生きるのさ』という曲があって、そちらも好きなのだけれども、ポップしなないでの方を僕は今年よく聴いていたみたい。


恋なんて/羊文学

ドラムの四つ打ちがこんなに耳を通って脳を気持ちよくさせる曲は他にあるろうかと思うくらいリズムが好き。

一貫して、きっと失恋ソングで悲しい曲なのだけれども、なぜだか聴いてしまうような中毒性がある。けど、きっと失恋ソングだから疾走的でやっつけ感があるのかなとも同時に思う。僕はあんまり失恋ソングが好きではない。なぜなら、なんかバカみたいだから。

この世にある失恋ソングの全ては一生をかけても聴くことができないと言われているみたいに多くあるけども、その中でもかなり”あっけなさ”みたいなのが滲んでいて、恋愛のうんちくを語ったり、他人の恋愛をさして「若いねえ」とか言ってきたりする面倒くさいタイプの中年を静かにさせるような放り投げ方をする曲で好き。


スーパースター/時速36㎞

この曲は僕がONE OK ROCKやShout it Outとかをむさぼるようにして、音楽を聴き始めたときみたいな、そういう種類の音楽。僕にもまだこういう曲をどこかで求めているのだと気づかされたような曲。

ベースのリフから始まって、その後もボーカルの裏でずっとベースがブイブイ言っている曲で、この曲のベースがリズムを切っているというか、リズムを作っている感じが気持ちよくて耳として嬉しい。

今年の4月に行ったライブでボーカルがかわいそうなくらいに切実に歌っていたのが印象的だったなと思い出した。
最近やっと観れた『天気の子』に出てくる世界を不安に感じて、全てを敵だと思っているヒダカ君になんだか似ているなと勝手に思ってしまった。



音楽でも、仕事でも、人間関係でも、自分自身の気持ちでも、色んなことが年の瀬で区切られていく中で、うやむやにされているような、そんな空しさを僕は感じてしまう。
僕の中にはそれが納得できなかったり、切なかったり感じる部分があって、せめて自分の中だけではそれらをきちんと言葉として、形として残しておきたいと思った。

ある人がそっけなく僕に「長生きした方が、世の中にあるまだ知らない良い曲だったり、新しく出てくる良い曲に出会えるからお得じゃん」と言ってきたのを思い出した。
なんだか、そういうのって一年、また一年と繰り返す中で大事なことなんだと思う。僕は長生きしたくないし、生へのがめつさはないけども、そう思いながら生きるのはポップで素敵だと思う。

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