空白
夏が肌にまとわりついてくる夜。俺は、あぐらをかきながら大江健三郎の死者の奢りを読んでいた。死者たちが生前の個性を濃褐色の溶液に溶かしながら、死者という強烈な個性を吐き出し続けている。一本一本、短くなるまで煙草を吸いながら、そんな絵を想像していた。読み終えたと同時に灰が太ももに落ちた。しばらく、輪郭がはっきりとしない横顔が書かれた単行本の表紙を見つめ続けた。高揚するような面白い小説を読み終えたあとは、
いつもこの様に余韻に浸るのだが、この時は特段長かった気がする。知ったか知らないかの二元論や実在論などでこの小説を噛みしめようとしてしまう安直な欲望を抑えそのまま寝ることにした。
次の日、アブラゼミの鳴き声に起こされた。起き上がろうとした瞬間、どさっと枕元に何かが落ちてきた。目だけ横にやると自分の腕だった。左腕を頭の後ろに回して寝てしまったため腕が痺れてしまい、思うように動かせなかったらしかった。たまにこういうことが起こるのだが、その時は妙に自分の腕が「物」に感じられ、息が詰まった。しかしすぐに、昨日の小説のせいだと、考えることをやめた。痺れた左腕をもう片方の腕でもち、自分の身体の横に持ってきたあと、起き上がった。
支度を終え、家を出た。いつもの慣れた道を歩いている。頭はそれをまるで意識していない。今日は一段と日差しが強く、背中の汗がすーっと軽やかにTシャツ繊維一本一本に灰色を付けていく。額からの汗が左腕に落ちたとき、ふと、さっきの「物」としての感覚を思い出した。「物」としての腕に恐怖を抱くことはなかったが、自分と物との「空白」が恐ろしかった。ただ、本当に恐ろしかったのは、その「空白」が空間に例えられるものではなく、内臓ひとつひとつに粘性のある膜がぴったりと張り付くような感覚だったからかもしれない。
嫌な予感がした。幼小のころ夕暮れに廃工場に忍び込んでいたことを思い出す。有刺鉄線が張り巡らされたフェンスに開いた小さな穴を器用に潜り抜け、砂利から生えてきている唯一の明色である草を踏みながら奥にすすむ。さび付いた半開きのシャッターをくぐると、コンクリートの岩々が広がっている。そこに残された大きな配管が2本、入り口横から地面を這っており、そのまま直角に上に伸びている。天井を見上げるといくつもの配管が空を切っている。大きな配管を超えた先にドアがある。鉄製の錆びついた重厚な扉だ。他のドアは取り壊されているのだが、なぜかその扉だけはそのままにしてある。目の前の扉の輪郭がぼやけていき、壁の隙間から入ってくるに気流に揺れる。危険を目の前にすると何よりも先に応答性の悪い受容体である鼻の奥が揺れてから、他の感覚器官が動き出す。目と耳からの情報では脳はそれをすぐに認めようとはしない。危険は香りだ。内から匂うその香りに誘われて進む。扉を開ける。少年には重く、両手で取っ手をもち、全体重をかけて開ける。鈍い音ともに少しだけ開いた隙間から中に入る。扉がそのまま断末魔をあげて閉じる。心臓が脈打つ度に視界が魚眼レンズのように丸みを帯び、中央がぼやける。明りは壁に開いた穴から指す暖かい夕日だけ。もうすぐ日が沈む。奥のほうに目を凝らすとそこに立ったまま眠る赤錆びた得体のしれない大きな機械がこっちを見ていた。心臓がトクン、トクンと下に沈んでいくが、脳に圧がたまる。心臓を止める。身体が下に沈んでいく。沈んでいく感覚よりゆっくと瞼が閉じていく。アタマだけはゆっくりと昇っていく。そこで気が付いた。自分と物との空白に存在したのは俺自身だった。すべては内から発する。
遺書にはこう書いてあった。
「六畳一間に俺は生きる。ただそれだけだったのだ。」
男の遺体はまだ発見されていない。