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書評「夢のまた夢ー小説 豊国廟考ー」豊島昭彦 著 本当に後悔のない人生を送れているか?

息子が9ヶ月になった頃から、週末は息子の世話とトレーニングをかねて、息子と一緒につまり息子を抱っこして自宅近くにある豊国廟(ほうこくびょう)に参っている。

豊国廟は、豊臣秀吉のお墓で京都東山にある阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)という標高196mの山の頂上にある。565段ある階段を上がるのでいいトレーニングになる。
豊国廟に毎週末参っていると、観光客の少なさに気が付く。お昼前に参ることが多いが観光客と出会うのは、多くて3組、少ないときは誰とも合わない。天下人の秀吉のお墓なのに何故か?
秀吉は死後「豊国大明神」つまり神として豊国神社(とよくにじんじゃ)と豊国廟で祀られ、人気があった。しかし、徳川家康が徳川幕府存続のために秀吉の神号のはく奪、豊国神社の取り壊し、廟および神社への参道を封鎖し、秀吉の人気を封じた。ネットで調べると、だいたいこんな理由だった。

豊島昭彦 著
「夢のまた夢ー小説 豊国廟考ー」

豊国廟についてもっと詳しく知りたいと、豊国廟について書いた本を探す中で豊島昭彦著作「夢のまた夢ー小説 豊国廟考ー」と出会った。2018年12月25日第一刷と比較的新しい本で、豊国廟考というズバリのタイトルの本が最近出ている偶然に驚いた。気になったので、早速買って読んでみた。
豊国廟にかかる秀吉と家康が神になったいきさつ、末期ガンだった著者の思いが色深く現れている秀吉の終末の表現がとても興味深く、そして切ない。
小説なのでフィクションの部分が多いのは分かるが、秀吉の遺体の本当のありかについてなどトンデモ要素も多く、小説としても著者があとがきで述べているように稚拙だ。
しかし、死期を悟った著者が小説家になりたい夢を叶えるために死に物狂いで書いた勢いが現れているため、一気に読んでしまう。
この本は、あとがきから読むべきだ。著者がどんな状況で、どんな思いでこの本を書いたか知ってから読む方が言葉の重みが増す。

神になる方法

日本には、皇族を除くと神になった人が4人いる。死後、祟りを恐れられて神として祀られることで鎮められた2人、北野天満宮の天神様「菅原道真」と神田明神の相殿神「平将門」。死後、自らが作った世を護るために自分から神になった豊国神社の豊国大明神「豊臣秀吉」、日光東照宮の東照大権現「徳川家康」。
作中では、祟ること以外で「神になる方法」と「なぜ神になるのか?」を秀吉と家康の視点から書いている。神になろうとしている秀吉と家康の人間臭さが前面に押し出されていて面白い。
また、神道(大明神)と仏教(権現)の神の考え方の比較、神になる具体的方法の部分については大まかにしか書かれていないが、荒俣宏の「帝都物語」や「帝都大戦」が好きな人ならああだろうか?こうだろうか?と色々と想像が働き面白く読めるはずだ。

秀吉の終末の表現

作中、亡くなる前日の秀吉の思いが書かれている。秀吉の独白という形で、生存期間中央値291日、1年生残割合40%の末期のすい臓ガンの著者の人生観が語られている。印象的だった部分(P.100)を抜き出す。

死ぬる身にはもはや、添加も富も権力も何も関係はない。わしは、豊臣秀吉というただ一人の人間として我が子の幸せを願い、そして死ぬるのみよ。
P.100より抜粋

子どもがいる人にもいない人にも、人生とは何か?強烈に問いかけてくる。いつになれば、自分で答えが出せるだろう。
いつ死んでも後悔のないように生きられてるか?それは、自分の個人としての人生と死後の息子の幸せの2つの視点から考えなければいけない・・・
後悔の中で死んでいった秀吉、豊臣家を滅ぼし達成感と安心感の中で死んでいった家康。秀吉側の著者が書いた残酷なまでのコントラストは必読だ。

後悔しないように人生を送るにはどうするか?1度でも悩んだことがある人に読んでほしい。言葉は悪いが、人間は何ごともお尻に火がついてからやっと真剣に考える。僕もそうだ。
でも、この本を読めば少しは、人生について「今」考えるはずだ。著者の思いを受け取ってみてほしい。

息子

一昨日の6月21日が息子の一歳の誕生日だった。今日は、一升(約1.8㎏)の餅を一歳の誕生日に背負わせてハイハイさせることで「一生、食べ物に恵まれますように」、「一生、粘り強く歩ける足腰で、健康に育ちますように」、「一生、丸く、円満に過ごせますように」を願うイベントをした。息子には1.8㎏は重かったのか、泣いていた。

息子には、後悔しない人生を歩んでほしい。自分の死期を悟ってからやりたいことをやる人生は、悔いが残るだろうから。
そのために僕は息子に何を残し、何を残さないでおくべきか・・・

秀吉は神になってまで、息子を護ろうとした。しかし、息子の秀頼は慶長20年(1615年)大坂夏の陣にて同じく神になった徳川家康に追い詰められ、母親の淀殿と共に自害している。享年21歳。
秀頼の息子、つまり秀吉の孫にあたる国松も大坂夏の陣をきっかけに徳川家康に追い詰められ、市中車引き回しの後、六条河原で斬首されている。享年8歳。秀吉の墓に上る階段前に秀吉の側室松の丸と並んで眠っている。
秀吉の息子を護ろうとする思いは、家康の息子を護ろうとする思いによって破られた。

今後、豊国廟に参るたびに僕は、「息子に何を残し、何を残さないでおくべきか」を考えるだろう。

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