わたしを闇から救いあげてくれたのは、スーパーエクセレント最上級の「恩師」だった
人生を救ってくれた先生がいる。
「人生を救ってくれたなんて大袈裟な・・・」と思うかもしれない。でも事実なのだ。
タラレバを承知で書くと、その先生と出逢っていなければ、今のわたしは間違いなくいない。
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家庭環境に恵まれなかった。子ども時代は黒歴史だ。
父は日雇い職人。仕事へのプライドは高く腕のいい職人だったが、家では最悪の父親だった。
ギャンブル狂で大酒呑み。おまけにひどい酒乱だった。給料のほとんどをギャンブルに擦ることもたびたびあり、家にはお金がなくていつも困っていた。体の弱い母は働けず、お金がないのはデフォルトで、父と母はお金のことで喧嘩ばかりしていた。
口喧嘩だけでなく、いまでいうDVやモラハラの毎日。わたしの目の前で、父は母を殴ったり蹴ったり罵ったり。母はいつもどこかに痣があった。喧嘩ばかりの日常にマヒしていたわたしは、家庭っていうのはどこもこんなもんだと思っていた。
お金がないから借家住まい。洋服は親戚のおさがりで、映画や外食なんか行った記憶もほとんどない。
父がギャンブルに勝つとそのお金はお酒に変わり、酒量が増した父はさらに暴れるという無限ループ。ギャンブルに負けてお金が底をつくと、母は親戚に頭を下げて借金をした。
そんな生活がずっと続いた中2のころ。
進路を考えはじめる時期になったが、どうせ家にはお金がないし、近くの高校に行って地元で就職かな。ぼんやりそんな想像をし、勉強はテキトーだった。
ある日。父が消えた。中2の冬のことだ。
父は家族全員の通帳を持ち、働けない母と子どもたちを置いてある日突然いなくなった。これを「蒸発」っていうのか。そう思った。
DVとモラハラの父がいなくなり家は穏やかになるかと思ったが、そんなわけがない。だってお金がない。収入はゼロになり、ますますお金に困った。
こんな状態で進学なんてできるの?
勉強する気は失せた。勉強しても進学できないかもしれない。たとえ近くの高校に行けたとしても、学費を払えずに中退するかもしれない。
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中3になり、転任してきた先生がわたしの担任になった。T先生だ。
転任前から、校内はT先生の噂でもちきりだった。なんでも、とにかく怖くて厳しくて鬼のような人だという。いつも竹刀を持ち歩き、悪いことをした生徒を容赦なく叩くらしい。
わたしの中学は地域で評判の「悪い」学校で、派手な生徒が多く治安がよくないことで有名だった。
当時流行りの長い学ランや長いスカートをはいたヤンチャな生徒たち。授業をサボり校舎裏で煙草を吸ったり、他のクラスの授業を邪魔したり。
髪はパーマかカラーかリーゼント。口紅だってあたりまえ。放課後に先生を呼び出して殴ったり、授業中に先生の胸ぐらをつかまえて喧嘩を売ったり、バイクで校庭に乗りいれたり。
とにかく書くとキリがないのだが、ドラマ「今日から俺は!!」のような学校だった。
「悪い」中学校に送り込まれたT先生の使命は、生徒を正し、健全な学校をつくること。あとになって聞いたのだが、どんな先生を送り込んでも一向に良くならない学校を改善する、教育委員会にとって救世主のような存在、それがT先生だったらしい。
♢
教室に入って驚いた。
問題児といわれる生徒の多くが同じクラスだったからだ。不良ではないけれど、家庭環境の複雑な生徒も多かった。父が蒸発したわたしも「複雑な家庭環境枠」でT先生のクラスになったんだろう。そう思った。
「これから毎日先生は1人1人と交換日記するぞ。いいか。1行でも2行でもいいから毎日必ず書け。全員だぞ、分かったか!」
そう言うとT先生は竹刀でバシーンと教壇を叩いた。大声で話し教室をウロウロしていた生徒たちは一瞬で静まり返り、自分の席に戻った。
最初は、部活の話などささいなことを交換日記に書いていたが、だんだん自分の内面を書くようになった。
T先生は必ず赤ペンで返事をくれた。
返事を読むかぎり、T先生がわたしの家の本当の状況を知っているとは思えなかった。わたしは父の様子や家の状況を交換日記に詳しく書いた。いままで恥ずかしくて友達にも誰にも言えなかった状況を。
たぶん誰かに聞いてもらいたかったんだ、ずっと。
♢
次の日の放課後、部活に行こうとしたらT先生に呼び止められた。
「ちょっと時間いいか?」
交換日記をもとに、進路相談室でT先生と話をする。「うんうん」「そうかそうか」「ずっと辛かったな」と言い、T先生は話を聞いてくれた。鬼のように怖いと評判の先生だったけど、鬼じゃなかった。全然鬼じゃなかった。
その数日後、T先生は季節外れの家庭訪問で家に来た。わたしの進路について母の考えを聞いたらしい。そのことが交換日記に書かれていた。
わたしはその返事としてこう書いた。
放課後、T先生に進路相談室に来るように言われた。
「おまえの気持ちも分かる。先生がもし中学生で、おまえの立場なら、そう思うかもしれない。だけどな。先生は大人だし、おまえよりは世の中を知ってる」
「カミーノ、おまえ自分の人生を変えたいって思うか?」
--- 人生を変えたい?そんなことできる?この状況で?高校に行くお金もないのに?
「いまのままだと、おまえの人生ずっとこのままだぞ。高校出て働いて、このあたりに住む。親御さんと同じように生活していく。それでいいのか?」
「それ以外になにがあるんですか?人生変えるってどうやって?こんな田舎なのに」
「勉強だよ。カミーノ、勉強してどんどん成績上げろ。そしたら絶対にいまの生活から抜け出せる。抜け出せたら間違いなくおまえの人生変わるから」
--- 勉強?
「一生懸命勉強して成績が上がれば、次のステップが見える。そしたらそこから必ず道が開ける。おまえの人生の道だ、おまえが開け。そのためには勉強だ。おまえならできるから」
♢
その日を境にがむしゃらに勉強するようになった。いまの家庭環境から抜け出したい。T先生の言葉を信じたい。
相変わらず家にお金はなくて母は親戚から借金していたし、父も蒸発したきり見つからなかった。お金もないのにどうやって高校に行くの?という疑問はあったが、T先生の言葉にすがるような思いだった。
抜け出したい。ここから抜け出して人生を変えるんだ。その思いは日に日に強くなり、わたしの勉強のエネルギーになった。
成績はもともと“中”くらいだったが、勉強スイッチが突然ONになったわたしの成績はメキメキと伸びていった。成績が伸びて喜んだのはT先生とわたしで、母はあまり喜ばなかった。
というのも、自転車で通える高校はどれも“中”の成績で十分だったからだ。それ以上成績が伸びても、電車で通わないといけない進学校には行かせられない、定期代まで出せないから、という理由だった。
お金がないといろんな壁が立ちはだかる。
T先生との交換日記に、定期代まで出せないから進学校は無理と母に言われた、と書いた。それを知ったT先生は何度目かの家庭訪問をしてくれて、母と話をした。
「お母さんの言葉、気にすんなよ。おまえは成績を上げることだけ考えろ。行きたい高校に必ず行けるから」
T先生のその言葉を信じ、とにかく成績を上げることだけを考えて勉強し続けた。
♢
志望校を決める時期。父が姿を消して1年。相変わらず父は見つからないままだった。
わたしは学区内のトップ進学校に十分足りるまで成績が上がっていた。それでも母は、自転車で通える近所の高校に行ってもらいたいと繰り返した。
勉強は楽しいって気づいたし、進学校に行ってみたい。わたしの思いは日に日にふくらんだ。
三者面談の日。
わたしは進学校に行きたいと思っていて、母は近くの高校に行ってもらいたいと思っていた。家での話し合いも平行線。シーンとしたまま迎えた三者面談で、T先生は言った。
「お母さん、カミーノさんはすごく勉強して成績が上がったんですよ。だから少しでもいい学校に行ってもらいたいと私は思います。ご家庭の状況はよく存じています。お母さんのお気持ちも分かります。でも奨学金をもらえるなら、話は変わってくるんじゃないでしょうか」
T先生は、書類の入った封筒をいくつか母に差し出した。
「カミーノさんの成績なら、奨学金の貸与ではなく給付で審査が通ります。学費を払う必要はありません。お母さん、カミーノさんの行きたい高校に行かせてあげてください」
T先生は立ち上がり、母に深くお辞儀をした。鬼のように怖いと思われているT先生が、わたしのために母に頭を下げている。こんなことをしてくれる先生がいるのかと、中学生のわたしはとても驚いた。
♢
先生の説得のおかげで、母はわたしが進学校を受験することを許してくれた。わたしは奨学金をもらい、進学校に行くことができた。進学校に行ったおかげで、大学への道も開けた。
がむしゃらに勉強すれば次のステップにつながり、自分の生活を変えることができる。それを教えてくれたのはT先生だ。
もしT先生に出逢わなければ、あの生活から抜け出せないままだった可能性は高い。
わたしの人生に光を射してくれた人、わたしを救いあげてくれた人、それがT先生だ。
中学を卒業して35年ほど経つが、T先生とはいまでも連絡をとり続けている。バレンタインンチョコは毎年欠かさないし、手紙やLINEでのやりとりもする。田舎に帰るときは必ず連絡をし、近況報告がてら美味しいものを一緒に食べに行く。
定年退職後、T先生は大好きな畑仕事と絵画に時間を使い、ときどきお孫さんたちの世話をしている。年に数回、畑でとれた新鮮野菜を、達筆の手紙と一緒に送ってくれる。
交換日記をしていたころと変わらないその筆跡に、ひどく懐かしくなる。
わたしがフリーランスになろうかなと言ったとき、「カミーノなら大丈夫だ。先生は心配してない。おまえならやれるから」と応援してくれた。
T先生を心の底から信頼し、いつも感謝している。「恩師」という言葉では足りないくらいの「恩師」をどう呼べばいいのだろう。
わたしにとってT先生は、スーパーエクセレント最上級の「恩師」である。
進む道に迷ったとき。ふと立ち止まったとき。目を閉じて、T先生のこの言葉を思い出す。
「おまえの人生の道だ、おまえが開け」
自分でそうつぶやき、腹をくくる。次なる1歩を踏み出すために。新たな景色を見るために。