死について
死について、おそらく、物心ついたときからずっと考えている。
1歳の頃、庭の猫と一緒に撮られた写真がある。私はその猫とのやり取りをよく覚えている。
私は庭の水道から出る水で遊んでいた。蛇口から出る水を子どもの砂遊び用のスコップに受け止め、下に放す。ただそれだけのことが楽しかった。
やがて横を猫が通りかかり、私の近くに座った。私はスコップに受け止めた水をあげようと猫に差し出したが、猫は水を必要としておらず、さしたる反応もなくやがてどこかへ行ってしまった。
1歳の赤ん坊がそんなことを覚えているわけがないだろうと思うだろうけれど、実際水道の前で撮られた写真には猫が写っているし、母子手帳にこの頃私が人に「ドーゾ」と何かを差し出すことを覚えたと書いてある。
幼児は脳の記憶を司る領域が発達しておらず、ピンポイントで1歳時の記憶だけが残っているのはこのためらしい。
その後も何度か見かけていたはずの猫は、そのうちまったく見かけなくなってしまった。
そして、向かいに住んでいた祖母もいなくなった。
私が5歳くらいのことだ。
おばあちゃんは死んだと言われ、お葬式にも行ったが、私にはどうして祖母がいなくなったのかよくわからなかった。
大人がたくさんいる場所で私は何をしていいかわからず、紺のワンピースを着ておとなしくしていた。ワンピースに刺繍された小さな家の庭で何が起きているか夢想していた。
小学校に入る辺りから、やっと私は死ぬということが何を意味するかわかってきた。しかし、祖母を亡くしたときの祖父の気持ちは到底わからなかった。
小学校に入る頃、突然両親が離婚した。
離婚する前も後も、父は私が言葉を理解するようになってから、私が生まれるとき未熟児で、生まれてすぐ酸素マスクや点滴をつけられ、死んでいたかもしれない話をしていた。
笑い話にするくらいだから大したことはなかったのかもしれないけれど、赤子とすぐ離された母のショックはすさまじく、いっぽうで何度もこの話を聞かされた私にとって死は身近に感じられた。
もっとずっと成長して、父方の祖父や祖母が死に、葬式で泣く父を見つめ、父や母が死ぬときのことを考えるようになると、死はいっそう身近な存在になった。
夫と出会った頃、何度目かのデートで私はこの人の笑顔をあと何回見られるのだろうと思った。
結婚や転職活動の重圧から死にたいとこぼす夫を見ても、死はおよそ遠いものだった。
しかし、それは毎日近づいている。
私はあとどれだけ夫の笑顔を見られるだろう。
あとどれだけ笑ったり泣いたりできるのだろうか。