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エンジニアからライターへ|挑戦し続ける中辻さんの原動力とは

20年エンジニアとして活躍し、フリーランスに転身した中辻さん。エンジニア、プログラミング講師、ライターと常に挑戦を続けています。
自らを好奇心旺盛だと分析する中辻さんに、仕事の向き合い方や考え方、将来のビジョンをお聞きしました。

■中辻タカオ(nakatsuji)
・慶應義塾大学環境情報学部卒
・神奈川県横浜市在住
・趣味
  旅行(国内外を問わずバックパックで)
  読書(特に歴史物やミステリーが好き)
  ルービックキューブ
・株式会社日立製作所にて20年間ソフトウエア技術者として勤務、現在はフリーでソフトウエア技術者やプログラミング講師、Webライターをしています

中辻さんのポートフォリオより引用

エンジニア経験が活かせない案件から始まったライターのキャリア

中辻さんは、2023年10月にライターを始めました。エンジニアやプログラミング講師として豊富な経験を持ちながらも、ライターとしての最初の一歩は簡単ではなかったと話します。

「最初はエンジニアの経験を活かせる案件の募集がまったくありませんでした。そこでエンタメや家電など書けそうなジャンルに応募しましたが、毎日2〜3件応募しても返事をもらえない状況が2週間も続いたのです。あの経験はなかなか忘れられません」

さらに「本当に堪えた」という2週間を経てやっと初案件を獲得した後も、苦労が絶えなかったと言います。

「事前に仕事内容を確認していなかったこともあって、経験の少ないテーマに頭を悩ませました。レギュレーションの確認や、サイト内の雰囲気に合わせた言葉選びにも苦労して、3,000~4,000文字を書くのにも時間がかかったのを覚えています」

「いい教訓になりました」と話す初案件での苦労をものともせず、中辻さんは「誰かのためになる文章を書きたい」という想いからライターを続けました。2024年6月で、ライターを始めて9ヶ月目を迎えます。

ライターではなく、子どもたちにプログラミングを教えたくてフリーランスに

ライターとして着実に経験を積まれている中辻さんですが、当初はライターをする考えはなかったと話します。

「フリーランスになったのは、子どもたちにプログラミングを教えたかったからです。学生時代に家庭教師をしていて、もともと子どもと接するのが好きでした」

ご自身も一児の父親である中辻さんは、エンジニアの経験とつながるプログラミング講師になりたい想いを10年近く持ち続けました。
当時会社では副業を禁止され、会社に勤めながら夢を叶えるのは不可能だったためです。

「本業に関わることだけではなく、コンビニでのバイトや塾の先生など、業務に直接関わらない内容でもすべて禁止でした。なので、フリーランスの道を選んだのです。
退職後に就業規則が変わったと聞いたので、もしかしたら今ならできるかもしれませんね」

少し寂しそうに話す中辻さんですが、その表情に後悔は見られませんでした。常に前を向き、フリーランスとして活躍を続けています。

ライターに挑戦した理由は中辻さんの根幹にある働き方にあった

フリーランスになったときは考えていなかったライター。中辻さんはなぜ挑戦することになったのでしょうか。
その理由は、大学生の頃から意識していたという働き方にありました。

「継続いただける安定的な仕事と単発の挑戦的な仕事、2つの収入源を抱える働き方はずっと意識しています。
フリーランスになったときも考え方は同じで、安定した仕事には経験の長いプログラム開発を、挑戦する仕事にはやりたかったプログラミング講師を考えていました」

挑戦する仕事にプログラミング講師を選択してフリーランスになった中辻さんですが、4年の月日が流れると変化が訪れます。

「ありがたいことに、最近はプログラミング講師のお仕事も継続的にいただけるようになりました。プログラミング講師が安定した仕事に格上げされた形です。ようやく余裕が生まれ、次に挑戦する仕事としてライターを選びました」

もともとエンジニアやプログラミング講師でも文章を書く機会は多かったという中辻さん。ライターという仕事は知っていたものの、自分とは無縁の存在に感じていたと言います。
それでもライターに挑戦したのは、世の中や人のために役立つ何かをしたいと思ったのがきっかけでした。

「初めて誰かのために文章を書くと意識したのが『Quora(クオーラ)』というサイトでの回答です」

Quoraは、ユーザーが質問して回答するQ&Aコミュニティサイトです。

「Quoraでエンジニアとして回答し、自分の書いた文章にリアクションをいただいたり直接評価されたりと初めての経験をしました。不特定多数の方に向けて自分の声を届ける経験から、ライターや文章を書くことに興味がわいてきたのです」

誰かに文章を届ける経験から始めたライターへの挑戦。現在、中辻さんはエンジニアのご経験を活かした記事を始め執筆に取り組み、さらに取材にも活躍の場を広げようと挑戦を続けています。

小町さんとの出会いで取材がぐっと身近なものに

「取材というと有名な方にするものというイメージを持っていました」と中辻さんは話します。ライターの仕事内容に取材があると知っていたものの、遠い存在に感じていたそうです。
取材のイメージが変わったきっかけが、2023年に行われた忘年会での小町ヒロキさんとの出会いでした。

「二次会の居酒屋で隣になったのが小町さんで、一緒にお酒のグラスを傾けながら、 取材の魅力についてたくさんお聞きしました」

200件以上の取材実績を持つ小町ヒロキさんは、2023年9月に取材ライターマスター講座をリリースしています。30本以上の動画で取材を広く学ぶことができ、中辻さん自身も忘年会後に受講を始めた講座です。

「特に新入社員にインタビューをしたお話が印象に残っています。取材対象は会社の社長さんやスポーツ選手など、誰もが知る人物だけではないと知って、目からうろこが落ちました」

取材は幅広い人から話を聞く仕事だと聞き、ただ遠くから憧れるだけだったものが身近になったと中辻さんは話します。

「私自身人と話すのが好きで、 ちょっとした飲み会にも出たくなるタイプです。話がうまいとは言えませんが、人と話すことに恐れや戸惑いは感じません。
むしろ、自分の知らない世界や価値観を知ったり、今までどんな経験をしてきてどう感じたのかを聞けたりすると思うととても楽しみです」

文章で人生を好転させるきっかけになる記事を

今後の目標や展望をお聞きすると「エンジニアの仕事は縮小させて、プログラミング講師とライターで生計を立てていきたい」とのお答えが返ってきました。

「プログラミング講師は、現在携わらせていただいているのが大人が対象なので、子どもたちに教えるほうへ力を入れていきたいです。
ライターとしては、誰か1人でもいいから人生を好転するきっかけになったと思ってもらえるような記事を書きたいと思っています」

誰かの人生によい影響を与えるような文章・記事を書く…言うのは簡単でも実際には並々ならぬ努力が必要になると想像できます。大きな目標を掲げた理由に、感銘を受けたという手塚治虫先生のエピソードを話してくれました。

医学生をしながら漫画を書いていた手塚治虫先生は、多くの先生から「漫画なんて書いていたら人の命は救えない」と言われていました。しかし、1人の先生だけが「漫画を書くことは広い意味で医療になる」と言ってくれたために、漫画家になる決意を固めたそうです。

中辻さんのお話より

「手塚先生のエピソードで、人を救う方法は医療だけではない、医療と直接関係のない『漫画』を通して、目の前にいない多くの人々をも救えると教えてもらいました。私も文章という表現を通して見知らぬ誰かにいい影響を与えられる記事を書きたいと思っています」

中辻さんがライターを始めたのも、誰かのためになる情報を届けたいという想いからでした。
文章で誰かの人生をよい方向へ変える目標も、中辻さんがライターを続ける原動力になっているのだと感じます。

挑戦を続ける中辻さん、今後の活躍から目が離せない!

インタビューを通して、中辻さんの誠実さが伝わってきました。ひとつひとつ言葉を選びながら穏やかに話す姿に、子どもたちと接してきた経験が表れています。

中辻さんはまだライターに挑戦し始めたばかり。取材という大きな目標を見据え、持ち前の好奇心とチャレンジ精神で、先日初めてとなる取材案件を獲得しました。
「自分の専門ジャンルに関わらず、幅広い方々の経験や人生をお聞きしたい」と話す中辻さんは、次の目標を達成するためすでに動き始めています。今後の活躍から目が離せません。

▼中辻さんへの仕事のご依頼・お問い合わせはこちらから!

▼取材者・中村ことはのポートフォリオはこちらです。

▼中辻さんに中村ことはも取材していただきました!



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