第1防衛線の戦況
嘉数高地では日米の激戦がつづき、昨日に嘉数西側70高地頂上付近を占領した米軍は嘉数高地南側への進出を企図し、嘉数高地の主陣地は西方斜面からの攻撃にさらされたが、守備隊は砲迫撃の支援と逆襲を併用し、米軍の進出を阻止した。また嘉数北側高地頂上付近に進出してきた米軍も夕方には撃退した。
我如古付近の米軍の攻勢は活発でなかった。
主陣地帯左翼、東海岸方面では、戦車を伴う有力な米軍部隊が和宇慶集落の北側に進出してきたが、守備隊は対戦車障害と火力によりこれを撃退した。
第32軍はこの日の戦況を大本営に次のように報告している。
その他、軍はこれまでの総合戦果として、米兵6280、戦車178、自動車48などを戦果としている他、自軍の被害として死傷2279、さらに津堅島、慶良間諸島、航空地区隊など約4200と連絡が断絶しているなどと報告している。
沖縄北部の戦況
沖縄北部では国頭支隊や護郷隊が北進する米軍と戦闘を続けていた。
本部半島に進出した米軍はこの日、国頭支隊が本部を置く八重岳地区に向けて猛烈な艦砲射撃や飛行機による対地攻撃がおこない、地上部隊は主陣地の前面に進出し、偵察行動を活発化させた。
渡久地南側の207高地(国頭支隊第4中隊第3小隊長の指揮する2個分隊)はこの日11時ごろから米軍の攻撃をうけ、部隊は喜納原の中隊指揮班陣地に後退した。
連隊砲中隊は11時ごろから15時ごろまで渡久地方面の米軍を射撃した。また伊豆見地区においては、西進する米軍を阻止した。
この日、牛島司令官は本部を中心に沖縄北部の戦況を次のように報じている。
第1護郷隊(第3遊撃隊)村上隊長は各中隊に遊撃戦を命じていたが、この日夜、第2中隊数名が田井等学校および川上の米軍を奇襲した。戦果は幕舎爆破4、家屋爆破1であった。
護郷隊員は沖縄北部の青少年を隊員として編成されている。そうすると護郷隊が米軍に占領された集落や施設を襲撃するといっても、それは自分の生まれ育った集落であったり親しんだ施設を攻撃する場合もありえる。少年たちの精神的な負担はどれほどのものであったろうか。これ以降、護郷隊は各集落の襲撃や焼き討ちをおこなうが、実際に生まれ故郷、はては自分の家に火を放たざるをえなくなった護郷隊員などもいる。
第2護郷隊(第4遊撃隊)岩波隊長は再々度の金武攻撃のため、第1中隊に各中隊の一部および特設第一連隊大鹿隊の一部を増加し、昼間に綿密な偵察をおこなった上で夜襲を企図したが、米軍の警戒が極めて厳重であり、大きな戦果は得られなかった。
若干日時が異なっているが(瑞慶山さんは12日夜中とする)、元護郷隊員瑞慶山良光さんが金武襲撃について証言している。おそらくこの際の金武襲撃のことだろう。
元護郷隊瑞慶山良光さんの証言 チャプター3が金武襲撃時の証言:NHK戦争証言アーカイブス
新聞報道より
大阪朝日新聞はこの日、沖縄の戦況を次のように報じている。
神直道参謀の日誌より
第32軍神直道航空参謀の日誌(「神日誌」)には、この日第32軍牛島司令官について
と記している。
戦況はけして第32軍に有利ではなく、また司令部内も攻勢か戦略持久かをめぐって慌ただしいなか、牛島司令官はあくまで泰然自若としていたという。
八原高級参謀も地上戦開始後の牛島司令官の様子を次のように回想している。
歩兵第89連隊第5中隊陣中日誌より
この日の歩兵第89連隊第5中隊の陣中日誌には、前線で米軍と対峙する第62師団(石部隊)による敵陣斬込みの戦訓が記録されている。
斬込みの際の服装は軍服ではなく便衣、すなわち普段着、日常着を可としているところに注目していただきたい。兵士が夜陰に乗じ、一般住民の服装をして武器を持ち敵陣を襲うことを可としているのである。後に西原で米軍が押収した日本軍資料にも「服装においても話し方においても現地住民のように見せかけることが必要である」と一般住民に変装して行動することが記されているとともに、元将校も兵士が一般住民に変装し攻撃していたと証言している。こうした第32軍の戦法により、米軍は兵士と住民の見分けがつけられなくなり、住民をも攻撃の対象としていかざるをえなくなったのである。
また陣中日誌にはこの日付けの第24師団の情報紙「撃滅」第7号が掲載されているが、そこには次のような一節がある。
ここでいう「敵占領地」が沖縄の米軍占領地帯をいうのか、米軍が占領した日本が支配していた海外の地をいうのか判然としないところもあるが、いずれにせよ「邦人」「地方民」といった言葉から大きく沖縄県民も含めて日本人が軍に対し「スパイ」活動をしているからよくよく警戒するようにという注意喚起を読み取れる。軍は沖縄住民を「スパイ」視するとともに、それをさらに超えるすべての住民を「スパイ」視していたということがいえる。
参考文献等
・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦
・『沖縄県史』資料編23 沖縄戦日本軍史料 沖縄戦6
・NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」(2015年6月14日初回放送)
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沖縄北部名護方面へ進撃するブリーズデール大佐率いる第29海兵連隊 キャプション原文には許田かと記されている:沖縄県公文書館【写真番号96-19-2】