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障害と生きる

はじめに

 私は、双極性障害を持っています。
 所謂、障害者です。
 色々あり、社会や人と接する際、大きな障害が目の前にそびえ立ちます。
その障害が小さければ、小さいほど生きやすくなり一般的に健常者と言われます。
 障害者と言っても、多岐にわたります。
 同じ障害でも、その方その方によって症状が違いますし、人なので性格が違います。したがって、生き方や受け入れ方が違ってきます。
 障害は細分化すれば、無限に広がります。

 そんな障害者の1人である私はというと、1人で生活を送ることも社会に出て生活することもできません。
 外に出る時や人に会う時は、必ず頓服を服用してから外出し、バックには頓服を必ず入れています。
 私にとって社会生活は大きな壁なのです。 


1障害を受け入れること

①自分自身と見つめあう

 障害を真に受け入れるということは、日々自分との戦いです。
 障害があるからと言って、何を言ってもいいと私は思っていません。
 でも躁状態の(思考がプラス)時に、気持ちが大きくなってしまい、友人に対して、とても厳しい言葉を言い放つことがあります。
 その友人が気にしているであろうことや直してほしいところなど、オブラートに包まず、破壊光線のように一気に放出してしまいます。
 その後鬱(思考がマイナス)、罪悪感にさいなまれ心身ともに、身動きが取れなくなります。
 それの繰り返し。
 そんな自分がイヤで、自分が今どんな状態か知るために、双極性障害のための気分表に自分の気持ちやその日の活動を書き込み、【自分自身を可視化する】ことで、自分と向き合うことをしています。

②可視化して自分を知る

 可視化してからの私は、少しは【自分という謎の生物】との生き方ができるようになってきました。
 私は躁状態になると、【Sモンスター】になります。
 言いたいことを言い、自分は万能だと優越感に浸るのです。
 長湯しすぎて、ふにゃふにゃになった心は、それはもう叩かれようが叩こうが何も感じなくなりますよ。
 鬱状態になると【Mモンスター】になります。
 躁状態のことを思い出して、水風呂に一気にぼちゃんです。
 そこで湯冷めして、一気に風邪をひいたように青ざめ、自分の行動を恥じ後悔することになります。そうして自分自身を攻撃したくなるのです。
 それをなくすのに、相当な年月をようしました。
 私が気を付けていることは、どちらのモンスターになってもSNSを少し離れる、人に連絡を送らないことです。
そうして、自分と他人を守ることをしています。

③理解者の意見を取り入れる

 私の一番の理解者は、夫です。
 夫は私の状態に合わせて、接し方を変えます。
 鬱の時はそっとしてくれています。かけてくれる言葉はありません。
でも私がそれを望んでいるからなのです。
 鬱状態の時は何を聴いても、ネガティブにとらえてしまいます。それを知っている夫は、あえて何も言いません。
 躁状態の時は、テンションを低くします。
『今温度差あるよ。話過ぎているよ。気を付けて』
という、無言の気づかせかたをしてくれます。
 刺激せず、私のテンションの上がり方が変な方向へいかないように導いてくれるのです。
 それを知ってから、主治医との関係も良くなりました。

④主治医とのラポール形成

 私は長年、【自分(主治医)の気持にばらつきがって、その時の気分で診察している】と思っていました。
 でもそれは、全て思い込みでした。
 私は診察室に1人で入ることができず、夫と一緒に入っています。
 主治医も私と夫両方の話を聴くようにしているので、夫がいないと私の診察は始まらないのです。
 ある日夫に、主治医に対しての思いを打ち明けました。
 私は賛同してくれるもんだとばかり思っていましたが、夫はこう言いました。
「違うよ、ゆうきが躁の時と鬱の時の感じ方が違うからだよ。主治医はいつも同じ態度だよ。ゆうきが躁の時はテンションがあがりすぎないように接してくれて『これから上がるから注意しなさい』という合図をだしてくれているんだよ。鬱の時は、刺激しないようにしてくれているよ」
 その時初めて、主治医の気持に気づき、主治医とのラポール形成の入口ができた気がしました。
 それが分かるまで、6年もかかりました。
 ラポールが形成されると、私自身主治医に心を許すようになり、前より色々な話ができるようになりました。
 また、主治医は夫のことを信頼していたので、私とのラポールが形成されてから子どもが欲しいと言っていたことを許してくださいました。
 そこから5年減薬をして、妊活に入れたわけです。
 それと共に、子どもを育てるために自分を律さなくてはいけない、コントロールできるようになることを主治医と約束しました。
 私は発病から10年かかってやっと、本当の意味で【自分と見つめあう】ことができたのです。

2障害者として生きていくこと

①自分を特別だと思わない

 私は障害者です。
 考慮してほしいことや、してほしいこと色々あります。
 ですがそれは、別に障害者だから考慮してほしいことうや、してほしいことがあるわけではないということです。
 どんな人でも、言われたくない言葉、されたくないこと、したいこと等があると思います。
 だから【私は障害者だから】という言葉で、全てを終わらせたくないのです。
 障害には色々種類があるので、【全ての人】にそう思えとか、そうしろとは言いません。
 そこには権利も義務も生じないからです。
 私は【障害を盾にしたくない】だけなのです。
 イヤなら自分から離れればいいと、私は思っています。
 それは【障害の有無に関わらずみんな】がしていいことですし、苦しければそうする方が楽だから、私はそうしています。

②NGワードを決める

 私は言葉が下手くそなのに、言葉が大好きです。
 それ故、言葉で元気になったり傷ついたりします。その逆も然り。
 私が精神疾患者として生きていくうえで、絶対他人には言わない言葉があります。
 【死にたい】【消えたい】【もう死にます】
 これは私の中だけのNGワードなので、他人が使っていても気にしません。
ただ、前の2つは私は身内になら言ってもいいと思っていて、言葉で言います。
「言語化したことで、私の苦しみを知ってください。もうおぼれています」
という意思を表しているからです。
 ただ最後の1つのワードは決して言わないようにしています。
 何故なら、私自身昔の友人に言われて、とても焦って【遺言を託された】という気分になったことがあるからです。【死にたい】や【消えたい】と言語化することは、まだ生きる希望を捨てていない気がするのです。
 でも【死にます】は、【死ぬ意志を伝える】ことだと思ってしますのです。
 この言葉は、【脅し文句】にもなります。
 ちょっとの違いで、言葉とは変形することを私は学びました。
 障害があると衝動的になって、書き込んでしまうことも分からなくはありません。ただ書き込む前に、言葉を選んでほしいなとは思います。
 どれだけの人を巻き込んでしまうか考えてほしいのです。
【死ぬ意志を伝える】ことは、相当辛いことがあったに違いないと思います。
 だから心配しますし、怖くもなります。
 SNSで1人だけではなく、何人も見てきました。
 きっと、それを言う方は、言うしかないくらいまで追い込まれていたのかもしれません。
 けれどそれを聞いて、心底心配してくれる方がいることも脳裏に置いといてほしいです。
 ただし、これは私の考えであり、【私のNGワード】なので、強要はしません。
 それを言うことで、救われる命なら【今死にたいくらい苦しーーーー】と叫んでください。

③多様性を武器にしない

 多様性が重視される世の中になってきました。
 でも見ていると、受け入れてもらうことしか考えていない方が多い気がします。
【私は赤が好きです。だからみんな赤を好きになって】
と言っているのと、同じような気がするのです。
 私の思う多様性は、【私は赤が好きです。僕は黄色が好きです。じゃあどっちの色も使ってみる?】という会話から入るのではないかなと思っています。
 そこで初めて、多様性について、考えていくのではないでしょうか。
もしそこで意見が合わないなら【意見が合わないことも多様性】の一つだと思います。
【みんなが全てを受け入れる世の中は右向け右】な気さえするのです。
 色々な意見があって、初めて多様性は生まれるのではないでしょうか。
 私の障害は世間一般には少ないから、障害者なわけです。
 障害者も多様性を叫ぶ世の中になっています。それ自体オープンになっていいと思います。
 ただ【多様性の世の中だから障害者も受け入れて】は、違う気がするのです。
 私は【全ての人に受け入れられるものは多様性ではない】と思っています。
 そのことについて、みんながそれぞれの意見を持ち、行動する。
それこそ多様性だと考えています。
 だから、私は【障害者だから障害者だから受け入れて】とは、思いません。

④受け入れてもらおうとすることを止めた

 私は、【全ての人に受け入れてもらう】ことを止めました。
 そうしたら、とても生きやすくなりました。
「私の障害を受け入れてくれる人と付き合っていこう」
 そう思うようになったら、私にとって私を排除する人は、【私の人生においてモブなのだ】という考えにいたりました。
 障害どうよう、性格だってみんなに受け入れられる人は1人もいないのです。
 血液型だけで判断して生活をしている方だっていらっしゃるし、新興宗教だけを信じて生きている方もいらっしゃる。
 度が過ぎれば、喧嘩や紛争など様々な問題が起きる。
 でも【この世の中が多様性を望んでいる】ならば、
「そういう人もいるよね」
と、なることがとても自然なような気がします。
 その自然なことが、一番難しかったりもするのですが。
 私が障害があるのを知っていながら、結婚してくれた人、まだ友だちでいてくれる人、SNSでつながってくださった方、心配してくれる父、兄姉弟。
 それだけいれば、私は生きていけます。
 私を理解できない方は、いて当然そう生きています。

さいごに

 まず最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
 私はまだ人生の半分も生きていない、小娘です。なので、文章も言葉選びもいたらない点が、多々あるかと思います。
 また考え方も浅く、薄っぺらいものですがこれが、今現在の私の精一杯の心の叫びであり、考えです。
 SNSを見ていると、【差別をなくしたい】【偏見をなくしたい】そんな思いで活躍されている方々をお見受けすることも少なくありません。
 そんな方々を見ていると、それを放棄した私からしたら尊敬の念しかありません。
 その道を行くのは、【自ら差別や偏見に突っ込んでいくようなものなの】ですから。
 それに、【人の力を信じる】ことを止めていないからです。
 人のことを信じることは辛く険しい道だと、私は思っています。
【信じること=裏切られた】という経験をたくさんされ、またこれからも経験していかなくてはならないのです。
 たまに尊敬しているなどと言われますが、私はただの弱虫です。
 裏切らると思いたくなので、人に期待をしません。
 裏切られたと思われたくないので、人に期待されたくもありません。
 私はこういう、本当に弱くて卑怯な人間なのです。
 でも【こんな障害もあるんだよってことは知って欲しい】という欲はあります。
 ただ、知って受け入れるか、受け入れないかは読み手に任せています。
 私はただのちっぽけな、人間です。
 そのことを片隅にでも置いておいてやってください。

”the pillowsの「屋上に昇って」にこんな一節があります。
「もしも僕が王様になっても
誰もが望む世界は作れないよ
神様そうだろどうしてかな」

the pillowsのアルバム曲より

私はこの一節が大好きです。
世の中の的を射ている気がするからです。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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