#15.完成された絵は画家が絵を描いていない時間に積み重ねた「🔵🟡」
プロローグ
現在、月に数時間、絵を描けるか、描けないかの環境に身を置いている。以前は毎晩1〜2時間絵を描いていたが、生活環境が変わった。これはどうしようもないことだった。これは今後の自分に重要な変化の記録。同じ思いをしている方の気づきになりますように。
心の変化
絵を描けない環境に身を置いてもうすぐ一年経つ。著しい自己効力感(self-efficacy)の喪失を覚える。絵を描かなくても生きていけるが生き甲斐がない。他人の人生を歩んでいるようで何をしても無駄と思える嫌悪感や無力感は自己証明(identity)の危機となっていた。
生き方を探した
過去に宗教論より「宗教とは生き方だ」と学んだことがあった。仏教には諦観(たいかん)という言葉がある。「諦める」という言葉が持つ意味は「明らかに見極める」ということ。この世の因果が自因自果であるならば、絵を描けず苦しい環境にきちんと絶望して、絵を描くための学びや行動や周りの応援にきちんと希望を持つことが、作品の完成に繋がると考える。
過ごし方を変えた
絵を描ける環境にいないならば、インプットする時間を大切にしようと行動した。イメージばかり湧いてアウトプットできない時間は相変わらず辛いけれどいつかこの全てをインクにできるよう経験値を積もう。実践で得られない分は読書で補う。この経験値を文学的素養という。
気づきと自己受容
思うに、完成された絵はきっと画家が絵を描いていない時間に積み重ねた「ほぼ全て」。画家は絵を描いていない全ての時間の使い方が大切だと信じる。気づけば自己証明の危機は脱し、自己受容が完成していた。
今年は丸い絵と、大きな絵を描く。
いつか誰かの人生を彩る一色になれるような素敵な画家になる。
BOTAN INKPEN
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