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【人生の指南書】新小説十八史略by陳舜臣


⚫️日本の有名エピソードは中国のパクリ?

私の人生の指南書、陳舜臣の「小説新十八史略」が大好きなんですが、三巻くらいから死ぬほど面白くなる。

ただね、読んでると大岡裁きなどの名エピソードが、結構でてくるのよ

やっぱ,4000年の歴史は伊達ではない。

『新小説十八史略』は、陳舜臣が中国の膨大な歴史を、軽快な筆致で描き出した作品です。十八史略という古典的な歴史書をベースに、陳舜臣ならではの視点で、時代を超えた人間ドラマや歴史の教訓を巧みに織り込みます。戦乱の中での英雄たちの葛藤や、権力の裏側に隠れた真実が描かれ、歴史に対する深い洞察と共感が感じられます。読みやすさと同時に歴史の奥深さを味わえるため、初心者にも歴史愛好者にもおすすめの一冊です。


⚫️毛利元就の三本の矢

私のバカせまい史の「言っていない名言史」見ていて思った。

これ、毛利元就は本当は言ってない、なぜなら息子が先に死んでるのでもはや三本の矢になってないそうな。

そこで、思い出した、似たようなエピソードが中国にも存在した気がする。

この話は三国志時代の蜀の武将、**劉備(りゅうび)**にまつわる逸話です。劉備は、自分の子供たちに団結の重要性を教えるために、毛利元就の「三本の矢」に似た「三本の棒」の話を使ったと言われています。

具体的には、劉備が兄弟のように親しい関係にあった関羽や張飛に団結の大切さを説く際に、一本の棒は簡単に折れるが、三本の棒を束ねると折れにくいことを例えに出したという話が伝わっています。このエピソードは、三国時代の蜀の君主である劉備が、仲間と協力し合うことの重要性を強調したものです。

このため、「三本の矢」の話には日本と中国の両方に類似した逸話があり、それぞれの歴史や文化の中で同様の教訓が共有されていると言えます。

⚫️「日本は中国の教科書で勉強してたからね」

日本の歴史的エピソードと中国の類似するエピソードをいくつか紹介する。

1. 毛利元就の「三本の矢」 vs 劉備の「三本の棒」

日本のエピソード
毛利元就は戦国時代の武将であり、彼の3人の息子に対して1本の矢は折れやすいが、3本の矢を束ねると折れにくいことを示し、団結の重要性を説いたという逸話がある。

中国のエピソード
三国志の蜀の君主、劉備が兄弟のような存在である関羽や張飛に、1本の棒は簡単に折れるが、3本の棒を束ねると折れにくいことを例に、団結の大切さを説いた話がある。

2. 聖徳太子の十七条憲法 vs 孔子の論語

日本のエピソード
聖徳太子が制定した「十七条憲法」は、604年に発布された日本最古の成文法典の一つで、国家の道徳的指針を示している。特に、和を尊び、上下関係や協力の大切さを説いている点が強調されている。

中国のエピソード
中国の孔子による「論語」には、道徳、倫理、上下関係、そして調和を重視した教えが数多く含まれている。これらは聖徳太子の憲法に影響を与えたと考えられており、日本の儒教思想の基盤となっている。

3. 天照大神の岩戸隠れ vs 伏羲と女媧の兄妹神話

日本のエピソード
日本神話の中で、天照大神(アマテラス)が弟のスサノオの悪行に怒って天岩戸に隠れてしまい、世界が暗闇に包まれるというエピソードがある。最終的に他の神々が協力して天照大神を岩戸から引き出し、光を取り戻すという物語である。

中国のエピソード
中国神話において、伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)は兄妹であり、人類の祖とされる。この神話では、天変地異や混乱が起こった際に、伏羲と女媧が協力して秩序を取り戻し、天と地を修復する話がある。天と地を司る神々が世界を救うという構図が、日本神話の天照大神の話に類似している。

4. 鳥獣戯画 vs 荘子の擬人化動物

日本のエピソード
「鳥獣戯画」は日本最古の漫画とも言われる絵巻物で、動物たちが擬人化されて、社会風刺を交えたコミカルな描写がされている。

中国のエピソード
中国古典「荘子」では、動物を擬人化して人生や社会についての哲学を語る場面がある。例えば、魚が話し合いをするシーンなど、動物を用いた比喩や風刺が特徴的で、日本の「鳥獣戯画」との共通点が見られる。

5. 藤原道長の栄華 vs 司馬遷の『史記』

日本のエピソード
藤原道長は平安時代の権力者であり、彼の栄華を表す言葉として「この世をば我が世とぞ思ふ」という詠が有名である。道長の権力の絶頂を象徴するこのエピソードは、日本史において絶対的な支配を誇る人物の一例として知られている。

中国のエピソード
中国の歴史書『史記』には、秦の始皇帝や漢の武帝など、絶対的権力者の栄光と没落が記されている。特に、始皇帝の天下統一やその後の絶対的な支配権は、藤原道長の時代の日本の権力構造と類似する点がある。

結論

日本の多くの有名なエピソードには、似たような中国の逸話が存在する。しかし、これらの物語が直接的に「パクリ」だと断言するのは難しい。歴史的に日本は中国から多くの文化的影響を受けており、その結果として、似たテーマや教訓が生まれた可能性が高い。むしろ、両国の歴史や文化が影響を与え合い、相互に発展していったと見るべきだろう。

⚫️有名どころエピソード

「大岡裁き」もまた、中国の類似したエピソードと比較されることができます。この日本の有名な裁きの逸話も、中国の古典的な裁判例と共通する点が見られます。以下にそれぞれのエピソードを紹介します。

6. 大岡裁き vs 包拯(ほうじょう)の裁き

日本のエピソード: 大岡裁き
江戸時代の名奉行、大岡忠相(おおおか ただすけ)は、知恵と機転を利かせた数々の「名裁き」で知られています。例えば、2人の母親が1人の子供の親権を争った事件で、大岡忠相は「子供を半分に切って分ける」と提案します。本当の母親はその言葉を聞いて子供を切ることを拒み、相手に子供を譲ると言い出しました。大岡はその反応を見て、真の母親を見抜いたという話です。

中国のエピソード: 包拯の裁き
中国の北宋時代、包拯(ほうじょう)は正義感あふれる官僚で、「包青天」としても知られています。彼もまた知恵を駆使した裁判で有名です。例えば、同様に2人の母親が1人の子供の親権を争った際、包拯は子供を引っ張り合いさせることを提案しました。本当の母親は子供を傷つけまいとして引っ張ることをやめ、その反応から包拯は本当の母親を見抜きました。この逸話は「ソロモンの知恵」にも似た形で中国の古典に残っています。

類似点と相互影響の考察

大岡裁きと包拯の裁きには、明らかな類似点があります。いずれも、母親同士の争いに対して知恵を働かせ、母親の本当の愛情を見極めるというストーリーです。これにより、両者とも「賢明な裁き」の象徴として歴史に名を残しました。この類似が直接的な影響によるものか、あるいは偶然の一致かは明確には言えませんが、東アジア全体における正義や人情に基づいた裁判の価値観が、文化を超えて共通していたことが考えられます。

結論

大岡裁きは、中国の包拯の裁きとよく似ていますが、これが「パクリ」であると断定するのは早計です。古代から両国間で多くの文化的交流があったため、類似した物語や教訓が生まれるのは自然なことです。大岡忠相の名裁きは、日本独自の状況や背景に基づいており、中国の裁判例が影響を与えた可能性はあるものの、単に模倣されたものとは言い難いでしょう。


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