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ボストン留学記(ハーバードケネディスクールで公共政策を学ぶ)〜大統領選について
私が渡米した2024年はある意味で特別な年。というのも「4年に一度の大統領選year」でして、私の渡米が8月で、選挙が11月だったので、最初の学期はまさに選挙前大詰めの時期でした。
大統領選への熱量
向こう4年間の国の代表を国民が選ぶアメリカでは、大統領選挙は大きなイベントです。そしてそれは大学でも例外ではありません。コロンビア大学やスタンフォードをはじめ、アメリカのハイレベルの大学では一般的に政治への関心が高く、時に学生運動に(そして時にはさらに過激な運動にまで)発展することが知られているかと思いますが、ハーバードの「公共政策大学院」ともなればもちろん大半の学生が政治に浅からぬ関心を持っており、自分のスタンスも含めて考えを持っているというのは大きな気付きでした。これは選挙権があるアメリカ人の学生に限らない話です。
とはいえ、ケネディスクールでは少なくとも今年は目に見える学生運動のようなものはなく、私が経験した範囲では
民主党と共和党の候補者(当時のハリス副大統領とトランプ元大統領)の討論をクラスで集まって聴く
政権や政府関係者を呼んだ、今後の米国に関するトークイベントが増える
開票日には学校のオフィシャルイベントとしてホールでリアルタイム観戦する場が設けられる
あとは授業で結構な頻度で前・現政権の個別の政策に触れられたり、学生個人単位で「ハリス応援キャンペーン」や「トランプ応援集会(Trump Rally)」に参加してInstagramのストーリーで発信していたり、などでしょうか。
討論については、夜8:30頃から開始だったので、部屋を借り切ってポップコーンをつまみながら観戦(この言葉で間違っていないと思います)しており、各候補者の一挙手一投足にヤジを飛ばしたり横で小さな議論が始まったりと、非常に刺激的な空間でした。家を開放して友達を集めて観戦する学生もおり、多くの人がさながらスポーツのごとく楽しんでいたのが印象的です。トランプがFactに基づかない謎理論を展開したら一杯飲む、とか…
よくある「疑問」
そしておそらくこの話をする上で避けて通れない「政治的な色、偏りがないのか?」という点に関しては、(残念ながら)大いにあるということを実感しました。トップ大学にいるようないわゆる知識人層はリベラルで、Rust Belt(中部の工業地帯)の労働者層が保守、というよくある言説は概ね間違っていなかったわけですが、大学がここまで(人口的にも思考の程度的にも)一方に偏っているというのは正直かなり驚きでした。ただしこれは、日本では政治の「話をしない」だけで、方向性は違えど各種支持率などの傾向は実は米国と似ているのかもしれません。一つだけ断言できるのは、もちろん専攻にもよると思いますが「政治への関心」には日米で確実に差があると思います。
なぜか?そして政治への関心の有無の功罪は?と推論し始めると長いので止めますが、「国民性」という一言で片付けるのはいささか乱暴な気がしています。
現実を見るということ
しかし重要なことは、少数派もいるということ。選挙結果を見ても分かる通りボストンがあるマサチューセッツ州は民主党が強いのですが、もちろん100:0ではなくそれは学内も同じです。
選挙前、主に民主党の政策を中心に授業で議論される、というのはコミュニティ内の多数派が民主党支持者で知見も多く(教授陣にはオバマ政権時代の政府・ホワイトハウス関係者も結構いる)、かつ現政権が民主党なのでまだ分かるとしても、開票の翌日は学校全体が重い空気であたかもお通夜のような雰囲気だったり、開票後急遽様々な勉強会が企画され、その多くが「結果の分析」ではなく「今後の憂い」や「精神的なショックの緩和」に関するものだったりすると、これは多様性への配慮がなされているのか?というか、
そもそもこの結果を受容する準備が全くできていなかったのだとすると、公共政策を専攻・研究する学校としてこの国の現実を本当に直視できていますか?ということを疑問に思わずにはいられなかったわけで、そのような意味でも良い刺激を得ることができました。本当は私ももっと結果を分析して然るべきなので人のことは言えないのですが。
選挙結果や各種報道、街を歩いていても、この国(米国)の分断は思ったよりも、そして日本で感じるよりも大きいのだと実感します。4年に一度というタイミングを米国の大学で迎えられたのは非常に稀有な機会になったわけですが、この国をもっと解剖する必要があるなと感じるきっかけにもなりました。
今日の英語フレーズ
バイデン前大統領のFarewell Addressを遅ればせながら今日YouTubeで観たのですが、心に留まった表現を三つ取り上げたいと思います。
Fair Shot:平等なチャンス(機会均等)。とある辞書ではAn opportunity to attempt or achieve something without bias or limitationsと解説されていましたが、スピーチで使うと映える言葉ですね(もっとカジュアルに普段使いされているかもしれませんが、あまり聞いたことがない)。
Oligarchy:日本語にすると「寡頭政治」、世界史で聞き覚えがあるような気もしますが、要は少数の権力者が統治の方向性を決めてしまうことですね。トランプ→バイデンも相当ですが、政治的な対立相手に対して防戦一方ではなくはっきりと口撃するのには米国らしさを感じます。
Robber baron:直訳すると「泥棒男爵」ですが、悪徳資本家のことを指しています。19世紀に由来する言い回しで、利益を追求する実業家が不正な手段を取って特定の者で権力や富を独占させることを非難する言葉として使われています。極めて英語的ですが、歴史的背景を考えると言い得て妙な表現だなと思います。
米国の大統領は、賛否両論あるとは思いますが基本的にスピーチの質(内容と、人を惹きつける話し方も含め)が高いなと思います。日本でも史実をはじめいわゆる「教養」を織り込んで演説をする政治家は多いですが、そもそもスピーチを聴く機会というものが少ない気がしており、文化的違いがあるとはいえいわゆる「格式高い」話し言葉に触れることは教育の観点でも大事だなあ、とふと感じました。
しかしこのような言葉は、英語学習者に取っては知らないと本当に聞き取れないというか、単語が聞き取れても脳内で詰まってしまうポイントですね。様々なシチュエーションの英語に触れる重要性を痛感したFarewell Addressでした。