ウ・ジョーティカ・サヤドゥ『自由への旅』3回目読了
ミャンマーの上座部仏教の高僧であるウ・ジョーティカ長老の『自由への旅』の3周目終了した。
現代は”Map of journey"で、訳者は魚川祐司氏である。まさに自由への旅の見取り図といった趣である。ここでいう自由とはリベラリズム的な意味での自由ではなくて、西洋哲学でいう自律に近い。
著者のヴィパッサナー瞑想の体験に基づく見取り図でありときに生々しい。しかし語り口が平易であるために目が滑ってしまって、「あれ?さっきからずっと同じこと言ってないか?」となる。というかなった。なのでもう3周もしているわけである。
序盤は瞑想の準備で、取引してはいけない、瞑想に集中するために安全な環境を確保しましょう、自尊心を持ちましょう、自己評価を高めるために正しいことをしましょうなどなど色々なことが書いてある。前戯が長い。全部で550ページくらいあるのに最初の100ページ以上が準備の話である。なお最終章でも準備が大事、人生は準備につぐ準備だと力説されている。かつて外科医として働き出したとき上司に「手術は準備が7割だ」(8割だったかも)と何度も言われたことを思い出したのであった。
第3章の中盤から瞑想の本っぽくなっている。人間は危険に反応するようにできていると進化心理学っぽいことから入って、瞑想とはそれらの反応、思考、感覚を手放すことであると説く。ブッダが生きた時代はついこないだであって、すでに旧石器時代からほとんど進化してないサピエンスの脳はバグをおこしていたようである。
これ以降は、素の感覚を概念化しないで、言い換えると思考を介在させないで観察しなさいと繰り返し述べられることになる。概念や思考を手放しなさい、それらへの執着を捨てなさい、思考を奨励してはならない、など言い方は様々であるが。
ただ同じことを無駄に繰り返しているのではない。瞑想が深まってくるにつれて、瞑想者にどのような変化が訪れるかもまじえて語られるからである。それぞれの段階で感じることは変わってくるようだ。まあこればっかりは実践しないとわからんので、そんなもんなんかなあと思うしかないのだが。
面白なあと思ったのは、瞑想者はやがて全ては気づきの連続、意識の連続だけが存在するのを観察するようになるということだ。そしてそれらの気づきの間には隙間があって、それらは映画の1秒24コマの間隙みたいなもので、非常に速く生成消滅するから上級者でないと気づかないという。非常に高速であるからずっと連続してそこにあるかのように感じるがそうではない。これまた実践してその境地に到達しないとわからないのだが、これが無常ということかと理解するのである。
ゾーンに入った野球の打者のようにすべてがゆっくりに感じられて、精神的と物資的のプロセスの生成と消滅を観察できるようになりたいものであるが、それがどういったものかはやはり想像するしかない。
本書は、名色分離智にはじまる十六観智に沿って説明される。最初に読んだときはそのことがわかってなくて筋道を頭の中で組み立てることができてなかった。
2回目からはこのWikiを参照しながら読むとわりと理解しやすかった。これをみてもわりと同じことの繰り返しであるとわかるし、ウ・ジョーティカ長老も4つめまではしっかり説明しないといけないが、それ以降はあっという間だという趣旨のことを述べている。なおこのWikiの参考文献のほとんどが本書である。
というような本であるから、知識も得られて実践にも役立つお得な一冊といえる。
まあ私の駄文よりも、仏教のアレさんの動画のほうがワクワク感が伝わるかも。この動画おもしろいですよ。
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