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小野塚知二編『第一次世界大戦開戦原因の再検討』を読んだ...戦争を望んだのはだれなのか

私は恥ずかしながら第一次世界大戦については造詣が浅く、なぜオーストラリア=ハンガリーとセルビアの局地的な諍いがあんな大惨事になったのか下のやる夫スレ以上の知識はもちあわせていない。

しかし最近は20世紀転換期の経済史について関心があり、第一次世界大戦についてもある程度は知っておかないといけないのである。特に、国際分業、相互依存が進んでいた時代にどうしてみんなで総力戦をするはめになったかについて理解しておく必要があると思っていた。そこへ偶然にも表題の本を読む機会があったというわけである。

6人の執筆者らは第一次世界大戦の専門家というわけではなく、おもに経済史を専門とする方々である。植民地政策、経済政策、大衆心理という観点から開戦原因についての議論の土台を確認するといった形式になっている。英国の3C政策とドイツの3B政策の衝突とか、シュリーフェン・プランの都合上ドイツは総動員をかけて二正面作戦に突入せざるを得なかったとか、ロシアはスラブの盟主としてセルビアを見捨てられなかったとか、様々な通説に疑問を呈しつつ、新しい議論の枠組みを提示する。以下、各章ごとに要約していく。

第1章「ヨーロッパ諸大国の対外膨張と国内問題」
大国の帝国主義的膨張政策が開戦の引き金になったという通説の検討である。ファショダ事件、二度のモロッコ危機、英露のグレート・ゲームのいずれも落とし所が見つかっており、少なくとも直接的な開戦原因とはなっていない。
直接的なきっかけになったのはいうまでもなくサラエボ事件である。ハプスブルク帝国は多民族国家であり、スラブ人もそれなりの数がいて不安定さの要因になっていた上に、二度のバルカン戦争で勢力を伸長していたセルビアを驚異に感じていた。そこにサラエボ事件が勃発し、ドイツの全面支援の約束(いわゆる白紙小切手)を得て、「第3次バルカン戦争」へと進んでいくのであった。とはいうもののドイツとの協議の段階ではロシアの介入の可能性は十分に意識されていた。

第2章「開戦原因論と植民地獲得競争」
列強間の世界分割がアジア、アフリカ、太平洋をふくむ世界戦争へとつながる構造を作ったことは否定しようもないが、それだけでは列強同士の軍事的衝突につながるものではない。むしろ自由貿易を相互に支え合うものであって、日露戦争は例外的な事態である。特にドイツは世界経済統合の受益者であって、ドイツ経済界にとっては他国との緊張や戦争のリスクは望ましくなかった。そのため列強は戦争よりも外交による解決を好み、アガティール事件はその好例である。欧州大国はヨーロッパ外で戦争をしており、さらにほとんどは植民地支配強化のための警察行動であり、列強間の戦争ではなかった。

第3章「経済的相互依存関係の深化とヨーロッパ社会の変容」
大戦前のヨーロッパ経済の概況、ドイツとロシアの相互依存の進展と貿易摩擦、バルカン半島における独墺とロシアの角逐についての確認。しかしこれらも直接的な開戦要因とはいいがたい。

第4章「世紀転換期のフランスと平和主義」
世紀転換期のフランスには大量の移民が流入しており、不況とあいまって外国人労働者への嫌悪と排外的ナショナリズムが高まりつつあった。
フランスでは、法的平和主義者であれ、社会主義的平和主義であれ、愛国心と平和主義が両立していた。第2インターナショナルは、反戦闘争を行うことでは見解の一致はみたが、具体的な闘争の手段については明確にできなかった。各国の代表者は、攻撃された場合の祖国防衛を否定できなかったからであり、国際的な連帯は困難であった。
サラエボ事件以降、事態が緊迫するとジョレスら社会主義者は平和主義運動を国内外で精力的におこなったが影響力は乏しかった。

社会主義者が想像した戦争とは帝国主義的対立の結果にすぎず、国民感情やナショナリズムが戦争の原因になるとは考えられなかった (中略) 愛国心がナショナリズムを助長し、国民感情の高まりから戦争を回避できない状況に陥る可能性については考慮されていなかった


いざ開戦すると反戦の動きはなくなった。愛国心により、祖国の危機にたいする防衛を受け入れるほかなかったからである。

第5章「国際分業論の陥穽」
ノーマン・エンジェルは国際分業が進むと戦争は難しくなると論じたが、現実には大惨事になってしまった。シュンペーターは資本主義は人間の好戦的な性質を消失させるはずであると書いたが、戦後には多くの国では資本主義が完全に支配的になっていないためにナショナリズムと軍国主義が存続したとした。つまり恩恵をうける一部産業にとっては少なくとも短期的には戦争や帝国主義は美味しいということであろう。さらにホブスンは、貿易摩擦であったり外国人労働者に仕事を奪われたりすると敵対心や恐怖心が生まれてしまうものだと指摘した。新たなグローバリズムの時代に生きる私達からみれば当たり前のことであり、経済的相互依存により戦争がなくなるなどというのは極めて幼稚な理屈であるが、当時の人にとってはそうではなかったのだろう。ナショナリズムとか愛国心を軽く見積もるのは前章でも語られている。

第6章「民衆感情と戦争 イギリスにおける戦争熱再考」
大陸欧州に利害のないイギリスがなぜ参戦したのか。1914年8月の開戦間際には大衆は熱狂的に参戦を支持していたが、暴動などをおこすことはなかった。中立を求めていた著名な知識人も、ドイツのベルギー侵攻を契機にあっさり戦争支持に変節した。こうしたジンゴイズムとはちがう冷静な戦争熱とでもいうべきものはいつから培養されていたのか。1899年に始まった南アフリカ戦争は、チェンバレンらが開戦のためにメディアを利用して反戦運動を潰したし、多数の記者が派遣され報道されたため、戦争が身近なものになった。戦場からのニュースに労働者までが一喜一憂する状況が創り出された。この時期にはドイツと戦争する近未来小説が人気を博すようになっており、それはドイツとの貿易摩擦や建艦競争が影響していたと考えられる。

最終章は、編者の小野塚氏によるまとめ
ナショナリズムや戦争熱は、ドイツ皇帝やロシア皇帝ですら忖度せざるをえないもので、イギリスのような民主主義国家では無視できるものではなかった。

選挙権が拡大すると民意を無視できるはずがないわけで、そこを無視して開戦の原因や責任を問うても不毛だなあと思うのであった。民主主義ってそういうもんだろうと思わざるを得ない。



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