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ゲンロン12、無料と自由と公共性と持続性と訂正可能性について

ゲンロン12面白かった。

まず創業者の東浩紀氏の論考「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」と、それに関連して、東氏と政治学者宇野重規氏の対談。かなり興味深く、詳しいことは後述するが、東氏の論考から一節を引用しよう。

アーレントは、ひとがたえず新しく生まれ、新しい思考の可能性とともに参入してくることこそが、公共性の条件だとも語っていた。彼女は、子が生まれ、増えるという単純な事実が、思想的にとてつもなく重要であることを理解していた数少ない哲学者のひとりである。

東氏が近年どんどん「ふつう」になっていることが各所で指摘されているが、ここまでとはね。。。

そして特集「無料とはなにか」である。ここから感想を書いていこう。

0. 鹿島茂「無料はパリから始まった 1836年の広告革命」

特集で面白かったのは、鹿島茂氏の19世紀フランスの新聞王エミール・ド・ジラルダンの論考である。ジラルダンは今でいうまとめ記事で紙面を構成する雑誌を発行した。彼が新しかったのは広告を掲載することで購読料を下げたことだ。

購読料を下げると購読者が増える。そうすると広告の単価が上がる、よって購読料をさらに下げることができる。するとまた読者が増えて、、、という無限ループに突入するのである。

このループに入ると購読料は無料に限りなく近づいていくのであるが、ジラルダンは読者の質を保つためにある程度以上は購読料を下げなかったのだ。もちろんそれは読者の量を限定することになる、質とのトレードオフだ。

この、無料にするのがいいこととは限らない、というのが本特集の通奏低音である。

というわけで本記事も以降は有料とする。ついでに最後に昨日の選挙のことにちょっと触れておく。

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