民主主義国家の憲法、あるいはその下部構造について
日本近現代史をhobbyとする以上は言及しておかなければいけないことがあった。
この会食制限解除のニュースについてである。
なんのために分権的極まりなかった欽定憲法から、内閣と議会に権力を集中させる現行憲法に変わったんだ、、、
私は護憲派ってわけではないけれど、この報道の文言から、憲政の常道から大きく逸脱していると詠嘆せざるをえなかった。
この分科会とかいう組織は戦前の参謀本部か、あるいは御前会議みたいなものなのだろうか?
とはいえ、政治家が分科会に忖度せざるをえないのも大いに理解できるところである。国民が分科会に信を置いている以上は、選挙で選ばれた政治家であればそうせざるをえないのである。でなければ再選はおぼつかない。
戦前においても、参謀本部など軍部の中堅層が暴走したのは、多くの国民が彼らと同じ心情や意見を共有していたからである。大手メディアが対米開戦を煽ったのも、そのほうが売れたからである。
民主主義国家とはかようなもので、政治家や官僚が動かしているのではない。世情が彼らを動かすのである。それはたんに数の上でマジョリティということではなく、お金、声のデカさ、暇さなどにも左右されるだろう。
これは本邦に限ったことではない。
アメリカにはアメリカの世情があって、それが政治家や役人を動かしているだろう。
と思っていたところ、今日のニー仏さんのタイムリーなエントリーがあった。アメリカの背景はかなりの程度、合衆国憲法から読み取ることができる。
阿川尚之氏は、『それでも私は親米を貫く』という著書まであるアメリカ好きであるが、人種問題等に関するアメリカの過去の対応の問題点は、大戦中の日系人に対するものも含めて公平に書いており、その上で、アメリカ国民がそうした問題点を認識し、それを自らの手で是正するに至る過程を順を追った描写で丁寧に解きほぐしてゆく。その叙述を通じて、読者はアメリカという国家のヤバさと凄みを、ともに十分に知ることができるわけだ。
(太字は引用者)
建国の理念が埋め込まれた合衆国憲法は、歴史的に連邦最高裁により様々な解釈がなされ、あるいは修正条項が加えられてきた。それを辿ることで「ヤバさと凄み」を学ぼうというのが本書の趣旨である。
そこからさらに、日本人的な気まぐれかつ打算的な気質との対称性を見出すのがニー仏さんらしいと思ったのであった。
私はどちらかというと、(公衆衛生などの)公共の福祉と自由の対立という問題意識から読んだのだが、それでもアメリカのヤバさと凄さを本書から感じ取ることは十分にできた。
日本人の変わり身の早さに少し言及したが、変わり身が早いというところはなかなか変わらないのだと思う。
繰り返しになるが、こういうところも含めて、社会を動かすのは政治家や役人ではないのである。
とまあ今日はこんなところで。
続きは近いうちに。