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師茂樹『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』読んだ

この2年ほど仏教のお勉強が完全に停滞してしまっている。でも今年中に一冊くらいなにか読んでおこうと、ちょっと前にKindle unlimitedになってたこれを読んだのだ。

Audibleもあるよ。

結論からいうと、今の私には難易度が高かった。

タイトルのとおり、最澄と徳一という高僧の論争をあつかったものである。

徳一は、唯識派などの仏典をインドから中国に持ち帰った玄奘の弟子の系列であるところの法相宗の僧侶であった。ブッダを目指すにはみつの道があるとする三乗真実説を主張した。これは五姓各別説という、誰でも悟れるわけではないという主張とほぼ同じことらしい。

最澄は、中観派の思想に連なる三論宗や天台学派の人である。誰でも悟れるという一乗真実説をとる。

この三乗と一乗の論争を三一権実諍論といい、これが最澄と徳一の論争の図式的理解である。唯識派と中観派の空有論争の番外編ともいえる。

とはいえ唯識派の思想にしても玄奘以前に東アジアに段階的に伝わっていたとされるし、日本には鑑真らのグループもいたので、単純な二項対立に落とし込むことはできない。

また歴史に名を残した最澄と天台宗とは異なり、徳一はあまり知られていない。だが法相宗は南都六宗に数えられていたのに大して、日本においては天台宗は新興宗派であった。

なので最澄としては政治的野心があったのかもしれないし、年分度者制度の趣旨と同じく、多様な宗派があってこそ国家に資するという想いもあったのかもしれない。

とはいえ南都六宗に天台宗と真言宗を加えた八宗から、バランスよく官が高僧を選抜するという制度は鎌倉時代まで、日本の仏教のあり方を規定したのであった。

それで最澄と徳一の論争の中身について本書でも解説されているけど、ちゃんと理解することは私には困難だった。でも面白いと思えたこともあったので列挙していく。

まず徳一があまり知られていないのは著作がほとんど残っていないからである。だが最澄が彼を批判するとき律儀に引用するものだから、徳一の思想を把握することが可能なのである。引用リツイートみたいだなあと思った。

そのレスバにもお作法があって、共許といってお互いの前提を確認しあうのである。お互いに確認できなければ論争が成立しないのだが、認めないのはおまえだけ!インドや唐の高僧も認めている、などと言い張るのはOKだったようだ。

共許が成り立ってからは、因明という形式に沿って行われる。結論、理由、例の順に述べるのがお作法らしい。教科書みたいなのもあって、悪い例として「ソクラテスは人間である。あの男は人間である。よって彼はソクラテスである」みたいなのが挙げられていたようだ。

もう一つ大事なのは教相判釈である。これはゴータマ・ブッダが述べたとされることを時期や形式などによって体系的に分類することである。

なぜこのような作業が必要になるかというと、ゴータマ・ブッダは矛盾することを言っているからである。結局のところ、これが揉める原因だったらしい。

それで自分の主張と適合する内容を引っ張ってきて、なぜそれが真実であるかを論じるか、もしくは矛盾を解消するような解釈を披露するかの、どちらかがディベートの戦略となる。もちろんディベートなので証義者というジャッジがいる。


まあそういうわけで私はそのような上っ面のことしかわからなかったのである。

でもいつか仏教についての論争も深く知ってみたいと思えたのであった。



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