定期考査について考える
この春、高校へ入学した子どもたちは、学校によって呼び名は異なるでしょうが、定期考査なるものを受けたと思います。採点され、結果が手元に戻ってきたころであり、その結果について一喜一憂していると思います。
そもそも定期考査はなぜあるのでしょうか?
ある学校では、定期考査を廃止し、単元が終了した時点で、その単元で獲得したスキルを図る単元テストを導入した学校もあります。定期考査では、その時点で獲得したスキルを図ることはできます。しかし、人によって理解度の速度が異なるので、通過点での学力を図ることはできても、それが、時とともに薄れてしまうのではないかと考える人もいます。
また、試験当日に合わせて計画的に、既習事項を確認し、その定着を図ることができるとも言われています。さらに、相対的な順位であったり、獲得した得点であったりが、学びへのモチベーションを高めるとも言われます。
どちらの意見もそれぞれ、的を射ているように思います。
自分自身が高校生の頃のことを思い出すと、定期考査そしてその合間にやって来る実力考査に追い詰められていたことを鮮明に覚えています。特に、2年生の後半に至るまで、自分なりの学び方、なぜ人は学ぶのかといったことに、自分なりの答えを見つけるまで、とても苦しんだように思います。
なぜ学ぶのかは、考える必要もなかったのかもしれません。しかし、自分にとっては、その答えらしきものを探して模索していました。目の前の子どもたちに、なぜ人は学ぶのかを伝えるときは、そのときの自分が悩んだ経験が生きています。
なぜ学ぶのか。
その答えは、いくつあっても良いし、人それぞれで構わないと思います。
有名大学、難関大学へ進学したい。医学部へ行き医者になりたい。外交官になって外国と日本の外交を担いたい。法学部へ進み法曹界で活躍したい。どれも、学びへの強いモチベーションになりえるでしょう。このこと自体を否定するつもりはありません。
ただ、あまり人と比べない。今の自分と比べみてください。
定期考査の良さは、自分が「できたもの」と「できなかったもの」とが明確に示されるところにあります。
「できなかったもの」を収集し、整理し、できるようになるまで、自分が納得するまで、つべこべ言わず理解できるようにすれば良いだけです。
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